2・引かれたレール

○▲□

 一九三五年(昭和一〇年)一月――。


 白鳥が、藤本造船少将が亡くなった事を聞いたのは、小正月が過ぎたあたりであった。

 脳溢血だったこと。謹慎中の事であったから、あまり大きな話題にはしなかったようだ。葬式も、すでに済ませているのだろう。

 休みの時にでも、線香を上げに行きたかったが、呉からは遠い。

 それよりも、作業が忙しくしていた。

 国際情勢の悪化に伴い、海軍も緊張が高まってきていたからだ。しかし、肝心な艦船に不安があっては、国を守ることは出来ない。

 友鶴事件での各艦船の改修工事は、急務となっていたのだ。

 しかし、艦政本部から離れてみると、あそこで起きていたことの違った面が見えてきた。

「また不譲ゆずらずか……」

「ニクロム線か……」

 酒の席とは言え先輩達は、現在、予備役となっている平賀譲造船中将を嫌っているものが多いことだ。

 白鳥にとっては、平賀造船中将などと、雲の上の人間だ。

 それが彼等の話を総合すると、頑固オヤジそのもの。人の意見にあまりにも耳を貸さない。反対意見があるモノなら、烈火のごとく怒るので、『ニクロム線』とあだ名されているというのだ。

 そして、平賀造船中将と対立していたのが、亡くなった藤本造船少将だという。

 新造艦『A一四〇』の計画段階で、その立場ではないのにもかかわらず、試案を出して海軍技術会議を混乱させたという。

 ジュネーブ軍縮会議の功績もある藤本造船少将に嫉妬した、という噂まである。

 第二次ロンドン軍縮会議において、妙にイギリスが新型艦の情報を掴んでいたのは、彼が流した、なんて実しやかな話まであった。

 平賀造船中将は、友鶴事件の後始末で設置された臨時艦艇性能調査会にも参加している。

 復讐の総仕上げ、と言われて疑う余地が産まれようか。

(駿河を作らせなかった敵は、内側にもいたのかもしれない)

 ふと、そんなことを思ってしまった。

 最終的には、藤本造船少将が推し進めていた船体防御方式、ドイツ式の全体防御――重要防御区画バイタルパートの延長など――や、ダメージコントロールなどの分野の研究も撤廃しようとしていたのだから、恨まない人は出てこないのが不思議だろう。

(まあ、上の派閥など関係ない話だ)

 雲の上の噂話に一喜一憂している暇は、白鳥にはなかった。

 今は既存の艦船の改修。それに戦艦〝〟と〝日向ひゅうが〟の大規模改装が控えている。

 この伊勢型戦艦に行われる大規模改装は、三〇年にそう型戦艦へ行った内容と、ほぼ同じだ。

 大まかにいえば、機関の増強による速力の向上。装甲の追加。そして航空戦力の追加だ。

 主機関をロ号艦本式ボイラー石炭・重油混焼缶から、重油専焼缶に変更――煙突の一本化。推進機関は艦本式オールギヤードタービン四基四軸推進へと統一され、速力も二五ノット以上を目指した――扶桑型は二五ノットまで到達。

 今のところ仕事に溢れることはないが、夢であった本当の意味での新造艦設計は無理だろう。

 しかし、造船部の主任に白鳥は呼び出された。

「ドイツですか?」

「君、ドイツ語が出来るんだったね。ドイツで勉強してこい……とはいっても、補充要員で一年足らずだがな」

 主任のいうには、ドイツに留学中のグループのひとりが、現地で病気になって倒れたらしい。

 その倒れた人には申し訳ないが、勉強に出して戻ってくる人間の頭数を、最終的に揃えたいそうだ。

 そこで白羽の矢が立ったのが、白鳥造船大尉であった。帝国大学時代に、選択科目としてドイツ語を取っていたこともあったのであろう。

 こうして、白鳥のドイツ行きが決まった。

 長い出張のわりには、立つのは数日後。かなり急な任命である。

 そして、ウラジオストックからシベリア鉄道で向かうことになった。

 これである事件に白鳥は関わらずにすんだのだが、それはこの時は予想できなかったであろう。

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