弐:夜離れ

妖怪あやかしか? 病に侵されたわしの魂なんぞ旨くないぞ」


 わしの正体をはじめて見破ったのは、僧侶の類いや陰陽師ではなく、ただの人間の小僧だった。

 人間共の詳しい身分なぞわからんが、どうやら貴き人と呼ばれる身分のものらしい。

 そこらにいる田畑を耕す者どもよりも上等そうな服と、男の子のようだが白粉の塗られた肌に、肩に当たりそうな長さで切りそろえられた女子の様な髪型は珍しかった。やつは、侍のような溌剌さや野蛮さがなく、どことなく儚げな雰囲気が印象的じゃった。


「おめえ公家ってやつか?」


 この頃のわしは、農民言葉しか知らんかったからのう。そう聞いてやったんじゃ。すると、奴は細い目を更に細めて、薄くて血色の悪い唇の両端を持ち上げて喉の奥から零すようなクククという小さな笑い声を漏らす。

 細い喉は女子おなごのようなのに、少し掠れた声を出すものだから喉仏がなけりゃあ、やつが男だとは気がつけなかったように思う。まあ、人間の雌雄など当時のわしはあまり気にしていなかったが。


妖怪あやかしも、人様の身分なんて気にするんじゃなぁ」


「身分なんて気にするもんか! ここいらでおめえみたいに綺麗な格好をした人間は見ねえから、気になっただけだ」


 喋る鳥に物怖じせずに、笑いを零す人間というものが面白くてわしは公家の小僧としばらく話し込んでいた。


「わしの名は夜離よがれ。また会いに来てもかまわんぞ?」


「おめえが暇なんだろ? 仕方がねえから会いに来てやる」


 日が高かったはずなのに、気が付けばもう夕暮れ時だった。

 ぱたぱたと人が近付いてくる音がすることに気付いたわしは、羽を広げて飛び立とうとした時だった。

 やつが名を名乗りながらそういうものだから、売り言葉に買い言葉というやつでついそう返してしまったのじゃ。

 まだ可愛い童の頃じゃ。妖怪あやかしとしての力もまだまだ低い。夜になって小鬼に食われてしまったらしまいじゃからな。

 わしは屋敷を離れ、ねぐらへ戻ることにした。

 その日は、人の生気も魂も食わずとも満ち足りた気分になっていた。今思えば、夜離よがれが駄々漏らしにしていた生気を食ったつもりがなくとも食っていただけだろうが。


「また来てくれたのか、鳥の妖怪あやかし。おまえは他の鳥と変わらん見た目だから目立たなくて良いな」


「け。まだ力が足りねえから体も大きくならねえし人に化けられねえんだよ」


「わしの魂をやれば、お主は強くなるのか?」


「どうだか。死にかけのあんたの魂を貰っても大した足しにはならねえさ。あんたが陰陽師や呪術師の血筋ならともかく」


「そうか。それはそれとして、早く村の話を聞かせておくれ」


「へいへい」


「なあ、妖怪あやかし、知っているか? 恋というものは人を狂わせるらしいぞ。好き合っている者どもの話をわしはもっと聞いてみたい」


 夜離よがれは、わしが縁側へ現れると襖を開いて招き入れてくれた。

 他愛のない話を交わすだけの日々が続いていたが、日に日に奴が弱っていくのはわしの目から見ても明らかだった。


「わしはもうすぐ死ぬのかのう」


「まあ、そうだろうな」


「まだまだ人の恋について知りたいというのに」


「くだらんことが言えるなら、まだ死なねえなきっと」


「わしが死ぬ前に、お主が食ってくれればいいのにのう」


 頬がこけ、艶やかだった髪は徐々にぱさついていき、血色の悪かった唇はかさついてひび割れが目立つようになった。

 夕方になれば来ていた使いの者も、病が移るのを怖れてか徐々に部屋へ訪れる頻度が減っていった。

 ある夜など、胸を押さえて苦しむ夜離よがれの声が聞こえているにも拘わらず、部屋の様子すら覗きにこなかった。

 人間のことはわからないが、夜離よがれの瞳に深い絶望の色が滲んでいたのをよく覚えている。

 使いの者がこないものだから、わしが部屋に入り浸る時間は増える。そうすると、無意識に垂れ流しているやつの生気をわしが無意識に食う。

 夜離よがれの元気はどんどん無くなっていき、反対にわしの力は増していった。


「のう、妖怪あやかし知っているか?」


「おめえ、喋るのも辛そうだな。なんだ」


 もう頭すら持ち上げられなくなっていた夜離よがれの部屋へ、わしは勝手にあがるようになっていた。

 もう人もほぼ来ることは無く、綺麗だった召し物は糞尿に塗れていた。見かねて汲んできた水で流したりしてやったがのう。それに気付くものもいないほど、晩年のやつは放っておかれていたのじゃ。わしが人の下の世話をしたのも、あの時きりじゃのう……。


「お主はな、夜になると翼が淡く輝きとても綺麗だということを」


「ああ、そうかい」


 もうすぐ死ぬんだとわかっていた。生気を食ってしまっていることくらい気付いていたが、それでも、わしはこいつの魂を食ってしまう気にも、一気に生気を吸って殺してしまう気にもならんかった。

 今でならわかる。わしなりに、こいつのことを好いていたのだということが。


「死の淵が近いからか、あの山にも、川にも浮かんでいる人魂がよく見える」


 枯れ枝のように痩せ細った腕を、震わせながら持ち上げた夜離よがれは、わしの後ろに見える外の景色を指差した。

 すっかり日が落ちた夜の世界では、ぽつりぽつりと人魂が揺蕩っている。そこらへんで野垂れ死んだ人間のもので、放っておけば当時のわしのように弱い妖怪共が食ってしまうものだ。


「お主は、このように綺麗な世界を見ているのか」


 ぽつりと、そう漏らしたあと、夜離よがれはわしの嘴をそうって撫でて、力なく腕を落とす。

 声も枯れ、目に宿っていた僅かな光も潰えようとしているのがわかった。


「くくく……死に損ないの公家を何故、田舎で丁寧に籠で囲って閉じ込めていると思う?」


 ほっそりとしていて長い喉に似つかわしくない喉仏を揺らし笑う夜離よがれだったが、その目尻からは一筋の細い涙が溢れている。

 翼では拭えず、嘴で目を突いてしまうのも怖かったわしは、ただ、奴の独白を聞くことしか出来ずにいた。


「わしは、母親が呪術師に孕まされた子なんじゃ。都に恨みを持って死なれたら呪いや祟りを起こすと怖れられたのだろう」


 汚れた布団の上で、握りしめられている骨張った手はよく見ると爪が食い込んで血が滲んでいた。死に損ないの体のどこからそんな力が出ているのか、当時のわしが不思議に思い長い首を伸ばして奴に近付くと、持ち上げられた両腕がわしの嘴をそうっと包み込んだ。


「わしの魂を食ってくれ。このまま狭い檻の中で朽ちていくのは嫌じゃ」


 甘い匂いがした。絶望した魂が煮立ってぐつぐつと泡だっているような、上質な魂の香り。

 思わず生唾を飲み、じいっと美味そうな匂いのする夜離よがれに見入ってしまう。


「お主に食って貰えば、この先ずっとお主が見るものも食べるものも感じることもわしも一緒に感じられる……そう思うんじゃ」


 すぐに体を横たえ、しばらく咽せるほどの咳をした夜離よがれは吐き出した血で汚した両手をわしの嘴へ突っ込んできた。


「バカか」


 このまま肉ごと食ってしまいたい気持ちになりながらも、わしは頭を背け、夜離よがれの手を口から吐き出してから、涙とよだれと血でべしょべしょになっているやつの鼻先に自分の嘴を突きつけた。


「食っちまったら俺の中で溶けてクソになってしまいだ」


「それでも」


 言葉を続けようとした夜離よがれの言葉を、わしは首を横に振って否定した。

 

「成功するかわからんが、あんたの魂をわしのものと混ぜりゃあいい」


 風の噂で知っていただけだった。どうやら魂を混ぜる術があるのだということを。

 今にして思えば無謀でしかないのじゃが……血の匂いと美味そうな魂の匂いで浮かされた幼いわしは、出来ると思い込んでいたんじゃろう。


「頼む、妖怪あやかし、わしをあんたと一緒にいさせてくれ」


「ああ、それじゃあ、名を貰おうか。おいらは名無しのチンケな妖怪あやかしだが、名を与えられれば強くなる。そうすりゃ、あんたの魂をきっと俺の中へ混ぜられる」


「ああ、それなら容易い御用じゃ。お主と会った時から名前を決めていた。お主の名は■■■■じゃ」


 真名はいくら親しいお主たちにも教えられないがのう。

 奴に名を与えられ、わしはほんの少し力を得た。

 体の内側から溢れ出た青い炎は、夜離よがれの乾いた枯れ枝みたいにやせっぽちになってしまった体を焼き尽くし、一つの綺麗な人魂へと変えた。

 その人魂は……透き通るような空色で、他のどんな人魂よりも美しかった。未だに、あれほど美しく美味そうな魂は見たことが無いくらいにのう……。


 わしは足を折り曲げて、心の臓近くへ夜離よがれの人魂を押し付けた。本物の炎に似て、その人魂に触れたわしに体はじわりじわりを灼ける様な痛みを味わったが、それと同時に蕩けるような甘さも体の内側へと染み渡ってくる。

 あの時の感覚は、正確に覚えているには時が経ちすぎてしまったが……。

 燃え上がる青い炎が人からも見えたのか外からどたどたと騒がしい物音が聞こえてきたのを喧しいと思ったのを覚えている。


「ああ、夜離よがれ、本当にお主は……籠の鳥だったんじゃな」


 やつの生まれてからこれまでの短い記憶が溶け込んできて、人魂がわしの体を覆い尽くすと同時に襖が開いた。


夜離よがれ様……そんな」


 襖を開くと同時に部屋へ入ってきたのは、刀や槍を手にした武人たちだった。

 しかし、武人たちはわしに斬りかかることなく、その場に跪き頭を垂れる。

 妙に思って自分の体を見回してみると、どうやら人の姿に化けていたらしい。やつが言っていたというのは、どうやら本当のことだったらしい。


「お主たちがわしにした仕打ち、忘れるでないぞ」


 武人共は、しょせん雇われた田舎侍なのだろう。糞尿塗れになり、飯もろくに食わせなかった主人が元気に立っていることをおかしいと思うだけの知恵がなかったのか、昨日今日雇われたのかまではわからんが、やつらはわしを夜離よがれと見間違っているのだとすぐに気が付いた。

 ゆらりと頭を揺らすと、肩あたりで切りそろえられた黒髪がシャラシャラと音を立てる。ああ、そうか。初めて出会った時のこいつは確かにこんな綺麗な黒髪をしていたな……と懐かしく思いながら、わしは目の前にいる夜離よがれの家来たちに少し意地悪をすることにした。

 ここに来たやつらにも、この屋敷にいながら、主を見殺しにした愚か者共にも。


「同じ苦しみをわしを放っておいた者どもに振りまいてやろう。なに、子々孫々まで祟るつもりはない」


 夜離よがれの持っていた怒りと恨みが、腹の底からわき上がってくる感覚がした。それは黒い霧の形になり、わしの口から勝手に吐き出された。

 辺り一面に満ちた黒い霧を吸い込んだ武人達が咽せている間に、わしは開いている襖から縁側へと飛び出し、元の姿へと戻って逃げおおせた。

 あの武人たちがどうなったのかも、夜離よがれの親族がどうなったのかも興味は無い。


 それからじゃった。そこら中に浮かんでいる人魂たちがやけに気になり始めたのは。

 寄り添っている人魂を戯れに捕まえたところ、そいつらは好き合っていたが結ばれないことがわかり、無理心中したのだと記憶を少し読んで理解した。

 それを面白いと思う感覚は、かつてのわしにないはずなのじゃが……おそらく、夜離よがれを取り込んだことの影響なのだろうと思うと、悪い気はしなかった。

 わしが悲恋の末に別れた人魂の番を飼うようになったのは、そういうきっかけじゃ。

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