○△■
一九三九年(昭和十四年)九月――。
木戸特務少尉の姿は、戦艦〝駿河〟の上にあった。
彼は、第三砲塔を扱う第三分隊の分隊士になっていた。
「貴様は、この艦に志願したらしいな」
上官に当たる分隊長の砂川特務大尉は、新たに着任した彼に不思議に思っていたようだ。
駿河型戦艦は、人事の関係上、金剛型の人員を移行する――円満で解決するためにも――ようにしていた。
戦艦〝駿河〟は、戦艦〝榛名〟の人員がほぼ配属されていたのだが、別の艦からの移動者は少なかった。
最新鋭の戦艦だから、希望するものは多いと思われた。だが、蓋を開けてみれば、その数が少なかった。
特に〝駿河〟に至っては、機関の問題で海軍内ではある噂が立っていた。
呪われているのかもしれない、と……。
当初は、廃艦からよみがえった幸運艦ともてはやされていたが、設計に携わった藤本造船少将のことや初代大島艦長のこともある。修繕したはずの第三ボイラーの不調が続いた。
そして、就役した戦艦〝駿河〟は姉妹揃って、第一艦隊に所属していた。
しかし、第二六代連合艦隊司令長官に就任した山本海軍中将は、彼女達に長官旗を掲げることはなかった。第一戦隊に所属する〝長門〟を旗艦とし続けた。
新造の戦艦であるために、通信能力も高く、司令部施設も最新のものが付いていたのだが、山本中将は変えることはなかった。
やはり、天下の山本五十六も、ゲン担ぎのため気にしているのかもしれない、と――。
しかし、山本中将はそれを否定した。
「現代の科学文明において、呪いなどというオカルトがあるはずがない」
旗艦としないのは「その快速をもって縦横無尽に海を駆け巡るためだ」と付け加えた。
そのために戦艦〝駿河〟の艦内では、〝呪われた艦〟として少し沈んだ気になっていた。
艦長の西村大佐は、そう言った風紀を払拭しよう努めていたが、一度立った噂はなかなか消すことは出来ないでいたのだ。
そんなときに木戸は、志願してきたというのだから、不思議がられても仕方がないだろう。
木戸にとっては、子供の頃からの夢を叶えるためにここまで上り詰めたのだ。
親友である白鳥造船少佐(現在)が、曲がりなりにも関わった艦だ。
それを呪われた、などと言われて少し憤慨していた。
「自分は……」
言いかけたところで、思いとどまった。
夢のことを言おうとしたが、もう何年も海軍に奉仕している大の大人だ。
何を湿った話をしているのだ、などと笑われるかもしれない。
「まあ、新しい船だ。誰だって新造艦に乗りたがるな。
ところで――」
砂川特務大尉は笑っていたが、急に顔色を変えた。
「この艦には秘密があることを知っているか?」
と、話題を変える。だが、その内容は大声で言うことではないのだろう。
呪いの話以外にもあるのかと、木戸は身構える。
小声で話し始めたのだ。
そして「付いてこい」と彼を連れて、着任先である第三砲塔内に案内する。
着いていった先は、船底に近い弾庫だった。ここには大砲の要である砲弾が格納されている。
格納されている砲弾のところまで来ると、
「これが我が艦の主砲の弾頭だが、四〇センチ砲と聞いているが――」
と砂川特務大尉は並ぶ弾頭をさすった。
「こんなに大きいものか? 俺は三六センチ砲しか見たことがないが――」
「自分は長門に乗っていましたが――」
戦艦〝長門〟で、四〇センチ砲の弾頭を見慣れた木戸であったが、並ぶ弾頭は妙に大きく見える。
前に話したとおり、四六センチ砲であることは伏せられていた。公開されている情報では、駿河型の主砲は〝九四式四〇センチ砲〟とされていたのだ。
だが、扱っている兵士達の間では、口径が違わないか、と噂が立っていたようだ。
「しかも、測ろうとした者が……おい、何を騒いでいる」
言いかけたところで、近くの分隊員が騒いでいることに気になったようだ。
分隊員達は作業をそっちのけで、固まって何か話していたのだ。
分隊長に注意された分隊員達は、まるで先生にでも怒られた生徒のように整列した。
そして、ひとりの分隊員が歩み出た。
「分隊長、ドイツが始めたようです」
「何をだ!」
水兵の一人が新聞を持っていた。
どこで入手したのか、新聞の号外であった。それを渡してきたのだ。
書かれていた内容は……九月一日、ドイツのポーランド侵攻。それに伴って、三日にはイギリス・フランスがドイツに宣戦布告したという。
「ついに、戦争が始まったようです」
「馬鹿者。浮かれている場合か!」
浮かれたように話す分隊員を、砂川特務大尉は叱りつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます