睡蓮の花―4

「あの、さっき言ってた、こうぞく、へいぞくって何?」

 凪は、少し顔を曇らせたが、知らない方が良くないわね、と呟いた。


「少し長くなるかもしれないから、場所を変えましょうか。楽屋に行くわよ」


 三人は通路を通って、舞台の裏へ行き、楽屋の一つに入った。畳が敷かれ、部屋の中心に机があり、その周りに座椅子が二つに、座布団が四つ積みあがっている。凪と佐奈は座布団を引っ張り出し、それぞれ座った。あさぎも真似をして腰を下ろした。


「甲族、丙族っていうのはね、妖の階級のことよ」

「階級?」


「上から甲族・乙族おつぞく・丙族・丁族ていぞく。中間の乙族と丙族で約八割、丁族で約二割を占めるわ」

「あれ、甲族は……?」


 今の説明だと、乙族、丙族、丁族の三つで全てということになってしまう。だが、凪は甲族だと名乗っていたはずだ。


「甲族は、たった五種族のみなのよ。五行に基づいた、木の天狗、火の鬼、土の河童、金の座敷童、そして水の人魚。この五家の代表者で構成される組織、本殿ほんでんが全てを統括しているわ。昔なら幕府、新しい言葉なら政府、と言われるものよ。……妖はこの階級の中で生きているのよ」


 妖にそんなものがあったなんて。花紋を見れば、どの妖か分かると言っていた。つまり、紋を見れば自分よりも階級が下の者も分かるということ。だから、あの男たちは佐奈の楓の紋を見て、横暴な態度に出たのだろう。


「そんなもののせいで、佐奈ちゃんは……」

 佐奈は悲しみよりも諦めが強く出た表情をして、首を振った。


「”畏怖で決まっている。仕方が、ない”」

「畏怖?」

 佐奈の唇での言葉を見て、あさぎは聞き返した。が、佐奈が驚いて座布団から飛び出し、思いっきり後ずさった。


「え、大丈夫? 佐奈ちゃん」

「どうしたの、佐奈。というか、あさぎ、階級のことは知らないのに畏怖は知っているの?」

「ううん、今、佐奈ちゃんが言っていたから」

「え!?」

 今度は凪が大きな声を上げて驚いた。佐奈も驚いたまま固まってしまっている。


「ええと、私何か変なこと言った?」

「だって、佐奈は話せないのに、言ったって……」

「言ったというか、口の動きを見て、だけど」


「”口の動き、分かるの”」

「うん。分かるよ」

「”さっき、あなたは良かったって言った。気のせいだと、思った”」

 凪は、会話をするあさぎと佐奈を見て、長く息を吐いた。そして、大きく息を吸い込んでいた。


「驚いたわ。あさぎは読唇術が出来るのね」

「読唇術?」


「唇の動きで相手の言葉を理解出来る術のことよ。初めて会ったわ」

「凪は分からないの? 佐奈ちゃんの言ってること」

「残念ながら」


 皆が理解して会話をしていると思っていたが、そうではないらしい。佐奈は、今まで誰とも会話をせずに過ごしてきたのだろうか。


「”佐奈のことは、いい。畏怖のこと、教えて、もらって”」

 心の声を聞いてか、佐奈は話を進めるよう促した。


「凪、さっきの畏怖って何か教えて欲しい」

「ええ、そうだったわね。驚きすぎて何の話をしていたかも、忘れかけていたわ。畏怖っていうのは、人間や妖から恐れられている度合いのこと。それはすなわち、妖が妖たる力の源よ」


 どれだけ恐れられているか、それが妖の力となる。あさぎは、凪の説明を噛み締めて頷いた。あさぎが話について来ていることを確認して、凪は続きを口にした。


「畏怖は、二十年に一度更新されて、階級が決まるわ」

「階級が変わることもあるの?」

「建前上はね。ほとんど変化することはないし、甲族については何百年も変わっていないわ。甲族の畏怖は圧倒的なのよ」


 そう言う凪の声が暗い。凪は甲族の一員であるから、それを誇らしく思っているのかと、思っていたが、そうではないらしい。


「凪は、階級が悪いものと思っている?」

「まあ、良くはないと思っているわ。でも、さっきのような状況では、甲族であることを使わないと、仲間を助けられない。矛盾しているわね」


 佐奈は、凪の袖を掴み、何度も首を振った。そんなことはないと伝えているのだ。


「ありがとう。一気に色々聞いて疲れたでしょう。お茶にしましょうか。お茶請け、何がいいかしら」

「”どら焼きが、いい”」

 佐奈がそう口を動かすのが見えた。あさぎはそれを凪に伝える。


「凪、どら焼きがいいって、佐奈ちゃんが。私も食べたい」

「分かったわ」

 凪がにっこりと笑って、楽屋を出た。袖を引っ張られていると思ったら、佐奈の手があった。


「”ありがとう”」

「どういたしまして」

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