2‐5 前へと進む「ありがとう」

 重たい、重たい自死もいとわないキョウカの贖罪。自虐的に笑いながらキソラに差し出した手には、メスが握られていた。

 それを手のひらで返し、柄を向ける。生殺与奪の権利をキソラに与える為に。


「お母さん……」


 感情を匂わせない平坦な声色で、キソラはメスを受け取った。


「おい、キソラ……!?」

「だ、駄目だよキソラ……! 早まらないで……!」


 まさか本当に——と、躊躇い一つ見せないキソラにヨシハルとユウリが慌てる。それは覚悟していたはずのキョウカも同じ。

 けれど、身を堅くさせたキョウカを見て、キソラはふっと微笑んだ。


「大丈夫だよ二人とも。それにお母さんも。私がお母さんを刺すなんてあり得ないから」


 そう言って、キソラはメスを握り潰した。硬く、刃もあるメスがまるで紙屑の様に丸められゴミ箱に投げ捨てられる。

 そして、傷一つないその両手でキョウカの冷たい手を包み込んだ。 


「ありがとう、お母さん。話してくれて。うん、やっぱり私のお母さんは優しい人だった。これでまた私は一歩、前に進むことが出来るよ」

「な、なんで……。う、恨まないの……?」

「恨むわけないじゃん。何言ってんのさ」


 温かな手に包まれ、優しい笑みを浮かべたキソラを見てキョウカは困惑する。


「なんで恨まないの……? 私はあなた達にあんな酷いことしたのに……」

「うん、そうだね。薬を打ち込んで、私たちを苦しめたことは確かに酷いことだと思う。その時の記憶はもう私にはないけど、きっとこの身体を得る前は同じように叫んでたと思う。でもね——」


 手を放し、震えるキョウカの身体を抱きしめた。


「本当に酷い人で終わるんだったら、私をそんな場所から連れ出してここまで育てないよね?」

「——————」


 キョウカとキソラ。同じ空色の瞳が合わさる。

 そう、キソラのことをただのクローン体としか思っていなかったら、今もキソラはC機関の研究室で実験されているはず。

 いや、一体辺りのコスパが低いクローン体が奇跡の身体を手に入れたんだ。量産体制の為にと身体をバラバラにされ、徹底的に調べられていたかもしれない。それが当たり前の場所があの研究室なのだ。

 なんにせよ、キョウカが連れ出さなければキソラの命はそこで終わっていたのだ。


 その事実を突き付けられ呆然とするキョウカに、アステリアが口を挟む。


「何も思わない人がクローンごときの叫びを覚えているわけないじゃない。苦しそうな顔をして話すわけないじゃない。クローンとはいえ自分の娘だって認識しちゃったから、苦しみながらも足掻いてこの子だけでも育てたんでしょ。もう、露悪的に振る舞うのは止めたら? ——そんなんだと、送り出してくれたパパが浮かばれないじゃない」

「——ッ! あ、あなた、あの日のことを知って…!?」

「えぇ、ディアラが教えてくれたわ。彼はL・A・Rの研究チームの一員でね、パパとは仲が良かったの」


 アステリアが傍にいるディアラに視線を寄越すと、ディアラが深く頷く。

 それをきっかけに、ディアラがキソラを見ながら丁寧に話し始めた。


「いくら秘密裡に実験が再開されようと、資材のコストや人員の動きが不自然なら誰だって違和感を覚えるモノです。ましてや、ソレが自分の研究に必要だったはずの資材なら猶更。研究チームから外され、時間が余っていたクリスさんはそれに気付きチームの所に乗り込みました。倫理を超えた実験を止める為に——」


 最初はクリスだけの口論から始まったそれは、やがてクリス派と呼ばれる派閥との大論争となり休戦と再戦を繰り返す始末。

 やがて歯止めが利かなくなると、クリス派と開発チームの抗争が激化し実力行使へと移った。

 その果てに事件が起きた。


「——それは、抗争に苛立った開発チームの一人が暴走を始めたことがきっかけでした。ソイツは大量のL・A・Rを腐蝕寸前の肉に打ち込み、辺り一面に投げつけたんです。すると……」

「も、もしかして……!」


 ヨシハルが目を見開く。


「はい、これが奇跡だったのか思惑だったのかは不明ですがL・A・Rを打ち込んだ腐蝕細胞は中和することなく、。それが辺りに付着すると、周りを巻き込む形で腐蝕が全方位へと急速に拡大。そこからはもう、感染爆発の様でした。あらゆるモノが腐蝕し、溶けていきました。建物も人も関係なく——」


 それはまさしく第一次大規模腐蝕事変。

 人類に絶望をもたらす引き金を引いたのは、人類を守り救済するはずだったC機関だった。


「そんな誰もがパニックになる中、唯一クリスだけが冷静に動きました。どんな思考をしていたかは分かりませんが、彼にはどうにか出来る算段があったんでしょうね。そして、混乱に乗じて彼は私にアステリアを任せ、貴女に懐いていたキソラ嬢を託したんです。——命に代えても」

「……」

「そっか、お母さんとリアのお父さんのおかげで私はここにいれるんだ…」


 瞳を閉じたキソラが胸に手を当てる。その手にはしっかりと、心臓の鼓動が感じられていた。

 灰塵都市スクルータの人たち、キョウカ、ヨシハルとユウリ。そしてアステリアとクリス。

 自分が多くの愛を受け取って生きていることを再度実感できた。


「まぁそういうことよ。あの大災害の日、アナタはパパの目が無くなった後、キソラを見捨てることだって出来たはずなの。見捨てたってたかがクローン。誰も文句は言えないし、あの大災害じゃ自分の命を最優先にしてもおかしくない。なのに、しっかり生き延びさせたうえに、ここまで育てた。『愛』が無かったらできないことよ」

「そうだよ、お母さん。お母さんは私を守ってくれたんでしょ。だったら私はその想いだけで充分。私はこれからも前を向いて生きていけるよ」

「キソラ……」


 自信満々に満面の笑みでキソラは言う。

 つい先ほどまで打ちひしがれていた子とは思えない、その『娘』の姿に頑なだったキョウカの心が揺らいだ。

 重苦しかった雰囲気が少し和らぐ。


「あと、クローンだってのも気にしなくていいよ。私、みんなのおかげでクローンだからって色々考えるのはもうやめたんだ。お母さんのクローンって言ったって私とお母さんじゃまるっきり別人だし」

「確かに。キョウカさんとキソラじゃ、スタイルも包容力も頭も全然違うわな」

「おいこらそこうるさい。ノンデリ男は黙ってて。——でも、ヨシハルの言う通りだよお母さん」


 髪色が違うのは、L・A・Rなどの様々な薬品投与の影響。

 ただ、そのおかげか、見た目だけ見てもキソラとキョウカは『似ている親子』としか周りに見られない。

 見た目も性格も何もかも違うのだから、キョウカのクローンだって言われても、周りは信じないだろう。

 信じたところで、灰塵都市スクルータの人間ならなにも気にしないはずだ。


「それに、『あの子』とか『この子』とかお母さん、一度も私たちを『モノ扱い』しなかったよね。それって最初から私たちのことを娘だって思ってたからなんじゃないの?」

「あ———」


 それは無意識のことだったのか、気付かされたキョウカの瞳に光が戻る。


「私たちは別人だし、お母さんから産まれたのなら、私にとって等々力キョウカは間違いなく『お母さん』だ。だから、今の私はこう言うべきなんだろうね」


 一拍置いて、キソラはまたキョウカを抱きしめる。

 私はここにいる——と言わんばかりに。


「産んでくれてありがとう」


 万感の想いが込められた、ありがとう。

 その想いに、キョウカの我慢していた感情がついに決壊した。


「ごめん……ごめんなさいキソラ……! ゆ、赦して欲しいとは言わない……! でもこれだけは知っていて……!」

「うん」

「誰が好き好んで自分の子を痛めつけたいと思うの……!? 辛かった……! 苦しかった……!」


 キソラを思いっきり抱きしめ、滂沱の涙を流す。

 それはまるで、後悔と罪悪感が流れていく様だった。


「ごめんなさいキソラ……! このことは一生かけて償っていくから……!」

「うん、うん。大丈夫、赦すよ。私たちがね」

「——ッ……! ありがとう……! それから……——」


 キョウカがキソラを離し、今度はキョウカから目線を合わせる。

 お互い涙でぐしゃぐしゃになっているが、そこに浮かぶ笑みは何よりも綺麗だった。


「私をお母さんにしてくれてありがとう……!」





涙を流す親子。それに当てられてヨシハルとユウリも泣いている。全てが清算され、新しい一歩を歩める様になった彼女たち。

尊いその現場を、アステリアはパンパンと手を叩いて無散させて注目を集めた。

視線がアステリアを貫き、思わず、うっとなった彼女だがすぐに表情を真剣なモノへと戻した。


「ごめんなさいね、空気を読まなくて。私自身も、おめでとうって言って感傷に浸らせてあげたいんだけど、こっちにも時間がないの。色々あったけど、本題に入らせてもらえないかしら?」

「本題?」


 眦を赤く腫らしたキョウカが問いかける。


「そもそも私たちは、アナタ達の過去話をするためにこんなところにまでわざわざ足を運んだわけじゃないの。っていうか、キソラ。アナタにはもう、『アナタが欲しい』って伝えたわよね?」

「あ、そういえば」

「アナタが欲しい!? どういうことキソラ!?」


 思いがけない言葉に動揺したユウリが、キョウカから引き剥がして肩を揺さぶる。

 まるで修羅場だった。


「あー、私にもよく分かってないんだよね。一応、私の力が必要だっていうから頷いたけど」

「キソラの力が……?」


 キョウカの眦が鋭くなる。娘に対する愛が深まったのだろう。

 ユウリからキソラを奪い返したキョウカは、渡さないと言わんばかりに抱きしめる。

 

「仲が良いようでなにより。えぇ、そうよ。私はキソラが欲しい。人類から抜きんでた能力を持つキソラと、そしてL・A・Rの完成品の知識を持つであろうキョウカさんの頭脳をね」

「私も……?」


 怪訝な表情を浮かべるキョウカにアステリアは口角を釣り上げる。

 その美貌を悪魔的に歪め、自分の左胸——赤いスイセンを指して告げた。


「私たちの組織【スペルビア】に来てほしいのよ。——世界を救うためにね」

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