睡蓮の花―3
表玄関に戻ってきたところで、外で何か騒ぎが起きていることに気が付いた。あさぎは閉められていた表の戸から外に出た。幸い鍵はかかっていなかった。
黄昏座の目の前で、眼鏡をかけた小さな少女が、二人組の男たちに絡まれている。男たちはだらしなく着崩した服に、粗野な言葉遣いで声を荒らげている。通行人も煙たがる表情をしながら、通り過ぎている。小さな少女が嫌がっているのは、見て明らかだった。
「何してるの!」
あさぎは迷わず少女と男たちの間に入った。男たちの目線があさぎを捉えた。見下ろされる形になった。少し、怖い。
「は? 何だてめえは」
「小さな女の子に向かって、何してるの。嫌がってる」
キッと睨みながらあさぎは、男たちに言い返した。何とか声は震えなかった。怖かったが、小さな少女に声を荒らげている彼らへの腹立たしさの方が上回っていた。
「
「それとも何か、お前はお偉い
男たちが何を言っているのか、全く分からなかった。言い返す言葉が見つからず、黙っていると、突然右の手首を掴まれた。
「痛っ」
「おい、見ろよ。こいつの花紋、ほとんどないぜ」
「こんなに薄い紋なんて見たことがねえ。よっぽど弱いんだな。雑魚がしゃしゃり出てくんじゃねえよ」
男たちは花紋を嘲笑った。ここでようやく、男たちが妖であることを理解した。あさぎの手は、男に投げ捨てられるように離され、体勢を崩し、後ろによろめいてしまった。そのまま少女にぶつかってしまった。
「わっ、ごめん。大丈夫?」
少女は首を横に何度も振っている。不安そうな表情をして、何も話さない。よっぽど怖い思いをしたのかもしれない。
少女の手を掴んで走って逃げるか。でも、きっとすぐに追いつかれてしまう。周りに助けを求めるにしても、関わりたくないと目を逸らされる。どうすれば……。
「
ふいに黄昏座の中から、凪の声が飛んできた。小走りでこちらに向かって来る。男たちは何人来ようと同じだというように、態度をさらに大きくした。
「こいつらの仲間か? 邪魔だから失せろ」
「ええ。この二人はわたしの友人よ」
「だから失せろって――」
「蘭家の友人たちに、何の用かしら」
凪の言葉を聞いた途端、男たちの顔が引きつり、血の気が一瞬にしてなくなった。顔面蒼白とはまさにこのこと。
「な、なんで甲族がこんなところに」
「そんなことより、早く逃げるぞ」
男たちはもつれる足を何とか動かして、通りを走り去っていった。あさぎには何が何だか分からなかったが、とにかく助かったようだ。
「ありがとう、凪」
「いいえ。黄昏座に蘭家の者がいることを知らないってことは、浅草の者じゃないわね。全く……。大丈夫だった? 佐奈」
小さな少女がこくんと頷いた。凪の知り合いだったらしい。
「あさぎ、もう佐奈と会っていたのね。助けに入ってくれて良かったわ」
「会ったというか、ついさっき。佐奈ちゃんっていうんだ。あまり役に立てなくてごめんね」
「黄昏座の一員だって知らなかったのに、助けに行ったのね。すごいわ、あさぎ」
凪に感心されて、少し照れくさかった。
男たちを追い払った少女、凪に通行人たちから訝しげな視線が向けられていることに気付き、あさぎたちは、黄昏座の中に入った。改まって、三人向かい合った。
「こちらは、黄昏座の脚本を書いてくれている、佐奈。覚の妖よ。こちらは昨日ここに泊まった、あさぎよ」
凪が手袋をした手で少女を示し、もう一方の手であさぎを示し、お互いに紹介してくれた。先ほど寧々が言っていた、もう一人の座員が、この子だったらしい。しかも、覚。昨日の芝居で知った妖そのものだ。
「……
それだけ言うと口を閉じた。自分の番だと思い、あさぎは佐奈に目線を合わせてにっこりと微笑んだ。
「えっと、初めまして。昨日琥珀に傘を借りて、今日黄昏座を見学してる、あさぎです」
自分で言っておいて、不思議な自己紹介だった。佐奈は一つ頷いた。会話が止まってしまった。絶妙な沈黙にあさぎが戸惑っていると、凪が双方への助け舟を出した。
「説明不足だったわね。覚は、自分の名前以外を口にすることを禁止されているの。相手の心の声が聞こえてしまうから、それを他人に口外しないため、だそうよ」
「え、でも昨日の芝居では」
「そうね。あれはあくまでも物語の中での設定、ということよ」
「そうだったんだ」
心の声が聞こえているということは、さっき助けに入ったとき、不安に駆られていたことも伝わっていたということだろうか。余計不安にさせていたのかもしれない。
「うーん、申し訳ない……」
「”来てくれて、安心、した”」
佐奈の唇が動いて、そう言葉を紡いだ。声にはなっていない。音声は伴わず、口だけがパクパクと小さく動いている。
「良かった」
「ん? どうしたの?」
凪があさぎに対して首を傾げている。状況も落ち着いたところで、先ほどの騒動の中で気になっていたことを聞いてみることにした。
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