第294話 死を覚悟する聖女と思い人
皆がヒッポにしがみついていられるのも時間の問題で、じきに力尽きて落ちてしまうだろう。だが後ろからは、あのバカでかい化物が飛んで追ってきている。
なにあれ…。
流石に理解の範疇を超えていた。あんなバカでかい化物をどうしろというのか…。しかも飛んでついて来るとは思わず、逃げきれるかどうかも分からない。どう考えても聖女が戦う相手じゃない気がする。
しかもネメシスは追いかけながら、黒い霧の玉を投げて俺達にぶつけようとしている。皆がしがみついていられない理由がそれで、ヒッポが回避行動をとるたびに体が振られるのだ。どこかで降りて、俺達が邪神を引きつけている間に、ソフィアたちを連れて行ってもらう必要がある。
そして…それが何回か続いた時、その時は来てしまった。
「きゃああああああ!」
こういう時は一番落ちて欲しくない人が落ちるもんだ。ソフィアが手を放してしまい、ヒッポから振り落とされてしまう。そして俺は何も考えずに、ヒッポを飛び降りてしまった。体を真っすぐにして落下速度を上げ、ソフィアに向かって一直線に落下した。
「ソフィア!」
「聖女様!」
空中でソフィアを抱き留めた。だが一緒に落下して…。
ありゃ? こりゃ死ぬな…。
などと考えていると、ソフィアが言う。
「なぜ私の為なんかに!」
「それは…あなたが好きだから!」
「聖女様…」
「最初に見た時からずっと好きだったから!」
「……私もお慕い申し上げておりました」
その言葉を交わした後、俺達は落下しながらも見つめ合っていた。まるで時間が止まったかのように、二人だけの幸せな空間がそこにあった。今までのすれ違いの時間を取り戻すかのように、じっと見つめ合い目が離せない。本当に愛しく恋焦がれた人が、今俺の腕の中で俺にしがみついている。
「そうだったんだ…。全然気づかなかった」
するとソフィアはニッコリ笑って言った。
「あの、月夜の夜。王城のバルコニーでの事を覚えていますか?」
「もちろん。あの時間が私の全て」
「わたしも、ずっと心にとどめておりました。あれから私の心はずっと聖女様のものです」
そうだったんだ。やっぱりソフィアとは運命だったんだ。するとソフィアは俺の胸にスッと頭をうずめて言う。
「不謹慎ですが、こうなりたかった。女だと分かっていても、ずっとお慕い申し上げておりました」
確実に死を覚悟しながらも、俺に愛の告白をしてくれるソフィア。俺の目に薄っすらと涙が浮かぶ。
「うれしいよ。やっと一緒になれたから」
そう言って俺はソフィアをグッと抱きしめた。
俺達は恐らく、地面に激突して死んでしまうだろう。だから…俺は魔法を発動させる。
「聖結界」
二人は光り輝き結界で守られた。落下の衝撃は受け止められないだろうが、あの忌々しい邪神の黒霧で殺される事はない。どうせ死ぬなら、一緒に地面に激突して死にたい。そして魔法が発動している間は、二人が離れないようにきつく縛りをかける。
「ほら。これで離れない」
ソフィアに言うと、ソフィアは俺を見つめ涙を流しながら言った。
「はい…うれしいです!」
重力に引かれ、二人の魂は弾けてしまうのだろう。だが俺は本望だった。恋焦がれたソフィアを抱きしめながら、二人の気持ちを確かめ合って死ぬのだ。ヒモだった俺としては、これが一番望んだ姿だったのかもしれない。
いろんな女に恋心を抱き、それでいて本気で好きになったのかもわからぬまま、根無し草であちこちを転々としていた前世の俺。そんな俺が魂で魅かれあった愛する女と、一緒に死ぬことが出来るのだ。俺は前世も含めて、今一番の幸せを感じていた。
二人が目を合わせて、唇と唇を重ね合わせようと時だった。
「フライ!」
突如シーファーレンの声が聞こえて来る。
「へっ?」
「はっ?」
落下速度が突然減少し、ゆっくりと地面が近づいて来る。
「聖女様! ソフィア様! 着地の準備を!」
くるりと頭と足が回転し、俺達はそっと地面に足をつけた。そこにふわりとシーファーレンが降りて来る。そこは森の中で、高い木々が生い茂っていた。シーファーレンが叫びながら俺の元に来る。
「間に合いました」
「た…助かった?」
「聖女様? 私達は助かったのですか?」
「そうみたい」
するとサッとソフィアが俺から離れて、真っ赤な顔をして俯いている。シーファーレンは何事か分からないようで、ただ困ったようにソフィアを見ていた。そこに遅れてヒッポが降りて来て、アンナがジャンプをして俺の側に立つ。
「むちゃをするな!」
あら、怒ってる。
「ごめんなさい。なんとしても助けたかったから」
「わかってる! だが聖女になにかあったらわたしは!」
「気を付けるから」
珍しくアンナが目に涙をためていた。それだけ心配だったのだろう。しかし悠長な事も言っていられず、じきにネメシスはやって来る。そこで俺は皆に言った。
「だけど、ネメシスの狙いは私だけ。だから逃げられる人は逃げて欲しい!」
アンナがまた怒って言う。
「馬鹿を言うな! わたしは聖女の剣! 死ぬまで一緒だ!」
するとシーファーレンも言う。
「ダメですわ聖女様。私を置いてどこに行くのです?」
マグノリアも言う。
「ヒッポも私も最後まで戦う!」
ゼリスまで言った。
「お姉ちゃんが決めたんなら、僕もここにいる!」
ネル爺も言った。
「この老いぼれの最後の死に場所を与えて下され」
クラティナが言った。
「シーファーレン様と一緒に居る!」
「みんな…」
俺は打ち震えていた。皆が俺の為に命を投げ出して戦おうとしてくれている。あれほどのバケモノを目にして、それでも一緒に戦うと言ってくれているのだ。
するとそこにマルレーン公爵が来て言う。
「聖女様! 私には責任があるのです! あのようなものに操られ、国を危険に晒した罪が! あれを迎え撃つ義務が私にはあるのです! 家内もそれに従うと! それにもまして、ソフィアが聖女様の為に戦うというのです! 私達も一緒に戦わせてください!」
「公爵様…」
そしてソフィアのお母さんが言う。
「この子。言ったら聞きませんのよ。もう心を決めているようです」
ソフィアを見ると、大きく頷いて言う。
「こうなる運命だったのです。ご一緒させてください」
もうやるしかなかった。
そんな決心をしている時、森の向こう側の木々が倒れ巨大なネメシスが近づいて来るのが見えた。やはり俺の位置をはっきり感知しているようで、何処に隠れているのか分かっているのだろう。
「みんなの力を借ります。力を合わせてあれを打倒しましょう」
「「「「「「「「「「はい!」」」」」」」」」」
俺達はネメシスに向かう。あの巨大な怪物に対して何が出来るか分からないが、愛するみんなの為に全ての力を振り絞って止めてやると誓うのだった。
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