4‐2 セカンドフェーズ①

 巨大な壁の内部は実にシンプルな作りをしている。コロージョンのアンコントローラブルを防ぐ為か、透過を避ける様に廊下の途中でもう一つ分厚い扉があるだけで、あとは一本道。

 赤い脈が微かに走るその黒い扉の電子錠の開錠が成功すれば、そこはもう三番街だ。

 アステリアとキソラ、そして本作戦の要のキョウカはディアラたちは既に合流済み。

 廊下の入り口付近で、疲れた様に腰を下ろしているヨシハルをキソラは労っていた。


「大丈夫そう? ヨシハル」

「なんとかな。ディアラさんのおかげで、無事生きてられてるよ」

「そっか。良かった……本当に」


 疲れてはいても、負傷はなし。笑いながら手を挙げるヨシハルを見てキソラは胸を撫でおろした。


「ってか、オレを気にかけるより自分のことを気にかけとけよ。オレの役目はここまでだし、お前はオレよりヤバいところにいくんだからな。分かってるか? そのあたりのこと」

「うん、分かってるよ。リアとユウリのおかげでちゃんと落ち着けたから。ここからは、私は戦う理由を思い出して前だけを見るよ」


 灰塵都市にいる大好きな人を護る為、キソラはその足をもう止めはしない。緊張は覚悟で塗り潰し、滾る力は敵へと振るう。

 それ以外のことを考えるのはもう全てを終えて生き延びた後だと、心に定めていた。


「オレが言うまでもなかったな。んじゃ、あとのことは任せたぞキソラ。オレたちのこと護ってくれ」

「うん、任せて! いってきます!」


 そう元気よくキソラはヨシハルから離れ、前にいたアステリアの下へと走る。

 彼女はディアラとなにやら思案顔で話し合っていた。


「——やはり、リアもそう思うか……」

「私たちの動向を掴んでいなかったとか、見下しているだけとかなら簡単なんだけどね。そんな楽観的にはいられないわ」

「どういうこと、二人とも?」

「キソラか。お前は疑問に思わなかったか? いくらコチラから仕掛けた有利な作戦とはいえ、制圧まで簡単すぎると」

「んまぁ……確かに。私が参加したわけじゃないから何とも言えないけど、さささって進んだ感じはあるね。こう言っちゃなんだけど、ヨシハルだって無事に生き残ってるし。いくらディアラたちが経験豊富だからって、新兵を連れたまま無傷で生存させるのは難しい……よね?」

「あぁ。難易度が二段階跳ね上がるくらいにはな」

「なのに結果はコレ。私たちが制圧にかかるまでの予想時間はこれのおよそ二倍。負傷者ももう少し多いと思っていたの。そうならなかったのは嬉しいことだけど、この状況を楽観視できるほど治安部隊は甘くはないわ」

「ってことは……」

「扉を開けた先で、銃口が構えられていてもおかしくないわね」


 硬く閉ざされた扉の向こう。その先はもはや未知の領域。

 腐蝕・治安部隊・コロージョン。こちらを死に至らしめる選択肢が向こうにいくつもある中、考えすぎなことはない。


「じゃあ、すぐに動ける様にしとかなきゃだね」

「そういうことになるわ。だからキョウカ、【type:A】お願いね」


 扉の前。ハッキングで開錠作業を行っていたフェンリの隣にいたキョウカの下へ三人は行く。 


「勿論よ。——けど、これだけは約束して。三本目を使う時は絶対に逃げる場合にのみ使うって。無茶はしていいけど、無理をしたら確実に死ぬわよ」

「分かってる。私はこんなところで死ぬつもりはないし、死ぬわけにもいかないの。これでもボスなんだからみんなの為にもちゃんと生きて帰るわ」


 差し出されたアステリアの小さな手に、三本の無針注射器が置かれる。

 その中身はアステリア用に調整し、副作用を抑えたL・A・R【type:Aエー/アステリア】。

 キョウカが改造したこのおかげで、アステリアの活動限界時間は以前と比べて遥かに伸びていた。


「まぁまぁ大丈夫だよお母さん。そうなる前に私がリアを止めるからさ。リアがそこまでしなくても私なら——」

「言っとくけど、あなたにも言っているのよキソラ。完全適合者とはいえ、あなたにも活動限界時間はあるんだから」 

「うぐっ……! わ、分かってるって……!」


 アステリアの場合、通常状態で一本一時間。連続使用の場合、本数ごとに時間が半減し三本の合計は一時間四十五分。

【覚醒状態】になると、ここから更にリミットが急接近し、一本目十五分、二本目六分、三本目二分と短くなり、まともに動けなくなる。

 一方でキソラの場合、通常状態における時間制限は無い。だが、【覚醒状態】になると三十二分フルタイムで力尽き、再生能力が著しく低下。回復まで三時間のクールタイムが必要だと、これまでの訓練で判明していた。

 もし活動限界時間を忘れて途中で力尽きでもしたら、戦力低下どころの騒ぎじゃない。みすみす敵に首を差し出す様なモノだ。


「——ボス! 開錠作業、完了しました! いつでもいけます!」

「ありがとうフェンリ。とりあえずキョウカ、限界時間のことはもう訓練で対策済みではあるから小言はそのあたりで。どの道、最初から無茶なことやっているんだから今更よ」

「……そうね。勢いを削ぐようなこと言ってごめんなさい。キソラ、それにアステリアも私のことお願いね」

「まっかせて! お母さんは絶対に守るから!」

「よし、それじゃあセカンドフェーズ始めるわよ。各員、気を引き締めて。ガスマスク用意——」


 開錠までの少しばかりの時間で僅かに緩んでいた空気が戦場のモノへと戻る。キョウカたちは黒いマスクを着け、いつでも動けるように待機。

 アステリアは二本の【type:A】を懐に収め、もう一方を首に注入。キソラも体に力を漲らせ、戦闘態勢を整えた。

 

「キソラ、お願い」

「うん。みんな、少し離れてて」


 重たい扉がキソラの手によって開かれる。

 三番街の内部がどうなっているかは誰も分からない。コロージョンが起きていなくとも、毒ガスの様な有害物質が無いとも限らず、だからこそ腐蝕に対して耐性のあるキソラが斥候役を担っていた。

 ゆっくりと右手から扉の向こうへと入れていく。

 三番街の内部は、腐蝕事変によって壊滅状態のまま。地面は所々が穴だらけ。建物は、建物としての機能をほとんど失っていた。


「どう? キソラ」

「特に身体に変化はないよ。なにかに抵抗しているって感覚もないし、うん大丈夫。中は無害だと思う。こっちを撃って来る気配も何も無いよ」

「……そう。第二関門、クリアね。これなら、私たち以外にもキョウカの護衛として何人か連れていけそうね」

「と、すればあとの問題はこの暗さだな」


 ほっと息をつく間もなく、次の問題がやってくる。

 分厚い天井のせいで日の光の届かないうえ、廃棄された街だ。暗闇に染まる街は強化した眼を持つキソラとアステリアにしかまともに見る事が出来ない。


「街灯は……まぁあってもわざわざつけないわよね。各員、暗視ゴーグル装着」


 キソラの後に続き、アステリア達も中へ。

 ここから秘匿研究所までキョウカを無事に届けることがセカンドフェーズだ。それが出来なければ、キソラ達にもう未来はない。


「ディアラとフェンリ、あと三人ほどこっちについて。残るメンバーは負傷者の保護とここの防衛の死守をお願いね」

「了解いたしました」


 キソラとアステリアが先導し、その後ろにキョウカ。彼女を挟む形でディアラとフェンリたちが続く。


「フェンリ、俺と場所変わるぞ。後ろは俺が守っとく」

「分かりま————」


 ディアラとフェンリの位置が入れ替わった——その瞬間。




 

 、『ナニカ』がフェンリを圧し潰した。


「え……」


 重たい衝撃音に紛れて、ぐしゃりと耳障りな音がキソラ達の耳朶を打つ。だがしかし、埒外・意識外からの攻撃に誰もが固まり動けないでいた。


 弾丸による死なら理解は出来ただろう。腐蝕だとしても、その死は正しく認識できる。

 だが、目の前の理不尽は彼女たちの理解を超えていた。


「全員、その場から離れて!」

「——ッ!!」


 キソラが出した咄嗟の号令に、ハッと意識を取り戻した隊員たちが一斉に動き出す。

 アステリアがキョウカを掴んで『ソレ』から離れ、キソラと『ソレ』を対峙させる形で分断すると彼女たちの思考が固まりかけた。


 死したフェンリの上にいたのは異形の黒いバケモノ。地に付きそうなほど長く大木の様に太い両腕と短く太い両脚。構造的にはヒトに近いが、顔はそれと分かる形を成しているだけで、眼などのパーツは存在しない。黒い楕円形がそこにあるだけだ。

 よく見ればもぞもぞと【黒】が奇妙に蠢いており、バケモノがフェンリに触れた箇所から腐蝕によって溶けている。


 つまり、正体は不明だが目の前のアレは腐蝕の塊。だが、腐蝕弾やコロージョンと違うのは、アレは動いているということ。

 足首より下にかろうじて見える白い塊は——骨。ご丁寧に自らの体で接地面を腐蝕させないという最低限の思考すらも身につけている様だった。

 こちらを睨む様に佇むその姿はまるで狙う殺戮者だ。

 目を見開くアステリアが一筋の汗を垂らす。


「何が起こるかは色々考えたけど……流石にコレは予想外すぎるでしょ……! 腐蝕が意志を持って攻撃してくるなんて、C機関の奴ら一体何を生み出したの……!?」

「『得体の知れない……バケモノ……』」


 ——バケモノを見てキソラの脳裏に浮かんだのはスペルビアに入る前のあの時のこと。自分の真実を知り、保健室から逃げ出した後で出会ったヤマトが言っていた不穏な言葉。

 あの時はバケモノは自分だと思い込んでいたが……。

 

「……あれって、私のことじゃなかったんだ……!」


 絞り出す様に零れた声。

 そして理不尽は続く。最初に振って来たバケモノの後ろからも同じ個体が現れ、ここら一帯は一瞬にして黒のバケモノで埋め尽くされたのだった。


「どうりで、治安部隊の数が少なかったわけね——」


 アステリアが悔し気に歯噛みする。

 よくよく考えれば、コロージョンによって灰塵都市スクルータの人民が全員死ぬのだ。そんな決定事項に、危険を冒してまで人員を必要以上に割く理由はない。

 目の前のバケモノがなんなのかは現時点で不明だが、人を襲う様な行動を取り、触れられたら死ぬのだから、ソイツ等に中に入って来た奴らを処分させるのが合理的だ。

 飛んで火にいるなんとやら——


 だがこの場合、火に入るのはどちらかという話だ。

 いつまでも呆けてばかりではいられないと、アステリアが真っ先に思考を取り戻すと、キソラを動かした。


「——イレギュラーを【ヴァリアント】と呼称! アレがなんであれ腐蝕なら、取るべき手段は一つだけよ! キソラ!」

「分かってる! 『コール:紅蓮プロミネンス』!!」


 ——それはアステリアたちと決めた【覚醒】の力に巻き込まれない為のただの合図サイン

 ただそれでも、仲間をやられた敵への怒り。何も出来なかった自分への怒り。

 昂った感情が脳から右手へと奔流し、『力』となって発露する。


「フルスロットルだ……! こ、れ、で、も……、喰らってろぉぉぉぉぉ!!」


 キソラが右手を薙ぎ払うと、巨大な炎が発生。

 赫く、激しく燃え盛る炎は濁流となって【ヴァリアント】たちを飲み込んだ——

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