○△□

 一九四一年(昭和十六年)十二月――。


 戦艦〝駿河〟を含む南方部隊本隊は、イギリスの戦艦を求めて南下していた。

 こちらの戦力は、戦艦二隻、重巡二隻、駆逐艦一〇隻。戦艦は最新鋭の駿河型が揃っている。

 指揮官は近藤信竹中将。〝駿河〟に長官旗を掲げていた。

 九日も日が暮れて、午後八時三〇分二〇三〇を過ぎていた。

「続報はないか?」

 近藤中将は今日、何度同じ事を発したか……。

 第一航空部隊が発見した敵の位置を信じるならば、そろそろ接触してもおかしくない時刻だ。

 しかし、艦橋から見える外の景色は、窓に暗幕でも掛けてあるように暗い。

 空は雲が立ちこめ、波も高く、時より南国特有の豪雨が降るかと思えば、霧雨と……視界は最悪だ。

 配下の艦隊の明かりも最小にしている。後ろに〝尾張〟が付いて来ているはずだが、姿は確認できない。たまに煙草の火のような小さな光が見える気がした。

 恐らく、それが〝尾張〟だろう。

「まだありません。午前〇時〇八分〇〇〇八に月出の予定ですので、〝愛宕あたご〟と〝たか〟から索敵機を出してはいかがでしょうか?」

「そうだな。いつまでも人の索敵を頼ってはいかんな」

 近藤中将は英艦隊のこれ以上の接敵は不利と認め、一旦仕切り直しすることを決めた。

 そのために、艦隊の針路を九〇度――真東――に向けたときだった。

「〝尾張〟より、右舷に敵らしき見える!」

 艦橋に伝令が飛び込んできた。後方の〝尾張〟が何かを発見したらしい。

 続けて、

『敵艦見ゆ! 四時の方角!』

 この間の見張り要員からの報告が上がった。

 艦橋の者が一斉にそちらを、四時の方角……右後方を見る。

(波間の合間に何かいるのか?)

 近藤中将の目には見えなかった。暗く不気味な海原が続いているだけだ。

 しかし、見張り要員は、伝統的に夜目が利くものばかりを集めている。彼等が言うのだから、そこに何かがいるのだろう。

「大型艦らしきもの一、方位一七〇度、距離約三五〇〇〇」

 正確な続報が入ってきた。

 この闇の中で、敵艦の僅かに漏れた光を掴んだのであろう。

 発見した大型艦は一隻と言うが、確かイギリスの戦艦は二隻との情報だ。まだ見つけていないだけなのかもしれない。

「追尾に入る。戦闘配置につけ。艦隊針路一七〇度」

 号令が掛かると、

「戦闘配置!」

「針路一七〇度、面舵一杯!」

 艦橋内は一斉に動き出した。

「夜間管制はどうされますか?」

 参謀の言葉に、近藤中将は応えた。

「そのまま、静かに後ろから近づく。闇討ちを与える」

 情報では、イギリスの戦艦は〝プリンス・オブ・ウェールズ〟と〝レパルス〟という。

 どちらも二八ノットほどの艦だ。駿河型は三〇ノットを誇る高速戦艦。相手が、最大速度で逃げてもこちらは十分追いつく計算だ。

 しかし、駿河型の正面を向く砲は各艦四門しかない。そこで〝駿河〟と〝尾張〟は横並びの陣形を取った。これで倍の八門になる。

 距離三五キロメートル三五〇〇〇であれば、搭載するの有効射程距離だという。だが、もっと近くで……命中率を上げるためにも、三〇〇〇〇以下まで引き寄せたかった。

 この間にもジワジワと、歩み寄っていく。

 距離三〇〇〇〇を切ろうとしたときだった。

『目標、転舵!』

 すでに砲撃準備を開始していたときに目標が舵を切ったらしい。針路一七〇度から三一五度へ、ほぼ北西へ舵を切った。

「丁字を取られたか! しかし、我々の接近になぜ気がついた」

 またこちらは夜間管制を解いていない。明かりは極端に絞られており、左隣に並んでいるはずの〝尾張〟でさえぼんやりとしか分からない。

 それなのに敵艦はこちらに気がついたようだ。

 しかも、こちらに右舷を向けて理想的な丁字戦法をとった。

『敵艦発砲!』

 こちらの進路を遮るように立ちはだかると、発砲を開始した。まだ数門がバラバラで、試射を行っている状態だ。だが、

「さすがは、英国海軍だな……」

 近藤中将は呟いた。試射でも命中は出ないが、前方を向けて突き進む〝駿河〟の周りに水柱が上がる。もしこちらも側面を向けていたら、夾叉と判断されてすぐさま斉射されるだろう。

『敵艦、キング・ジョージ五世級戦艦と見とむ!』

 発砲光で姿を露見したようだ。

 対峙している艦は、だとすると〝プリンス・オブ・ウェールズ〟であろう。

『観測機、射出始め!』

 こちらも砲撃準備のために、零式観測機を射出した。

 主砲の命中率を上げるためには、航空機による観測が効果的だ。

 その間にも〝プリンス・オブ・ウェールズ〟の主砲はジワジワと絞り込んでいく。

 そして、五射目についに相手側は斉射を開始した。

 四門二基、連装一基の四五口径三五・六センチ砲が火を噴いたのだ。

「こちらはまだ準備できんのか!」

 近藤中将は苛立った。

「お待ちください。まもなくです」

 艦長の高間大佐は落ち着いていたが、その間に一〇発の三五・六センチ砲弾が降りそそぐ。

 沸騰した海水が立ち上り〝駿河〟はその中に突っ込んだ。だが、敵弾命中なし。

『砲撃準備完了!』

 敵上空に観測機が到着し、8の字を描き信号を送った。交わる線の下に敵艦がいることを伝えてくる。

「試射開始」

 艦長の命令で一門ずつの試射を始めた。

 がうなりを上げた。

「スゴいな、最新式の四〇センチ砲はこれほどの衝撃か!」

 九四式四〇センチ砲の機密は、近藤中将にさえ及んでいる。まさか四六センチ砲とは思っていない。一門だけであったが、感じたことのない轟音と振動が船体を響かせた。

 続いて〝プリンス・オブ・ウェールズ〟の砲撃が降りそそいだが、今度も命中はなし。

「次に斉射に移ります」

 各砲二回ずつであったが、試射の精度が良かったのであろう。砲術長から斉射の許可を求められて、艦長は斉射に切り替えるつもりのようだ。

「うむ」

 近藤中将は短く答えた。

 弾頭を装填するために、砲は一旦水平に戻り、再び持ち上がった。まるで合わせるかのように連装砲二基、四門同時に行われる。

『準備良し』

「てーッ!」

 艦長の命令と共に、引き金が引かれたのだろう。

 突如、雷が正面に落ちた、と表現すべき轟音と閃光。新型の砲身の放つそれは、艦を武者震いのように震わせた。半分の四門でこれだ。後方の四門と併せて、八門で同時発射したらどれほどの力を、艦に与えるのか計り知れない。

 見れば〝尾張〟の砲もほぼ同時に斉射に掛かったようだ。

 空中を計八発の四〇センチ――実際は、四六センチ――の弾頭が放物線を描きつつ、〝プリンス・オブ・ウェールズ〟へ襲いかかる。

『弾着、今ッ!』

 敵艦の艦橋よりも高く、巨大な水柱が上がる。 その中でふたつ、若干遅れて水柱と違うものが上がった。しかも、見れば巨大な火柱が確認できる。

『命中ッ! 命中、二ッ!』

 おおっ、と艦橋が歓声に包まれた。

 一回の斉射で命中弾が出るのは奇跡に近い。どちらの砲撃かは判らないが、船首部分と第三砲塔を貫いたようだ。しかも、先程まで走っていた〝プリンス・オブ・ウェールズ〟は、つんのめるかのように停止している。

『敵弾、弾着ッ!』

 喜んでいる暇はなかった。

 こちらの砲弾に撃ち抜かれる前に、〝プリンス・オブ・ウェールズ〟は最後の斉射を行っていた。

 それか、今〝駿河〟に降りそそぐ。

 再び、雷が正面に落ちた。艦橋にいた者すべてが、一瞬、目をくらませてしまった。


 それは、数秒だったのであろう。

 近藤中将が感じたのは、まず耳の痛さた。視界がぼやけている。体の痛みは……ない。ぼやけた視界の中で、手探りで自分の体を触ってみたが、問題ないようだ。

「――被害報告ッ!」

 艦長の指示がようやく聞こえてきた。

 目の前……第二砲塔に敵弾が直撃したようだ。その衝撃で、艦橋にいた者が皆ひっくり返ってしまった。だが、皆生きている。衝撃でひっくり返って頭を打った者もいたようだが、命に別状はなさそうだ。

『こちら第二砲塔。損傷なし』

 艦橋の状況とは違って、対四〇センチ装甲――砲塔部の天井は実際、対四六センチ装甲――に守られていた砲塔には損傷はないとのこと。

『木甲板に焦げがありますが、戦闘、航行共に問題なし』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る