2-4 露悪
「——ねぇリア。さっきは君たちに協力するって言ってたけどさ、こんな訳のわからないヒトを求めてまで結局君たちはなにするつもりなの?」
「んー、今言っても良いんだけど本題に入る前にはまだ片付けておかないといけない問題があるの。話を聞かせるのはソレが終わってからね」
二人が出て行ってからおよそ一時間半後。
保健室のそばまで戻ってきたキソラとアステリアの声は、どこか距離が近づいているように感じさせた。
向かってくる二つの足音は軽く弾んでいる様にも聞こえ、少なくともそこに重々しさはない。
「——ッ!!」
その声の持ち主に真っ先に気付いたユウリ。急いで駆け、キソラが保健室の扉を開けるよりも早く開け放った。
「キソラッ!!」
「っとと……。」
「—————」
胸の中で飛び込んできたユウリを抱き留めると、ユウリは無言でキソラの身体を抱きしめる。
何も言わないことに不思議に思うと、キソラはユウリの小さな体が震えていることに気付いた。けれど、それはキソラに対する恐怖心ではない。
「ごめん……! ごめんキソラ……! わたし……!!」
苦しむ様に吐き出された懺悔の言葉。
あの時、キソラの真実にほんの少しだけとはいえユウリは恐怖を抱いてしまった。
立ち去るキソラの手を掴めず、キソラがこうして帰って来るまで彼女の心の中は罪悪感と謝罪の気持ちでいっぱいだった。
キソラの胸元がユウリの涙で濡れていく。
「ユウリ……。うん、謝らなくていいよ。私はもう、大丈夫だから」
「キソラぁ……」
「私も、無理に逃げ出したりしてごめんね。手、痛くない」
「全然、痛くないよぉ……! 痛いのはキソラの心でしょぉ……!!」
キソラを心の底から想うその涙。キソラは優しく微笑み、安心させる様にユウリの頭を優しく撫でる。
先ほどまでは、抱き着かれてもただの『重り』としか感じられなかったユウリの体だったが、今ではそんなことはない。
全身で感じる命の暖かさが自分の行いを肯定してくれているかの様にキソラは感じていた。
「私のこと、大事にしてくれてありがとね。変な産まれ方してるのに」
「そんなの関係ない……! わたしにとってキソラはキソラだから……! 昔いじめられてた時も、二日前の時も……! キソラがいなかったらわたしはここにいなかったんだよ……!」
「そうだぜキソラ。お前がいてくれたから、オレもこうして歩けてるし妹を失わずに済んでるんだ。感謝してもしたりねぇくらいなんだぜ?」
「ユウリ……ヨシハル……」
ぎゅっと力を入れて抱き着くユウリとニッと笑うヨシハルを見て、キソラの心はぽかぽかと温まっていく。
——居場所は今でもある。こんな私を受け入れてくれる人がいるんだ……と。
「んまぁ、ちょっとは驚いたけどよ。よくよく考えれば
「あははっ! 確かにそうだね。ちょっと考えすぎちゃったかー」
明るく笑い合える雰囲気。ユウリもそれにつられて泣き止み、キソラに笑顔を向けられるようになっていた。
「——もう、大丈夫そうだな」
「えぇ、なんとかね。あの子が強い子で良かったわ。支えてくれる人も多いみたいだし。あぁいうのを人徳があるって呼ぶんでしょうね」
「薬品漬けの中で産まれた人工物が、一番大きく育てたのは優しい天然の心ってか。微笑ましいねぇ」
「……ディアラ、それ皮肉? それとも褒めてるの?」
「ん? どう考えても褒めてるだろ」
三人の仲睦まじい姿を見ながら、アステリアとディアラが話す。
少しばかりディアラのズレた言葉に溜息を吐きつつ、アステリアは三人から視線をキョウカへと向ける。
「さて、あとの問題はこっちね」
「——ッ!!」
小さく呟かれたその声だったが、保健室内ではやけに通り、キソラ達は会話を止めてキョウカの方を向く。
五人からの視線を浴び、キョウカが怯えた様に後ずさった。
「あ……、え……と」
「お母さん、私はもう覚悟は出来たよ。どれだけひどい過去があっても、もう揺らがない。だから教えて、私のこの身体の真実を。どうやって私がここまで生きてきたのかを」
ユウリを離し、自分の胸に手を添えながら力強い表情で言い放つ。
「そ、それは……。アステリアさんが説明した通りで……」
「ううん、それだけじゃないよね。だってリアの話じゃ、腐蝕を抑える『免疫力』を獲得したっていう『結果』だけしか言ってない。そこに、私がなんでこんな身体になってるかの説明はなかったよ」
「そうね。あくまで私が知ってるのは、パパが残した研究データの一部とK番台の生き残りリストだけ。そこで消されてなかったのがアナタだったから、そこに当てはめたにすぎないわ。推察は出来るけど、アナタがどういう過程でその体を手に入れたかまでは分からない」
キソラの言葉を補足し、真実を促そうとする。
けれど、そこまで言っても目線すら合わせようとしないキョウカにアステリアが遂に苛立った。
「いい加減、現実から目を背けるのは止めなさいよ。自分の子が向き合おうとしてるのに親のアナタがそれでどうするの?
「—————はぁぁぁ……」
大きく深呼吸し、一瞬だけ瞼を閉じると開いたその瞳は冷たく凍り付いていた。
初めて見る
「……分かったわ。話してあげる……。でも、話すからにはもうあなた達は元には戻れないわ。関係性とかじゃなく、これからの生き方がね——」
☆
レプリカコーヒー豆——新暦以前にあった嗜好飲料を化学的に再現したタブレット——をお湯に溶かし、人数分のカップに注ぐ。
鼻腔をくすぐる芳しい香りがキソラたちの心を少し落ち着かせた。
「それで、キソラがどうやってその体を手にしたか——だっけ?」
「うん……」
「そうね、どこから話せばいいのかしら……。まず、アステリアさんの言ってたことに間違いはないわ。アナタはこの世界を救うために作られたクローン。C機関の特別化学班だったアステリアさんの父、クリス・ウォーカーさんの下で助手をやっていた『私』のね」
「え……?」
「それってキソラとキョウカ先生は同じ……ってこと?」
「えぇその通りよユウリちゃん。だって、K番台は私の名前から取られているんだもの」
バッとユウリとヨシハルがキソラとキョウカに視線を行き来させる。
ただ、キソラはぎゅっとカップを握り締めただけでその強い眼差しに変化は無かった。
「元々、
腐蝕に耐えうる免疫力を獲得するため、腐った細胞や腐蝕の感染が激しい細胞などあらゆる例をクローン体に打ち込んだと語るキョウカ。
しかし、辿る先はいつも腐り墜ちるという結果のみ。免疫を獲得する前に腐蝕にやられたクローン体は、異臭を放ちながらその体をドロドロに溶かしていったという。
そんなトライ&エラーを何千回と繰り返していた。
「最初は腐っていく自分のクローンを見て吐き気しか出なかったわ。だって、あの子たちいつも何かを言う前に静かに溶けていくんだもの。目に力を宿す暇すらなく、無慈悲に命を落としていくのよ? 正気でいられると思う?」
「キョウカさん……」
「でも、それも数十回くらいで収まったわ。私は自分の心が壊れない様にあの子たちは『モノ』だって言い聞かせて、そこからはずっと機械的に働いて……。そんな時だったわ、実験の凍結とクリスさんの『処分』が決まったのは」
「——ッ! パパ……」
悔し気にアステリアは眉を顰める。
急がなければならない世界の状態の中で、失敗の連続で成果を一つも出せないのなら責任者が処分されるのは世の常と言えばその通り。
処分されたクリスは研究から外され、実験は終結。代わりに、当時他の研究グループが行っていた『L・A・R』にV5は力を注ぐ様にC機関に命令を下した。
「……ラル?」
「正式名称はLocas・Anima・Release。【
処分したにもかかわらず、使えるモノは使える精神だったC機関。
そうして改良型イミュニティは『L・A・R』となり、新たな救済のシステムにとって代わる——はずだった。
実験は成功したが、失敗にもなったのだ。
「L・A・Rは確かに強力だったわ。一回打ち込むだけで、細胞は若々しさを取り戻し新品同様になったの。数時間だけね」
「数時間だけ……」
ごくりと、キソラが唾を飲み込んだ。
「強力すぎたのよ。L・A・Rは風前の灯みたいなもので、打ち込んだ瞬間、残っていた力を一辺に集約させて躍動した様に見せかけてただけなの。ようは寿命の前借りね。効果が無くなった瞬間、打ち込んだ肉は今まで以上のハイペースで腐ったわ。当然、腐蝕の進行を早めるだけになったL・A・Rも失敗作として廃棄処分となり結局V5は【
「——けど、そのL・A・Rを利用した奴らがいた」
アステリアが厳しい面持ちで言葉を挟む。
「その通りよアステリアさん。化学班のトップ中のトップであるエヴァって人とミステリオっていうマッドサイエンティストが内密で狂気の実験を開始したの。それがクローン体による免疫獲得実験とL・A・Rの融合実験」
「————」
空気が冷え切る。
マイナスとマイナスをかけてプラスにする様な軽い思い付きで行われたというその実験。
腐蝕の細胞を打ち込んでクローン体が腐るのなら、それに耐えうる体を作ればいいと細胞強化が見込めるL・A・Rによる肉体強化が開始されたのだ。
しかし、それは言うは易しであり——
「彼女らは、処分されずに余っていたクローン体を使って実験を開始。でも、そんな簡単に物事が上手く進めば私たちはここまで苦労していなかったわ。
腐った細胞と再生を促すL・A・Rを同時に打ち込んだら、果たしてどうなるでしょうか? ユウリちゃん」
「え、え……。腐るから、肉体を強化させて……。もし、腐蝕と再生のペースが同じだったら——ッ!!」
そこまで思い至りると、ユウリは息を飲み吐き気を抑えるように口を塞いだ。
「ご明察。腐ったそばから再生されるせいで、身体が腐る痛みをあの子たちは味わうことになったの。しかも細胞が強化されたせいで、感覚が鋭敏になった状態でね」
そこからはもう悲鳴の嵐だったと、狂った様にキョウカは嗤う。
ガラスが揺れるほどつんざく悲鳴が無数に上がり、全身を針で貫かれる様な想像を絶する痛みはクローン体をのたうち回らせたその実験。
喉は叫びによって裂け、暴れる手足は拘束具によって抉れていく。もはや腐蝕によるものか自傷によるものか分からないほど、辺り一面は血に染まっていたという。
数百、数千人が絶望を実感しながら死んでいったことだろう。
「残っていたクローン体がいなくなれば、私たち細胞提供者を使ってまた新たにクローン体を生成して同じことの繰り返し。そんな時だったわ、あの子たちの悲鳴が耳に頭にこびりついて離れなくなった頃に、奇跡のクローン体が誕生したのは」
「それが……私……?」
壊れた様にせせら笑いを浮かべるキョウカを見ながら、胸元を握り締めていたキソラが恐る恐る尋ねる。
「痛みに喘ぎながらも腐蝕と再生に肉体が適応し、肉体強度が跳ね上がると共に腐蝕現象を中和することが出来た唯一の例。それがあなたよ」
「だからキソラは人並外れた身体能力を持ち、腐蝕にも耐えられるわけね……。薬によって突然変異された強化人種だから」
「えぇ、その通りよ。これで話しは終わり」
どこまでも冷酷に、そして露悪的にキョウカは言葉を紡ぐ。
「どう? 酷いでしょ? これがあなたの親のフリをしていた女の正体よ」
「で、でもキョウカ先生は上からの命令で……」
「そうね。でも、そんなのこの子たちには関係ないの。私は苦しむこの子たちに無理やり薬を投与して、苦しませ、時には腐らせて、無慈悲に処分したわ。母親として生きる資格も無ければ、こうして生きている資格だって無い。——だから、今すぐ死ねって言うのなら喜んで死ぬわ。それがせめてもの償いだもの」
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