第219話 一目惚れ

 残った俺達は、シーファーレンとシルビエンテに連れられて空き家を見に来ていた。しばらく使っていなかったと見えて、薄っすらと埃が積もっている。あまり人が出入りしなかったのだろう。ところどころに蜘蛛の巣があるものの、掃除をすればすぐに暮らせそうだった。


「流石に私も疲れた」


 俺が言うとアンナが笑って言った。


「そうだろう。一番忙しかったからな」


「すぐに眠れると思う」


 するとシーファーレンがそれを聞いて目を輝かせる。


「西方部隊が帰ってくるのは明日なのですよね?」


「そうです」


「なら王城から使いが来るとしても、間違いなく明後日以降です。本日は我が家にお泊り下さい」


「私がいなくなって諜報部や間者が怪しまないかな?」


「大丈夫ですよ。それにもしそんな事があれば、当家にも通達状が届くでしょう。動くのはそれからでも遅くはないです」


 シーファーレンがニコニコしながら言うので、俺は甘える事にした。


「それではお願いします」


「ぜひ!」


 そして俺達は本館に戻る。シーファーレンがその胸をゆさゆさと揺らしながら、案内してくれたのはとても上品なゲストルームだった。外から見た古めかしさからは想像もつかない、おしゃれな室内に驚く。


「素敵な部屋」


「気に入っていただけたら何よりです。従者の方もお隣の部屋にどうぞ、そして剣士様は聖女様と同室ですね?」


「ああ」


 シルビエンテがクローゼットの扉を開けて、寝巻を吊るしたハンガー掛けを引っ張って来た。それを見てシーファーレンが言う。


「私の寝巻ですので、もしかしたらサイズ感が合わないかもしれませんが」


「お気遣いなく」


「それではごゆっくりとお休みください。他のメイドさん達には既に、貴族の娘様達とお休みいただいております」


「至れり尽くせりの対応ありがとうございます」


「いえ。それではあなた達はこちらへ」


 そう言ってマグノリアとゼリスが賢者に連れていかれた。ドアが閉められるのと同時に、俺はバフッっとベッドに突っ伏した。


「しんどかった!」


「お疲れ。出来れば着替えた方が良いぞ」


「アンナは?」


「わたしは、いつも通りこのままでいい」


「わかった」


 俺はハンガー掛けにかかっている、白いドレスのような寝巻を見る。どれも上品な純白の寝巻だ。


「着てみる」


 するとアンナが、俺の背中に周って紐をほどいてくれた。俺は自分の衣装を脱いでハンガーを取ってかける。白い寝巻を取り出して袖を通してみるが、どうやら着丈があわないようで袖が長い。それにも増して…胸がゆるゆるだ。俺は中身男なので全く悔しくもなんともないが、シーファーレンの胸を収めていた寝巻だと思うと嬉しくなる。


 そしてそのままベッドにもぐりこんだ。アンナは椅子に座って剣を足元に置き、そのまま目をつぶって眠りについた。俺は布団を深くかぶって、シーファーレンの寝巻に顔をうずめ深呼吸する。


 スーハースーハー


 ああ…良い匂い。シーファーレンの匂いがする。引きこもりの彼女ではあるが、女にはとても優しい。どこか俺と精通するところがあるので、俺も安心する事が出来た。


 しかし、俺もうっかり忘れそうになっていたが、アグマリナの妹のダリアの件。元々マロエとアグマリアから言われていた、妹も助けてほしいという願いに答えたのだが、出来れば大人しく従ってもらいたいところだ。そうじゃないと、俺はここにアンナを置いて行かなければならない。その前に…影から出てもらわないと…


 そんな事を考えながら俺は寝てしまった。かなり疲れていたようで、深く眠り込んでしまう。


 ・・・・・・・・・・


 しばらくして俺は物音で目覚めた。


「放してよ!」


「だめだ!」


「もう帰るんだから!」


「危険だ。まずは落ち着くまで様子を見ろ!」


 俺が目を開けると、アンナが小さい少女を抱っこしていた。床にはダークハットが落ちていて、小さい子は足をバタバタさせている。


 どうやら俺達が寝静まった頃にそっと抜け出して、自分の家に帰ろうと思ったらしい。しかしアンナを相手にそっと出て行けるわけがない。俺はスッと起き上がって、スルスルと二人の近くに寄った。足元のダークハットを拾い上げ、俺はダリアに向かって言う。


「これは返してもらうね。大切な借りものだから、壊れたら大変だし」


「な、なんで、聖女様が…」


 アンナが誘拐して来て、しばらく陰に入っていたから周りの状況が良く分かっていないらしい。俺を見て唖然とした表情をしている。


「ダリアちゃんでいいのかな?」


「はい…」


「悪いけど、私があなたを助けました」


「えっと…、聖女様というのは本当だったんだ。影の中に聞こえて来たけど嘘だと思っていた」


「嘘じゃない。正真正銘の聖女」


「…でも。帰ります」


「あのね、今はとても危険な状況なんだ。私達を信じてここに居てもらうしかない」


「嫌です」


 困った。ここで聞き分けてもらわないと、賢者邸に迷惑がかかる。とりあえず俺は、ミリィが作ってくれた弁当がある事を思い出した。


「まずは暴れないで。とにかくお姉様がまだ寝ているから、目覚めてから話し合いましょう。それまでにご飯でも食べて…」


 だがその言葉を遮るようにダリアが言う。


「私だけ帰るのでいいです。姉さまの事は黙っておきます」


 それは困る。ここにアグマリナを匿っている事がバレてしまう。


「えっと、とにかくお姉さんの居る部屋に行こう」


「はい」


 ダリアは、じたばたするのをやめて床に立った。俺がドアを開けると、カラン! と鈴の音がしてシルビエンテがゆっくりとやって来る。


「どうされました?」


「アグマリナの妹が陰から出ました。お姉さんの所に連れて行きたい」


「かしこまりました」


 俺達はシルビエンテについて、違う部屋へと向かう。寝室の前に立つとシルビエンテがノックした。


「はい」


 間もなくリンクシルがドアを開けた。


「あ、聖女様」


「寝ているところ悪いんだけど、ダリアが出て来たからアグマリナに会わせる」


「わかりました」


 そして俺達が中に入ると、マロエもアグマリナもぐっすりと眠っている。ルイプイもジェーバもその脇に小さなベッドを用意されて寝ていた。俺が入って来た事で、ルイプイとジェーバが起きてしまう。


「ごめん」


「いえ!」

「大丈夫です!」


 俺はダリアをアグマリナの所に連れて行った。ダリアがそっとアグマリナを揺り動かす。


「姉様」


「あ、だ、ダリア…」


「私帰ります」


 するとアグマリナがスッと起きた。そしてダリアに向かって言う。


「ダメ。とにかく実家は今、危険なのよ。あなたに万が一の事があったら大変だわ」


「なぜお家が危ないの?」


「それは。お父様が王様に背いたから、貴族としてはそれでは生きていけない」


「何を悪いコトしたの?」


「そうね。不当に奴隷を買ったりしたのもあるけど、一番大きいのは王家に反発したこと。絶対王政のこの国ではしてはいけない事なのよ」


「…でも。お母様の所に行きたい…」


「…無理なの」


「嫌だ!」


「ごめんなさい…」


「いやぁぁぁ」


 そう言ってダリアは泣き出してしまった。アグマリナのように分別のつく年頃になっていないので、母親から引き離されるのはとても辛いだろう。しかしどうしたって、アグマリナ達の母親まで救う事は難しいのだ。そこまでやってしまうと、流石に誰も見過ごしてはくれない。可哀想だが、ここで暮らして貰うしかないのだ。


 アグマリナがダリアを抱きしめて一緒に泣いているところで、寝室のドアがノックされた。


「はい」


 すると入って来たのは、マグノリアとゼリスの姉弟だった。この部屋の話し声が聞こえ何事かとやってきたらしい。


 俺が言う。


「あら、起こしちゃったね」


「いえ」


「寝ていていいよ」


「何か大変そうでしたので」


 マグノリアとゼリスが中に入ってくると、突然ダリアの泣き声が止まる。何事かと思い、俺達がダリアを見ると瞳がこぼれ落ちんばかりに目を見開いている。


「ダリア?」


 俺が声をかけるも全く反応しない。するとダリアが、自分の姉に耳打ちする。それをアグマリナが俺に伝えて来た。


「聖女様。そちらのお二人は、聖女様のご従者でお間違いないですよね?」


「間違いない」


「えっと、その小さい子もでしょうか?」


「そう」


 ゼリスは自分の事を言われたのが分かり、どうしていいか分からずマグノリアの手をつないだ。するとまたダリアがアグマリナに耳打ちする。


「えっと、そこのお二人はお仲がよろしいようですが、御関係は?」


「姉です」

「弟です」


「わかりました」


 するとまたダリアが、アグマリナに耳打ちした。


「えっと、そちらの男の子のお名前をお伺いしても?」


「ゼリス」


 ゼリスは自ら答えた。小さいながらもイケメンで、それほど物おじしない性格なのではっきりと言う。するとまたダリアがアグマリナに耳打ちした。だが今度はアグマリナがダリアに言う。


「あなた自身で聞きなさい」


 しばらく狼狽えていたダリアが、とてとてとゼリスの元へと歩み寄った。そしてゼリスに言う。


「あの、お付き合いしている女性はおられるのでしょうか?」


 へっ?


 その言葉に皆の目が丸くなる。言われたゼリスが何の事か分からないような顔をした。


「お姉ちゃん。これは、どう言う事?」


 するとマグノリアがゼリスに言う。


「えっと。好きな女性はいるかって聞いてる」


 するとたちまちゼリスの顔が真っ赤になった。明らかに居る! って感じの顔だが、ゼリスは慌てて首を振った。


「い、いない」


 だが、その時ゼリスは俺の顔をチラリと見た。俺も目が合ったので、とりあえずニッコリと微笑み返す。ゼリスはすぐに目を逸らして下を向いてしまった。


 だがダリアが嬉しそうに言った。


「そうですか! そうなのですね!」


 トテトテとアグマリナの所に帰ってきて、ダリアが耳打ちする。するとアグマリナが俺に言った。


「えっと。妹はここにお世話になるそうです。お騒がせして申し訳なかったと申しております」


 アグマリナがダリアの頭をポンポンと叩いて言った。


「ほら! あなたからも謝りなさい」


 するとダリアはゼリスの目をジッと見つめながら言った。


「ごめんなさいね。お騒がせして、本当はここに居たいと思っていたんですよ」


「あ、はい」


 なるほど。ダリアはおませさんだ。そして目の前の小さなイケメンに対して、特別な好意を持っているらしい。その時だった。


 グーッ!


 ダリアのお腹が鳴る。そう言えばずっと何も食べていなかった。その音を聞いたアグマリナが言う。


「聖女邸のメイド様が作ってくださったお弁当があるのよ。食べる?」


 ダリアは恥ずかしそうにゼリスを見ながらコクリと頷いた。


 コンコン!


「はい」


 ドアがノックされたので俺が返事すると、そこにはシーファーレンが立っていて聞いて来る。


「寝ずらかったでしょうか? 何かございました?」


「いえいえ。妹が出てきたのです」


「それはよかった!」


「ややこしくなる前に、ダークハットはお返ししておきます」


「はい。それではお預かりします」


 そうしてダリアもここに避難する事が決定したのだった。

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