5・火を噴く巨砲
○△□
一九四一年(昭和十六年)十一月――。
ドイツとイギリスとの戦いはすでに二年を経過していた。
イタリアと日本は、ドイツと日伊独三国同盟を結んでいる。
ただ、この同盟は本来、貿易を目的として成立したものであったため、同盟国と第三国が戦争状態であったとしても、他の同盟国は戦争に参加は義務付けないものであった。
協力はするが、戦争はそちらで……と、言うものだ。防共協定を結んでいたが、あくまでもソ連包囲網なので、イギリスとの戦いは別問題だ。
現にヨーロッパではドイツとイギリスが戦闘をしている――フランスは一九四〇年に降伏、自由フランス軍という抵抗組織がイギリスを拠点にして戦っている。だが、イタリアとイギリスは不戦協定を結んで戦火を交えていなかった。それもあり、イタリアはドイツの後方支援、つまるところ工業力を提供するのみだった。
日本はヨーロッパ大陸からは遠く、ほぼ地球の裏側で起きている戦闘。対岸の火……と言うわけにはいかなかった。
資源の……ドイツを、イタリアを動かしている原油は、満州の原油だ。
そこでイギリスは、日本からの原油のルートを締め上げようと決めたようだ。
まずスエズ運河の封鎖を考えた。だが、そこはインドからの重要なルート。
イタリアとの不戦協定を覆されかねない。スエズ運河封鎖されるのが関の山だ。インドからの物資は遠い喜望峰周りルートになってしまう、と諦めた。
そこで、東シナ海を、インド洋を通過する日本のタンカーなど厳しく制限をしたのだ。
まあ、戦争をしていない国同士、嫌がらせ程度なのだが、公海上を軍艦にしつこく付き回られてはタンカーを所有する船会社としては肝を潰される気持ちだ。
同時にアメリカでも対日感情が悪化していた。
この年に入って、原油関連以外で何とか続けていた日米貿易が、停止する法案がかの国で通った。
アメリカはイギリスへ物資を提供しているのだが、日本がドイツやイタリアに原油を提供するのは我慢ならぬ、という。
道理が通らない話だが、かの国では満州の建国当初から中華民国よりな政策をしていたこともあったのであろう。
これで米英を中心とした経済制裁と経済封鎖、いわゆるABCD包囲網を構成することとなる。
日本は満州の油を売ることも出来ず、かといって自国の原油製品の生産施設は建設最中だ。到底、国内需要をまかなえるほど設備は完成していない。
同年九月、日本は御前会議で戦争への準備を決定した。
この会議では、天皇陛下により各国へ経済制裁の解除の交渉を続けるよう、強く申し渡される。
そのため、戦争準備とともに平行して各国との交渉を粘り強く続ける事となった。
しかし、十一月にはアメリカから交渉条件として、満州を含む中国大陸からの日本の撤退等を盛り込んだいわゆるハル・ノートが提出された。
到底、飲める条文ではないハル・ノートの提出はアメリカ側からの交渉拒絶と判断し、同月末の緊急の御前会議で、開戦やむ無しの判断がされた。
そして、十二月上旬をもって、日本は米英への宣戦布告を決定した。
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