第3話

 一瞬の勝負になる。

 俺は虫捕り網の軌道を、ゆっくりと巨大バッタの方へ向け始めた。


 網を近づけ過ぎると、空気の流れが変わり感づかれる恐れがある。

 とは言え、あまり離れた場所からでは、

バッタの反応速度が網を被せる速度を上回り、逃げられてしまう。

 付かず離れず、適切な間合いが必要だ。


 俺は静かに息をする。バッタの呼吸と自らの呼吸を同調させる。

 勿論、実際にバッタの息遣いが聞こえる訳じゃない。

 ただ、そうすることによって相手に気配を悟られにくくなる。そんな気がするのだ。

 これは、俺が虫を捕まえる時に行う、ある種儀式のようなものとなっていた。


 自分と相手との間合い。虫捕り網がそのギリギリの境界に到達する。

 瞬間、自ずと身体が動いた。


 侍の居合抜きのごとく、一切の無駄なきラインを描きながら、

網は吸い込まれるようにして、バッタの停まる草とその空間を薙ぎ払った。


「――捕った!!」


 手ごたえは充分過ぎる程に感じた。

 ずっしりと、まるで鉛の玉を入れたかのような重量感が、

網を通じて指先に伝わり、俺は獲物を捕らえた喜びを全身で感じた。

 

 が――次の瞬間だった。虫捕り網は過剰な遠心力により振り回され、

俺の手からスルリと抜けてしまったのだ。


「――あっ?!」


 吹き飛んだ網を拾いに行った時には、時すでに遅し。

 平坦な網の膨らみから、すでに中に何も居ないことが見てとれた。


 俺は静かに網を拾うと、力なく中をまさぐる。

 逃した獲物は余りにも大きく、そのショックを誤魔化さんが為の空しい仕草だが、

その瞬間、俺はハッとした。


 ――網が……破れている……。

 まさか、あのバッタが破った……?


 いや、ありえない。いくらバッタが草を食べる為の強靭な顎を持っていると言っても、

クワガタやカマキリ程の力は無い。そもそも、そいつらだって網を破るなんてことは不可能だ。


 では、これは一体……。

 そう思った瞬間、俺の全身に例えようのない怖気が走った。

 振り返る暇もない。背後から何かに背中をがっちり掴まれたかと思うと、

気が付いた時には――宙を飛んでいた。


 バサバサと羽音が聞こえるが、無論俺の物ではない。

 10メートル程飛び上がったところで、今度は急降下。

 地面に到達しようかという刹那、ダンッという衝撃音と共に再び宙へと舞い上がる。


 何度となく繰り返されるこの衝撃に、俺の気が遠くなりかけた時、

目の前に、巨大バッタが現れた。正確には俺の横を一緒に飛んでいた。

 それも一匹ではない。気が付けば辺り一帯に無数の巨大バッタが飛び回っているのだ。


 空き地を超えて、住宅の屋根を踏み台にしながら、それらは遠くに見える林の方へと向かっていく。

 

 その時、俺は気が付いた。


 こいつ等を捕獲しようとしていたつもりだったのが、実は逆で、

寧ろ捕獲されようとしていたのは、俺の方だったということに――。

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