夜離れ

こむらさき

壱:逢瀬

「わー! でっけえ鳥!」


「ほんとだ! 大きな鳥さん!」


「ひっひっひ……やんちゃな坊主とおてんばな娘じゃのう」


 タキに似た漆黒の短い髪を揺らす紅い目の小僧と、夜刀ヤトに似た銀色の髪を靡かせている翡翠に似た瞳の娘は、わしが門前に姿を現わすなり歓声を上げて体へよじのぼってきた。人の子の年齢はわからんが、年は五つか六つだろうか。

 妖怪あやかしの童というのはめずらしいものだが、人の子と変わらないように見える。違いと言えば……二人のこめかみに生えた小指の先ほどの黒い角くらいだろうか。

 鯁魚りょうぎょに乳を与えられ、頑健な体と不死に近い怪我の治癒能力を得た娘と、人間を喰わぬ誓いを立てた妖怪神あやかしがみが番になってからもう十年だった。


灯夜とうや翠炎すいえん逢火おうび様に迷惑をかけてはいけませんよ」


 豊かな黒髪をまとめ、柿色の着物の袖を白いタスキで止めたタキが、慌ててこちらへ駆け寄ってくるのが見える。

 一見、農村の娘にしか見えないこの娘が都でも怖れられている戦女神だというのだから、本当におもしろい娘を妖怪こちら側に変化させてしまったものだなと思う。


夜刀やとは元気か? 子供が生まれたと聞いておもしろそうじゃから来てみたが」


「ちょうど竃に火を入れていまして……。手が離せないので逢火おうび様のお迎えにはわたくしが参りました」


「あいつが竃にのう……」


 妖怪あやかしにとって十年なぞ長い時間でもないはずじゃが、夜刀やとはタキと出会ってから次々と愉快なことを起こすので、以前より足繁く顔を出すようになった。

 巫女に騙し討ちをされて神をしていただけの頃などは、つまらんから顔も出さなかったが……。


「ほら、降りてらっしゃい」


「わしが人の姿に化ければいいじゃろう」


 わしの上で飛んだら跳ねたりする童たちを見かねてか、タキが心配そうな声を上げるものだから、わしは両翼を広げてから、人の姿へと化ける。

 さっきまで背中の上で騒いでいた可愛い童たちは、きゃあきゃあ喜ぶばかりで、縮んでいくわしの体から退こうとはしない。


「ひっひっひ! じじいが喰ってしまおうぞ?」


「きゃあー! 大きな鳥がお兄さんになったわ」


「ふわふわ! これ羽毛?」


 両手に童たちを抱き上げながら顔を近付けて脅してみても、こいつらは驚いたり怖がったりしないらしい。なんとも胆力のある童たちじゃ。


「これこれ勝手に髪を結ぶな。まったく……」


「こ、こら! 翠炎すいえん、やめなさい」


「ひひ……鬼をものともしない母君も童たちには弱いようじゃな」


 抱き上げたままでいると、娘の方……翠炎すいえんがわしの髪を勝手に組紐で結びはじめた。髪をひっぱられたじたじになっていると、わしの腕からするりと地面へ滑り降りた黒髪の男の子おのこが、右手に吊るしている藤の丸籠をじいっと見つめている。

 中に入っている魂たちは、かつて子がいたのか、それとも結ばれて子を持つことを夢見ていたのか、無垢な視線を心地良さそうに受け止めながらふわりを揺れた。


「ああ、これが欲しいか? なら今度来るときに作ってきてやろうかのう」


 娘の方を地面に降ろしながら、わしは灯夜とうやの頭に手を置いてそう訪ねた。

 そろそろ幾つかの籠が旧くなっていたところだ。人里に降りて金具でも仕入れるかと思っていたし、幾つかわけてやるのも悪くないだろう。わしのように人魂を入れても、そこらにいる虫でも鳥でも捕まえて入れても良いじゃろう。


「ほんとうに? 鳥のおじちゃん、ありがとう!」


「なに。ちょうど新しいものを作ろうと思っていたからのう」


「色々すみません……、ありがとうございます」


「ひひ……じじいは稚児にものを与えたがるもんだ。わしは夜刀やとが生まれる前からここらに棲み着いているからのう。昔はわしも可愛い若鳥じゃったが……」


 頭を深々と下げるタキにそう言ってやると、顔を上げた彼女が目を丸く見開いてわしを見ていた。


「なんじゃ? わしにも可愛い可愛い童の頃くらいあるに決まっておる」


「そ、それは、理屈としてはわかるのですが」


 二人の童を抱えているタキは困ったように笑う。

 そんな母親の表情には気付くことなく、抱えられてキャッキャと喜んでいる童を見ながら、屋敷へ向かうタキの後ろをついていく。

 二人ともそれなりに格の高い神だというのに、眷属を余分に置かない奥ゆかしさは、ヤツららしいといえばらしいのじゃが。

 まあ、村娘と妖怪あやかしあがりの神じゃ。貴族のやつらのように人を侍らすことにも慣れてないじゃろうしなぁ。

 久し振りに、昔のことを思い出す。都から追い出されてきたという烏の濡れ羽色をした童のことを。


「鳥のおじちゃんの小さな頃のお話ききたい!」


 後ろを振り向いた翠炎すいえんが、無邪気に笑う。それに釣られて灯夜とうやも「おれもおれも!」とタキに担がれながら体を揺すって大きな声を出した。


「ひひひ……ならば、お主らが寝る前に話してやろうかのう。わしが人の魂を集めるようになった頃の話を」


「ずるい!」


 先ほどまで母親の顔をしていたタキが、出会った時のような少女のような表情を浮かべてから、しまったと言いたげに口ごもる。

 コロコロと表情が変わるのも、普段は大人ぶっているのに時折、子供らしさを垣間見せるタキのこういうところが初めて会ったときから面白いと思っていた。


「タキにも聞かせてやろう。わしからしてみれば、お主らの年齢は誤差みたいなものじゃからな」


「ありがとうございます。楽しみにしています」


 わしと寝る! などと言って夜刀やとが怒るのはおもしろそうじゃしのう。そんなことを思いながら、屋敷の中へ足を踏み入れる。

 どこからか穀物が炊ける良い香りが漂ってくるが、これは夜刀やとが用意している夕餉なのだろうか。

 神である夜刀やともタキも、その子供たちも本来なら食事など必要としないはずじゃが、こうして人の真似事をした営みも豊穣を司る神としては悪くないことなのかもしれないのう。


逢火おうび、よく来たな。ちょうど俺が飯を作ったんだ。食って行けよ」


「氷のように冷徹な白鱗山の主が、のう」


 出迎えてくれた夜刀やとがあまりにも得意げにいうものだから、かつての常に陰鬱な雰囲気を漂わせていて無表情だった時と比べてしまう。

 タキが妖怪あやかしに変化したときに切断した片方の角は、十年の月日を経る間にすっかりと元通りに治っていた。山里が豊かになり、豊穣神としての格が上がったからだろう。


「俺の氷は、きっとタキが炎で溶かしてくれたんだろう。お日様みたいな女だからな」


 喉の奥を慣らすようにくっくっと笑うと、夜刀やとは怒るどころか自分の嫁ののろけまでする始末だ。

 あの時、わしがタキを拐かしていれば、わしもこのようになったのか? いや、そんなことはありえないのじゃが。

 あのとき、手を貸してやってよかった。おもしろいものがこれからも見れそうじゃ。


「ひっひっひ。昔のお主なら怒ってわしのことを殴ろうとしていたものを」


「殴られてえなら、殴ってやるが」


「そういえば、タキが今晩はわしと寝たいと言っていたぞ」


「はあ?」


「ひっひっひ」


「待て」


 少しからかってやると、夜刀やとはわしの胸ぐらを掴むために腕を伸ばしてきた。それをスッと避け、わしは客間へと走って行く。

 襖を開き、縁側から畑が見えるいつもの部屋へ行くと、赤い漆で彩られた箱膳が並んでいた。

 二つ並べてある箱膳の向かい側にも箱膳が大きなものと小さなものが二つ並べてある。

 大小並んでいるのが、タキと童たちのものだろう。


「あら、ちょうど夕餉を並べ終わったところです」


 にこやかに微笑んでわしを迎えてくれたタキの横で、童たちが鬼火で作った眷属たちと一緒に皿を並べている。


「タキ! こいつと一緒に寝るってのはどういうことだ?」


 わしの後ろから荒々しい足取りで客間へ踏み入れた夜刀やとは、タキを見ると少し慌てた様子でさっきのわしとのやりとりの詳細を問い詰めようと声を少しだけ荒げる。


「ああ、夜刀やと様、逢火おうび様が寝る前に子供達とわたくしに、小さかった頃のお話を聞かせてくれるんですって」


 どういうことかわからないタキは、きょとんとした表情を一瞬だけ浮かべたがすぐに柔和な笑みを浮かべながらわしを見てそう応えた。


「……てめえ」


「ひっひっひ……何も嘘は言っていないがのう」


「さあさあ、せっかく夜刀やと様が作ってくれた夕餉です。いただきましょう。お二人とも席について」


 立ち上がったタキは、わしの胸ぐらを掴む夜刀やとの手にそっと自分の小さくて細い手を重ねた。


「そうだな」


 少し怒りながらも、昔のように殺気を込めてこないあたり、こいつもずいぶん丸くなったようだ。

 童たちも行儀良く箱膳の前に正座をして座っている。


「夏になる前には籠を作って持ってきてやろう。この子たちは人の子と同じ速度で大きくなるようだからのう」


 そういってやると、わしの横に置いた籠をちらちらと見ている童達は「きゃあ」と歓声をあげて抱き合いながらよろこんだ。

 その様子にどこか懐かしさを感じながら、わしは食事を口にする。

 人の子が食べるものの美味さは、正直よくわからないが、茶碗に盛られた穀物からも、木を削った皿に盛られた漬物も、葉に包まれて蒸された魚もどれも食べる相手を思いやる心のようなものがこもっている。

 タキが作った漬物とやらもそうだったが、陽だまりの様な温かさが体の内側に広がっていくような奇妙な感覚を得られる。

 あの時、わしが最初で最後と決めて人の魂を己が内側へ溶け込ませた時も似たような感覚だった気がするが……もう細かいことまでは覚えていない。


「あの夜刀が、こんなものを作るようになるとはのう」


「なんだよ」


「美味いということじゃ。なあ、童たち」


「そうだよ! 父様のごはんもおいしいよ! たまに焦げたり塩っ辛いけど」


「今日はとくにおいしいや!」


「お前たち!」


「ひひひ……子というものは正直でいいのう」


 失敗をバラされて、子供を照れ混じりに叱る夜刀やとと、それを微笑みながら見守るタキを見て、本当に愉快なことになったと思う。

 出会ったときから、妙な気配を漂わせていたタキが、あの仏頂面の主を変えるだろうとは思っていたが……。


「さあて、寝る前に話をしてやろう。わしがお主らみたいな童だったころの話じゃ」


 鬼火の眷属達が箱膳を下げたのを見計らって、わしは丸籠の蓋を外して部屋に番の人魂を放つ。

 ふわりふわりと風に煽られる綿毛のように部屋に解き放たれた人魂が高く舞い上がり、部屋中を青白く照らしている。

 そっと席を外したタキが行灯の光を消すと、童達は「鳥のおじちゃん、早く」とわしの羽織の袖をひっぱって話を催促する。


「そういや聞いたことねえな。俺も聞いてやるか」


 タキの隣であぐらをかいた夜刀やとの膝の上に童達が無遠慮に乗っかる。

 四人の観客を前にして、わしは遠い遠い昔話をはじめることにした。

 青鷺の子として生まれたが、どうしてか他のヤツらと馴染めず、自分が魚よりも人の生気や魂を食うのが好きだと気が付いた頃の話を。

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