1‐2 血肉の大地

 ——この世界は肉で出来ている。

 世界にまだ大地と呼べるものがあったその時代。

 急激な人口増加によって齎された食糧難と資源難は人類生存の未来を著しく閉ざそうとしていた。

 そんな折に世界最高機関【V5】が指揮するシンクタンク【C機関】がその二つの危機を解決できる新たな食糧を人工的に開発する事に成功。


 超万能培養細胞ハピリスと名付けられたソレは、培養細胞の成分を自由自在に変化させることが可能で、食糧問題を解決する培養肉は勿論、加工次第では身の回りの物をなんでも再現することが出来た。


 そうしてあらゆる問題が解決されたことでV5は、二千平方キロメートルほどの無人島に天高く伸びる全長三キロに及ぶ巨大設備——生成炉心エクスビボを建設。そこで無限に生成されるハピリスは、世界中に食糧や資源を届け人々をかつてないほど豊かにしてくれていた。


——あの天変地異が訪れるまでは。


 ある日、何の変哲もない日常を送っていた最中で発生した世界同時巨大地震。

 大地は裂け、海は荒れ狂い、押し寄せる津波は平等に何もかもを破壊し尽くしていく。

 人類どころか生命体全てが消え失せようとしたその時、彼らを方舟のごとく救ったのが生成炉心エクスビボだった。


 無限に増殖する培養細胞を巨大な肉壁として津波を防いだ生成炉心エクスビボはそのまま増殖範囲を拡大。


 島の外まで培養肉を広げ、島から五百キロメートル離れた先に四千平方キロメートルの肉の大地を『五つ』形成。そこから海に向かって伸びる何本もの肉の柱を海底と連結させることで決して崩れない地面が完成された。


 柔軟かつ強固な柱。地震が起きたとしても振動は全て吸収され、どれだけの人が乗っても崩れない安心安全の培養の肉の大地。変幻自在の培養大地ゆえに自由に加工も可能。


 人類は新天地となった新成培養大陸ペタフロートに移住し、新たな暦を刻み始める。

 ——それから新世歴四百五年。

 人類は肉の上で暮らしていた。


「——五つからなる新成培養大陸ペタフロートではそれぞれの区画で人が暮らしており、それがエイジア・ローシャン区、アーリヤ区、ユーノミア区、オルセル区、フロイセン区。【V5】が任命したC機関の最高権力者がそれぞれ各区で分割統治を行っています」

「はい、よろしい。座っていいわよ」

「はーい」


 ——と、キソラは不貞腐れた様な声を出す口と共に政府が発行する型落ちの教科書を閉じて、無機質で床から生えた様な黒い四角い机と椅子に座る。

 所々が削られて、見栄えが少し悪いもののは教室に綺麗に並んでいるこれらもまた、培養肉を駆使し加工して作られたモノ。


 街並みも含め、ここの世界の生活はハピリス無しでは生きていけない。


「みんなもこの遅刻娘がさっき言ったことはちゃんと覚えておいてね。それだけ大切なことだから。決して寝過ぎて忘れちゃう様なことは絶対にダメよー」

「はーい!」

「……」


 鈴の音の様に澄んだ女性の嫌味の言葉に子供達が無邪気に返事すると、キソラの顔が苦々しくなった。


 声の持ち主は教壇に立つキソラの母親であるキョウカ。

 ブラック系の襟付きのシャツとタイトスカートを身に纏い、白衣を羽織っている姿はいかにもと言った装いだ。

 栗色の長い髪をハーフアップで纏め、キソラと同じ空色の大きな瞳が教室にいる五人の小さな子たちを捉えている。

 ソレを見てまた少し気疲れした彼女は、仏頂面で頬杖を付いた。


「まったく……ちょっとくらいの遅刻くらい許してくれても良いのにさぁ……。罰にしたって他にあるじゃん……」

「キソラ、なにか言ったかしら?」

「いえー、なーんにもー」


 眦を鋭くさせたキョウカの視線にサッとキソラは逸らす。

 するとその視線の先には、キソラを見る五人の子供たちがいた。


「もー、キソラおねえちゃん。あんまりキョウカせんせーをこまらせたらだめだよーせんせー二人しかいないんだからさー」

「そうだぜキソラー。それに、ちこくはダメっていったのはキソラやユウリたち、高学年なんだからちゃんとまもってくれなきゃ。『しめし』?ってやつがつかないぞ」

「うぐっ……! 子供の正論が一番突き刺さる……!」


 うっと胸を抑え、机に突っ伏すキソラ。遅刻の罰として放り込まれた歳下ばかりの幼年学級。

 どうせなら、ここで歳上らしいところを見せて敬われ様としたのだが、結果はご覧の通り。

 母親からたしなめられるその様子では、敬われるどころか歳上らしいところが一つ見えない。

 みんながみんな、キソラを揶揄う側に回っていた。


「はいはい、キソラを揶揄うのはこれくらいにしてみんな。次はV5について読んでもらうから……そうね、ニシキくんお願い——」


 ——教壇に置かれた小さな時計から鐘の音が鳴る。時計の針が示す時間は十二時。

 お昼時で、授業の終わりの時間だ。


「っとと、もうこんな時間か。じゃあ、V5についてはまた次の授業でやりましょう。みんな、今から一時間好きに過ごしていいわよ」

「今日もありがとーキョウカせんせー!」

「なぁミク今日のメシ、外で食おうぜー! 気持ちいい天気だしよ!」

「うん! 分かったよニシキくん! 行こ行こ!」


 ドタバタと子供たちが小さな巾着袋を持って教室から出ていき、キョウカも続いて出ていく。

 ——と、そこで何かを思い出したかの様に立ち止まりキョウカは顔だけをキソラに向けて話し始めた。


「あ、そうだキソラ。あなた今日、朝ごはん食べてないでしょ? お昼も用意してないでしょうし、保健室に来なさい。遅れたせいで【免疫摂取イミュニティ】も受けられていないし丁度良いわ」

「あーい」


 項垂れたまま手をひらひらとさせて返事。元気っ子で知られるキソラでも、朝から朝の騒動と罰によって精神が疲労困憊だった。

 それに苦笑して今度こそキョウカは教室から出ていく。

 それと入れ替わるように精悍な顔立ちをしたガタイの良い男子と小柄で可愛らしい少女入って来た。

 男子はキソラの前に立ち、少女は項垂れているキソラの下へ勢いよく抱き着いた。


「お勤めご苦労さん、キソラ。無事に登校できてたようで何よりだ」

「キソラー、会いたかったよぉぉぉぉ! 元気にしてた!? 怪我はない!? 朝、あんなことあったから心配だったんだよ!? どうせ、キソラのことだから助けに行ったんだろうし! あーもう、キソラ成分たすかるぅぅ……!」 

「ヨシハル……ユウリ……。これが元気な姿に見えるなら、一回お母さんに目を見てもらった方が良いよ……。純粋な心たちに囲まれて、私の精神は絶賛下降中だよ……」


 心配から恍惚へと表情を変化させる情緒不安定少女に思いっきり抱き着かれながら、気だるげな表情でキソラは顔を上げて二人に視線を寄越す。

 身長差のある二人。——邑上むらかみヨシハルと邑上ユウリは双子の兄妹だ。


 どちらも黒髪黒目。ヨシハルの方は髪の後ろを刈り上げ、鋭い眦とがっちりとした体つきからアスリート然としている。黒を基調とした制服の下に着ている白いシャツは第二ボタンの所で開けられており、覗く鎖骨は見る者が見れば心をときめかすだろう。


 一方で、ユウリの方は腰まである艶やかな黒髪を靡かせる文学少女風。キソラと同じ制服だが、かっちりと着こなしており暗い色の中にある純白のリボンタイが清楚感を醸し出している。大きな瞳は垂れ下がって優しさのオーラ全開。


 ついでに言えば、身長はユウリよりもキソラの方が高いが、体の起伏で言えばユウリの方が圧倒的だ。


 元気な兄と、兄とキソラと関わる時以外は二人の背に隠れるような性格のユウリ。

 顔立ちは似ていてもそれ以外はほとんど正反対だった。


「あぁ可哀想なキソラ……! わたしが癒してあげるからねぇ……!」

「癒されてるのはお前の方だろ」

「ほらほら、立って立って! 今日は空が晴れてて気持ちいいし、一緒にご飯食べに行こ!」

「聞けよ」


 兄をガン無視する妹。キソラ全推しのユウリにとって落ち込むキソラをどうにかするのが何よりの最優先事項。

 幼少期の頃、いじめられているユウリをキソラが助けたことをきっかけにぐいぐいやって来るようになったのだが、それは成長しても変わらない。


「あーごめんユウリ。私、お母さんに呼ばれてるんだ。ほら、【栄養摂取イミュニティ】を受けてないからさ。ついでにそこでご飯も食べて来るよ」

「えー……。じゃ、じゃあ今日の放課後、一緒に街で遊ぼ! あ、もちろん疲れてなかったらでいいんだけど……」

「あはは。全然、いいよそれくらい。ちょうど私も肉屋の店長に来るように言われてたんだ。奢ってくれるみたいだし、一緒に食べよ」

「うんっ!!」


 元気よく満面の笑みを浮かべるユウリ。その暖かみに触れてキソラの心も染み渡るように回復。キソラの表情も柔らかくなった。

 すると、そこでヨシハルが慌てて口を挟んできた。


「おいおい、ちょっと待ってくれユウリ。キソラは今日の放課後、オレに付き合ってもらう予定だぜ? せっかく今日はフリーだから思う存分、鍛錬できるってのに……」

「えー……。鍛錬って言っても、どうせヨシハルがボコされるだけじゃん。わざわざキソラのサンドバッグになりにいくってヨシハル、マゾに目覚めちゃった?」

「違ぇよ!! いや、ボコボコになるってのは違わないけど、それでも今日はマシな気がするんだよ! オレなりに色々と研究してだな——」

「はいはい。なんかやってたのは知ってるけど、それでわたしからキソラを奪わないでよねー」


 キソラを挟んで、彼女を獲りあおうとする兄妹。

 “私の為に争わないで”というのはちょっとした女子の憧れだが、それが兄妹喧嘩の火種じゃ憧れなんて微塵も感じない。

 

「ちょ、ちょっと二人とも! そんなことで揉めないでよ! ヨシハルはちゃんと鍛錬に付き合ってあげるから、ね! ごはん前の腹ごなしってことで、終わったら三人で行こ!」

「むー……。二人が良かったけど、まぁそれで良いよ」

「オレは鍛錬さえ出来たらなんでもいいよ。放課後頼んだぜ」

「あいあいー。んじゃ、私はそろそろ保健室に行くから。またあとでね二人とも」

「うんっ!」

「ああ、またな」


 そう言って別れる三人。これから兄妹は一緒に昼ご飯を食べるのだろう。

 なのに、なぜかまた言い争う二人の声を背に、キソラは保健室へと向かっていった。


 

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