第115話 今宵、洗体しましょう

 ミリィは俺にアラクネのマントと黒装束のドレスを着せてくれた。そして、不安そうな顔で俺に聞いて来る。


「本当に空を飛ぶのですか?」


「マグノリアも大丈夫って言ってたし、アンナも乗ってくれるし。問題ないよ」


「問題ないって…、聖女様が空を飛ぶだなんて」


「凄くない?」


「それは凄いですが、余り危険な事をなさらずに」


 うーん。可愛い! 本気で俺の事を心配してくれるつぶらな瞳。その栗色の髪に顔をうずめてスース―と吸い込みたくなる。俺は思わずミリィに抱きついてしまった。


「ありがとう! 大丈夫だよ! 心配しないで」


 スース―


「心配なのです」


「まーったく問題ない。今までもそうだったでしょ!」


 スース―


「聖女様に何かあったら私…」


「待ってて。ちゃんと帰って来る」


 スース―。あー、いい匂い。きっちりミリィをチャージして、俺はミリィから離れる。


「これ、風で飛ばないようになってるの?」


 俺は自分のベールを指さして言う。


「はい。全部きちんととまっていますので、後は魔法の杖を持ってみてください」


「こう?」


 するとミリィは俺の手首に輪をかけて魔法の杖をくるりと回し、ぱちりと手首のベルトを止めた。


「魔法の杖をくるりと一回転させてください」


「こう?」


 杖をくるっと回すと、魔法の杖を固定するベルトが締まる。


「でも抜ける事はあると思います。とにかく手を離さないように」


「ありがと」


 実はミリィは今回、初フライトにあたって俺の装備を固定式にしてくれたのだ。


「裁縫ありがとうね。皮の加工も手が疲れたでしょう」


「聖女様の安全の為です。それでも不安なくらいです」


 俺はミリィの手を取って、さすさすした。すべすべした小さな手で、一生懸命やってくれた事にキュンキュンしてしまう。もう一度ぎゅっとしてから、俺は部屋を出る事にした。アンナの部屋に行くとアンナは自分の武器プラス、背負子を背負っていた。


 俺は背負子に何が入っているのか聞く。


「それは何?」


「あいつを、ヒッポを洗うブラシと洗剤。あと香油が入ってる」


「香油?」


「臭いが気になるからな。少し香りづけしてやろうと思う」


「用意周到だね」


「ああ」


「行こう」


 俺とアンナが庭に出て行くと、マグノリアがヒッポの世話をしていた。いろいろと指示を出して、お座りやお回りなどをさせているようだった。まるで子犬のように忠実に言う事を聞いている。


 俺とアンナについて、ミリィとスティーリア、ヴァイオレット、アデルナ、それ以外の聖女邸一同が一緒について来た。皆が一様に不安そうな顔をしている。そんな中でアンナがリンクシルに言った。


「留守の間、皆を頼むぞ」


「はい」


 リンクシルはだいぶ落ち着いていた。最近、アンナの修練にも慣れて、自分の感情や気をコントロールできるようになってきている。とても頼もしい護衛だった。


 俺がマグノリアに言った。


「じゃ、行こうか」


「はい」


 ヒッポを寝そべらせ、マグノリアがさっさと背中に乗り手を差し伸べて来る。


「ありがとう」


 俺は足を鞍にかけて、マグノリアの手を取りグイっとヒッポの背中に乗った。そして体についたベルトを鞍についた枷につなげる。俺の後ろにひょいっとアンナが乗ってきた。


 最後にミリィがアンナに包みを渡す。いったい何だろう?


「ミリィ。これは?」


「お弁当です」


「お弁当?」


 ピクニックじゃないんだけど。


「お腹がすいたらどうぞ」


「あ、ありがとう! うれしい」


 今日は月が出ておらず真っ暗な夜だ。飛んでもそれほど目立つことはないだろうと、さっき飛ぶ事を決めた。アデルナが言って来る。


「聖女様。くれぐれも…」


「分かってますって。大丈夫だから! みんなもね!」


 皆が返事をした。そして今度はリンクシルがマグノリアに言った。


「マグノリア! 聖女様は私の命の恩人! くれぐれも怪我などさせないで」


「うん」


 そしてマグノリアがヒッポに声をかける。


「さあ。飛ぶよ! おまえが見つけた湖に飛んでおくれ」


 ぐるぅぅぅ!


 ヒッポが翼を広げた。そして庭を円を描くように走り、一気に夜の空へと飛び立つのだった。聖女邸の面々が俺に手を振っている。ぐんぐん高度を上げていくと、王都の夜景が広がった。


「すっご! 見て! アンナ!」


「凄いな。星空が逆さまになったみたいだ」


 俺達が王都を見て喜んでいると、マグノリアは王都を一周するようにヒッポを飛ばしてくれた。一周すると、ヒッポは一気に王都を離れて東に向かって飛び始める。思ったより風が強く風切り音がうるさい。俺は前に座るマグノリアの耳元に口を近づけて言う。


「マグノリア」


「はい?」


「背中の上で結界を張ったら、ヒッポはビックリするかな?」


「大丈夫。言い聞かせる」


 俺は魔法の杖をかざして、背の上の三人に結界を張った。すると風があたらなくなり一気に快適空間になる。


「相変わらず便利な魔法だな」


 アンナが言う。


「まあ使える物は使う」


「そうだな」


 それから一時間ほど夜間飛行を続け、眼前に真っ暗な場所が見えて来る。ヒッポはそこめがけて、高度を落として着陸したのだった。ちゃぷちゃぷと水の音が聞こえる。


 俺達がヒッポから降りてすぐ、アンナが背負子からカンテラを出して火をつける。辺りが照らされてよく見ると、どうやら俺達は湖畔にいるようだ。


 更にアンナはマグノリアに指示を出す。


「薪を集めろ」


「はい」


 二人が一通り薪を集めて、アンナが火をつけた。


「ついた」


 火をどんどん大きくして、焚火は強く燃え始める。焚火の灯りに三人の顔が浮かび上がった。


「魔獣が来るといけないからな」


 そう言って、アンナは背負子からブラシを二本と洗剤を取り出した。なんと言うか、流石は特級冒険者だけある。めちゃくちゃ手際よく感じるのは気のせいじゃないはずだ。


 そして俺が見ているそばから、アンナが服を脱ぎだした。そしてマグノリアにも言う。


「お前も脱げ」


「はい」

 

 マグノリアもアンナに言われるままに服を脱いだ。


「ええ?」


 俺が驚いているとアンナが振り向いて言う。


「服が濡れるだろう? それに、ちゃんとタオルも持って来た」


「そ、そうだね。そうだよね!」


 いつの間にかマグノリアとアンナがすっぽんぽんになっている。二人はブラシを持って俺に振り向いた。


「聖女はそこで見てろ」


「うん」


 そりゃ見てるさ。二人は素っ裸だし、他に見るものも無いから。だけど辺りは真っ暗だから、はっきりは見えなかった。


 だが…それはそれで、いい感じだ。


 俺は、鼻の下を伸ばしてヒッポを洗う二人を見ている。じゃぶじゃぶと水をかけたら、アンナが一気に洗剤をかけてブラシでごしごし始めた。ヒッポが暴れるかと思ったら、物凄く気持ちよさそうな顔でうっとりしていた。気持ちいいらしい。


 泡だらけになったヒッポに水をかけて、二人は水を上がって来た。そして俺が見ている前でタオルで体を拭き始める。アンナとマグノリアは服も着ずに、そのまま丸太に座って焚火にあたった。


「少し水が冷たい」


「うん。冷えちゃいました」


 俺は二人に言う。


「あたってあたって。薪をもっと持ってくる」


「ダメだ。聖女は動くな、わたしが行く」


 アンナは裸のまま薪を拾いに行った。そして大量に持って来て焚火の側に置く。


「調節してくれ」


「わかった」


 俺は薪を取って焚火にくべる。二人の体が乾いたらしく服を着始めた。そしてアンナが言う。


「マグノリア。これをヒッポに塗ろう」


「わかった」


 アンナが香油を取り出して、マグノリアを連れてヒッポの側に立った。ヒッポは座り込んで、二人にされるがままに香油を塗られ始める。


 俺もそばに行ってマグノリアに聞いた。


「ヒッポはどう思ってるの?」


「気持ちいいって。あといい匂いだって言ってる」


「そうか。気に入ったのならいいね」


 二人が香油を塗り終わった。そして焚火の側に座る。


「お疲れ様。ミリィがお弁当持たせてくれたから食べようよ」


 二人がコクリと頷く。するとその時、空の雲がスーッと流れて突然月が現れた。月に照らされて湖が幻想的に輝く。


「綺麗だ」


 俺が言うと、二人が後ろの湖を振り向いた。


「そうだな」

「本当だ」


 とりわけマグノリアが嬉しそうだった。


「マグノリアは自然が似合うね」


「好き」


 そう言う彼女は可愛かった。最初に会った時は野生児のようだったが、今では見違えるように女の子になっている。こんな子に密入国などさせるヤツはろくな奴じゃない。


 月夜の湖畔で俺達は美味しい弁当をつまみながら、親睦を深めるのだった。

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