睡蓮の花―5


 琥珀は、寧々と共に衣装部屋にやってきた。今日の芝居で使う花魁の衣装は、艶やかで美しいが、装飾が多い分よく不具合を起こしている。


「調整が必要なのはこれか」

「そう。後は花音ちゃんの衣装も少し手入れといた方が良さそうやな、と思うて」


「俺たちで出来るならやってもいいが、下手なことをして失敗も出来ないな」

「さっき琥珀が言うた通り、調整箇所を確かめて、準備だけしよか」


 寧々と分担して、服の具合を確かめていく。肩の部分が少し弱くなっているのと、帯の形が歪んでいるように見える。黙々とお互いに背を向けて作業をしていると、背中から寧々に話しかけられた。


「あさぎちゃんのこと、ここに置く気なん?」

「見学を勧めたのは、寧々さんだろう」

「それはただのお詫び。そうやなくて、琥珀のことやから、ああいう子を放っておかれへんのやろうなと思うて」

 琥珀は、咄嗟に答えられなかった。言葉を探しているうちに、沈黙が肯定になることに気が付き、諦めて頷いた。


「まあ、あさぎ次第だが」

「気に入ってるんやろ、あさぎちゃんのこと」

 顔を見なくても、寧々が微笑んでいるのが声で分かった。それが少し腹立たしいような悔しいような。


「別に。泊めたのは間者かどうか確かめるためだ」

「それは分かっとるけど。でも、琥珀の方から声掛けたんやろ? 最初から怪しいと思ったわけやないんやろ」

「それは……」


 琥珀は、突然雨が降り出したあの時のことを思い返した。本番まで時間があり、散歩に行ったら空は快晴なのに、雨が降ってきた。手に持っていたのは、芝居小屋を出るときに手持ち無沙汰だったからなんとなく持ってきた、小道具の傘だけだった。濡らしたら凪に怒られるのは分かっていたが、これを雨避けにしてさっさと帰ろうと思っていた。

 ……彼女を見るまでは。突然の雨に慌てふためき、文句を言いながら走る人々の中で、彼女は微動だにせず、凛と立っていた。雨粒が頬を流れ落ち、浅葱色の着物に雫が吸い込まれていく。目の前の喧騒も雨の音も聞こえていないかのようなその様子に目が離せなかった。それはまるで。


「……睡蓮の花のようだと思った」


 一拍遅れて、声に出ていたことに気付いた。咄嗟に背後を振り返り、寧々を見れば、驚いた表情をこちらに向けていた。言わなくていいことを言ってしまった。


「何か、書くものを持ってくる。双子への覚書は必要だろうからな」

 一息でそう言い切ると、琥珀はそそくさと衣装部屋を出た。




 部屋に一人残された寧々は、しばらくぽかんと琥珀の出ていった戸を見ていた。本当に驚いた。黄昏座の中では琥珀と一番付き合いが長いはずだが、あんな顔は初めて見た。

「女の子を花に例えるて、それはもう気に入ってると言うてるのと同義やと思うけど……」

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