第113話 予想外の番犬

 俺とヴァイオレットは、聖女邸の最上階にある見晴らし台に上がって周囲を見ていた。マグノリアの出所後に、にわかに聖女邸周辺の人の流れが変わったからだ。王直属の密偵がどいつかは分からないが、明らかに今まで見たことのない市民も通るようになった。


 もちろん俺達だけではそれに気づく事は無かったが、異常に鼻が利くリンクシルがそれを俺に伝えたのだった。このあたりは公爵邸や聖女邸以外には貴族の屋敷があるだけ。あまり一般市民が通る場所ではないが、リンクシルに言われて気が付いた。


 俺がヴァイオレットに言う。


「明らかに人通りは多くなったよね?」


「そうですね。聖女邸を狙っているのでしょうか?」


「うーん。そこまでは分からない。もしかしたら監視されているのかも」


「スティーリアさん大丈夫ですかね?」


 俺の代わりに、モデストス神父の所に出かけているスティーリアを心配する。孤児学校の設立を進める為、スティーリアは俺の代わりに出かけて行ったのだ。


「リンクシルがついているけどね。鼻が利くからおかしな人が近づけば気が付くはず」


「リンクシルがアンナさんに武術を教わってから、そう時間はたっていませんが襲われたら撃退できるんでしょうか?」


「アンナ曰く素の状態でも普通の人間より強いらしいし、飲み込みが早いんだって。なにかあっても、騎士団が来るまでの時間は稼げるんじゃないかな?」


「何事も無い事を祈るしかないですね」


「そうだね。でも学校の事はやらなきゃいけない。とにかくアンナがいないうちはリンクシルが頼みの綱だ」


「はい」


 俺達は見張りを切り上げて下に降りる。そのままマグノリアの様子を見に行くと、マグノリアはジェーバとルイプイと共にアデルナから文字を教わっていた。


「アデルナ。三人はどうかな?」


「まあ、時間は必要でございますね。単純読みは出来るようになりましたよ」


 流石はアデルナ、教えるのが上手い。俺はマグノリアの前に行って聞いた。


「勉強は楽しい?」


「はい」


 俺はマグノリアの手を取って告げる。


「言葉は大事。今は感覚で魔獣の使役が出来ているかもしれないけど、他にもいろいろ出来るようになるかもしれないからね。いくつか魔導書を持っているから、それが読めるようになるといいけど」


「がんばります」


「まずはゆっくりでいいからね」


「はい」


 俺はアデルナに目配せをすると、ニッコリと笑った。俺はその場をアデルナに任せて、ヴァイオレットと共に執務室に行く。


 アンナが出かけてから、一週間ほど経つが未だに帰って来る気配はなかった。そもそもアンナの身を心配してはいないが、一体どこに行ったというのだろう? 実は俺達はアンナの行先を知らなかった。


 俺とヴァイオレットが執務室に入ろうとした時、にわかに外が騒がしくなった。


「なんでしょう? 騒がしいです」


 ヴァイオレットが不安そうな顔をする。だが俺にも何かは分からない。


「行こう!」


 俺達が廊下に出ると、アデルナとマグノリア達も血相変えて廊下に出て来た。アデルナが俺に聞いて来る。


「なにごとでしょう?」


「わからない、何か騒がしいみたいだけど」


 俺達が慌てて一階に降りると、メイド達が一斉に玄関口に集まっていた。俺が急いで玄関口に行くと、ミリィが血相を変えて玄関から入ってきて俺に詰め寄る。


「た、大変です! あ、あわわわ!」


「落ち着いて! 襲撃?」


「いえ! あの、あの!」


 いつも冷静なミリィが慌てふためいていた。俺はすぐさま壁に立てかけてある魔法の杖を掴み、メイド達を押しのけて庭に出た。だがその目に飛び込んできたのは衝撃の光景だった。


「あ、アンナ!」


「遅くなった」


 俺の前に立つアンナの後ろには、二本の太い棒に挟まれて雁字搦めに縛られている動物が荷馬車に乗せられていた。


「い、いや! なにこれ? 生きてんの?」


 俺がそれを見て言うと、その生き物はグルゥゥゥと喉を唸らせる。恨みをはらんだ目で俺達を睨んで来た。食われるんじゃないかと思う。


「生きてなきゃ意味が無いだろう?」


「何が?」


「これが、聖女邸の護衛だ」


「「「「「‥‥‥‥」」」」」


 皆が絶句した。だがアンナは何事も無いように言った。


「マグノリア、やれるか?」


 マグノリアが俺の前に出て言った。


「やってみる」


 マグノリアが無造作に近くに寄っていく。そしてその動物の頭を撫でた。見る限り体は馬だが頭は鳥だ。羽が畳まれてしっかり縛られている。怒りに満ちたその鳥頭の目が、次第に落ち着いて来るのが分かる。


「いい子だね。うん、うん、そうか。怖かったんだ。でも怖くないよ」


 マグノリアがそれに話かけ始めた。


「痛いの?」


 そしてマグノリアがアンナに言った。


「解いて」


「大丈夫なのか?」


「暴れないって」


「わかった」


 なぜかこの二人にも信頼関係が生まれている。そしてアンナが一瞬で縄を斬ってほどくと、その鳥頭が立ち上がろうとした拍子に荷馬車が壊れた。それほどにそれは大きかった。


「きゃあ」


 メイドが尻餅をつく。だがマグノリアは冷静に言った。


「皆も怖がらないで、それが伝わっちゃう」


 怖がらないでって言われてもなあ…。ここにアンナがいるから落ち着いていられるが、こんな訳の分からない動物を目の前にみんなが怯えている。


「そう。大丈夫、そう。私達は味方だよ」


 よく見ればその動物は羽と足が折れているようだった。アンナが俺に言う。


「すまん。捕らえる時に飛ばないように折ってしまった」


「なるほど」


 俺は魔法の杖を持ってその動物の前に出た。そして杖をかざして回復魔法と癒し魔法を重ね掛けする。俺の杖からふわっと白い光が広がり、その動物を包み込む。すると折れた足と羽が治っていく。


「どう? 怖くないでしょ」


 マグノリアが言うと、それは頭を下げてマグノリアに頬ずりした。


 俺がアンナに聞く。


「これ、何?」


「ヒポグリフだ」


「そう言う魔獣?」


「そうだ。物凄く希少性が高くてな、神山に登ってようやく見つけたんだ。で、すぐ狩った」


 すぐ狩ったって…。そもそもがこんな魔獣を連れて来るなんて言ってなかったし。いきなりこんなデカいのを連れてこられても困るんだが。


 俺達が呆然と見ているとマグノリアが言った。


「聖女様が好きだって。治してくれたからうれしいって」


「そ、そうか。そりゃよかった」


「撫でてあげて」


 うわあ…食われたりしないかな?


 俺が手を差し伸べると、鳥のくちばしから出てきたベロが俺の手をベロンと舐めた。


「ほらね」


 マグノリアが言うが、何がほらね。なのか分からない。だが俺に敵意は無いと言う事は分かった。


「えっと、これは何を食べるの?」


 するとマグノリアが答えた。


「動物」


「動物なんか手に入らないかも」


「大丈夫。もう使役したから。彼女が飛んで行って勝手に山脈付近で食べて来る。前に使役したワイバーンもそうしていたし」


 これは『彼女』なんだ?


「呼べば来るって事?」


「もう繋がったから」


「そ、そうか…そりゃよかった」


 アンナが連れて来た希少な魔獣ヒポグリフは、鳥の頭に馬の体をしていた。背中に羽が生えていて、広げると四、五メートルはありそうだ。


 アンナが言った。


「繋げておいた方がいいだろうな」


 するとマグノリアが言う。


「大丈夫。私が命じなければ何処にもいかないし、呼べばすぐ来る」


「なるほど」


 すると門の方で呼び鈴が鳴った。


 メイドが走って行き門を開けると、スティーリアとリンクシルの乗る馬車が入って来る。馬車を進める御者も、青い顔でヒポグリフを見ていた。御者がビクビクしながら降りて馬車のドアを開ける。


 ガチャ。最初に顔を出したのはスティーリアだったが、突然ぬうっとヒポグリフがスティーリアの前に顔を出して息を吹きかけた。


「は…」


 一言そう言って、スティーリアは失神してしまった。慌ててリンクシルが後ろから抱きかかえる。


「な、なんだい? こりゃあ」


 リンクシルが叫ぶとアンナが言った。


「今日から聖女邸の番犬になった」


「マグノリアが使役したんだね!」


「そうだ」


 聖女邸の庭に魔獣がいて、それがべろべろとスティーリアを舐めている。もしかしたら聖職者が好きなのかもしれん。とにかく聖女邸に新たな仲間が加わったのだった。

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