天気雨―5

「こ、琥珀?」

「ああ、そうだ」


 琥珀の姿は、およそ人間のものではなかった。琥珀色の髪の間から、ピンと天に向かって立つ獣の耳があり、背後には、豊かな黄金色の尾がゆったりと揺れていた。


「ちょっと、琥珀。妖姿あやかしすがたになるなら先に言って。もしも人間に見られたらどうするのよ」

「その時は、即気絶させれば問題ありませんわ。勝手に夢だと思いますもの」

「花音、言うことが怖いわ」


 琥珀は、二人に促すように目線を送った。凪と花音は、同じように目を閉じると、二つの突風が巻き起こり、そして弾けた。


「わあ……」

 凪は、髪がほどけて緩やかな曲線を描き、何より目を引くのは、小紋の裾から見えているのが、足ではなく魚の尾であること。


 花音は、黒い髪が雪のように真っ白になり、瞳が透き通る青色に変化している。その周囲だけ温度が低いような気がする。


「三人とも、本当に妖なんだ。かっこいい……」

「俺たちのこの姿に驚きはしても、怖がらない時点で、あさぎも妖ってことなんだがな」

「そっか。私も、そうなんだった」


 琥珀のふさふさの尻尾が大きく揺れる。怖さは感じないし、それよりもどこか親しみを覚える。この感覚が、自らも妖だという証なのだろうか。


「俺は、狐の妖。凪は人魚、花音は雪女だ。まあ、割と見たままだがな」

「琥珀は、覚っていう妖じゃなかったんだね」

「ああ、あれは役だからな。俺たちは色々な妖の役を演じる。そのまま狐や雪女をやることもあれば、烏や付喪神、犬神、大蛇――」


 三人の妖の姿を見ただけでも許容量がいっぱいなのに、一気に新しい情報が投げかけられ、あさぎは頭の中が混乱してきた。視界がぐにゃりと歪む。


「おっと」


 畳に体が直撃する前に、琥珀が腕で支えてくれたらしい。眩暈はすぐに収まり、大丈夫だとあさぎは口にした。

 格子窓の蓋を取った花音が外を見て、あら、と言って口元に手を当てた。


「もうすっかり日が落ちていますわ。わたくし、帰らなくてはなりませんわ」

「そうね。今日はここまでにしましょう」


 凪の言葉で三人は姿を元に戻した。花音はさっさと帰り支度を進めている。帰る、と聞いて、あさぎの中に一気に不安が湧き上がってきた。帰る場所など、知らない。芝居のことや新しい知識のことで気が逸れていたが、急に不安になってきた。


「あさぎ、今日の泊まるあては?」

「……ない。どこか、宿を教えてくれない?」

「宿って言っても事情が事情だしな……」

「ごめんなさい」

「謝ることじゃないわ。一番困ってるのはあさぎだもの」

 凪が、手のひらでゆっくり背中をさすってくれる。不安な気持ちが少し和らぐような気がした。


「じゃあ、ここの楽屋、狭いけど使うか?」

 琥珀の提案を聞いて、自分のブーツを履き、帰りかけていた花音が慌てて戻ってきた。


「座長、ここに泊めるなんて本気ですの? もし彼女が、その、盗人だったらどうしますの。記憶喪失だって、嘘かもしれませんわよ」

「ちょっと花音っ」

「もし盗人なら俺らにわざわざ姿を見られたりしないだろう。花音はさっきまでのあさぎの言動が演技だとみるのか」

 花音は、一瞬悩む素振りを見せたが、琥珀に面と向かって言った。


「わたくしたちよりも、演技が上手い、という可能性もありますわ。もしそうであれば、役者の端くれとしては悔しいですけれど」

「まあ、確かにその可能性は捨てきれない。俺も、一から十まで信用してるわけじゃない。だから、俺も一緒に泊まる。それで問題ないだろう」

「えっ」


 あさぎは、思わず声を上げた。琥珀と二人で泊まることで今日の宿が解決するのなら、それしか選択肢がない。が、男の人と二人というのは、緊張してしまう。


「じゃあ、この姿でどう?」

 琥珀はその場で変化し、初めて会った時の、女学生の姿になった。これならば、あまり緊張せずに済みそうだ。あさぎはこくりと頷いた。


「でも、本当にいいの? 今日初めて会った私を、泊めても」


 花音の言い分も正しいのだ。初対面の者に親切にして、宿まで提供してくれるなんて、滅多にないことだと、記憶がない状態のあさぎでも、理解はしている。


「妖のための芝居小屋って言った手前、芝居に招待した客を放り出したなんて、聞こえが悪いだろう」


 口端を上げた微笑みと共に、琥珀はそう言った。それが本心なのか、分かりにくい。だが、座長である琥珀に、いいと言われたのだから、ここに居ていいらしい。


 琥珀の決定で、場はお開きとなった。





 楽屋の一つに布団を二枚敷き、そこで眠ることにしたのだが、あさぎは、すやすやと寝息を立てている。


 琥珀は、起き上がり、あさぎの様子をじっと見つめる。起きる気配は全くない。琥珀は、変化しているのが面倒になり、本来の青年の姿に戻した。


「盗人じゃないにしても、色々と警戒はしてたんだけど。警戒してるこっちが馬鹿らしいくらいに、警戒心ないな」


 琥珀は、小さく笑うと、あさぎの顔にかかった髪を耳にかけさせた。少し身じろぎしただけで、あさぎは目を覚まさない。


 花紋のことや、あまりにも妖のことを知らないところから見ても、記憶喪失であることを疑っているわけではない。何か企んでいるのでは、とも考えたが、それもなさそうだ。初めて見たという芝居の台詞を、あさぎは一言一句間違えることなく、そらんじてみせたことは、少し興味をそそられる。


「一体、何者なんだろうな」


 琥珀の呟きは、誰に聞かれることもなく、夜に溶けていった。

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