第101話 神父の説得

 一番重要なのは、俺達が自由に動く為の護衛を作る事だった。俺は先にアンナとリンクシルの様子を見に庭に出る。庭の生え込み越しに、アンナの頭がひょこひょこと出たり引っ込んだりしていた。


 生え込みを回ってみると、リンクシルがアンナを肩車してスクワットをしていたのだった。


「九百八十、九百八十一…」


 えっ? いきなりそんなにやってんの?


 アンナは俺をチラリと見るが、特に声をかけることく続けさせた。


「九百九十九、千!」


 アンナがスタっとリンクシルから飛び降りた。そしてリンクシルに言う。


「庭園百周!」


「はい!」


 リンクシルは、ちょっとふらつきながらも走り出す。アンナが俺に向かって言った。


「どうした?」


「リンクシルはどうかなと思って」


「体のつくりが甘いが、仕方がない。まずは最低のラインまで作り込んでやる」


「そう…」


 アンナは話が終わったとばかりに、剣を振り始めた。あちこち飛び回って、ひとふりひとふり確かめるように剣を振っている。そのアンナの周りを必死に走るリンクシル。


 厳しいな…。だけどリンクシルの顔を見て俺はその考えを改めた。なんとリンクシルは笑っているのだ。楽し気な雰囲気がめちゃめちゃ伝わってくる。


 楽しいんだ?


 俺には分からない師弟コンビの訓練に、俺が口を出す事は何もなさそうだったのでそこから立ち去る。玄関口に周ろうとした時、出かけていたスティーリアの馬車が戻って来た。


「午前の巡回が終わったのかな?」


 それにしては早いような気がする。馬車の所に行って待っていると扉が開き、スティーリアが下りて来た。だがその後ろからもう一人降りて来る。


「えっ?」


 なんとスティーリアが連れて来たのはモデストス神父だった。細の身の体に、地味なくせ毛のグレーの髪と口ひげを蓄えた質素な男。俺に深々とお辞儀をしてくる。


「聖女様。突然の来訪をお許しください」


 するとスティーリアが言う。


「いえ。聖女様、私が独断で連れて来たのです」


「そうなのですね」


「教会に話を通す前に、ご本人にお話を通した方が筋かと思いまして」


「モデストス様すみません。お忙しかったでしょう?」


「教会の人間で聖女様によばれ、勿体つけるような人は教皇様ぐらいではないでしょうか?」


「ささ、とにかく屋敷に」


 まあ男を率先して入れるのは嫌だが、この際仕方がない。スティーリアが先を行き、俺とモデストスがその後ろをついて応接室に入った。


「どうぞおかけください」


 チリーン! と俺が鈴を鳴らすと、ミリィがやって来た。


「お茶を、三人分お願い」


「はい」


 お茶が用意されるのを待って座る。


 なんて話そう。この男は寡黙なので、何を考えているのか分からない。確かに信頼できそうな男ではあるが、新しい事に手を出すような奴だとも思えない。むしろ教会からのトップダウンで強制的にやらせた方が良さそうだが…


「失礼します」


 すぐにミリィがお茶を用意し、俺達の前にカップを置いた。お茶請けを置いて一礼をして部屋を出て行く。


「礼儀が行き届いておりますな」


「それほどでもございません」


 そして話が切れた。モデストスは静かにカップを見ている。


「どうぞ。私のお気に入りのお茶でございますが、お口に合うかどうか」


 口に合わないとか言ったら、王宮の事を悪く言うようなもんだぞ。と俺はモデストスを試すように見る。


「いただきます」


 静かに音も無くお茶を飲んでティーカップを置いた。


「これは見事な香り。私が普段飲んでいるような茶葉とは違います」


 味は分かるんだ。とりあえず俺はニッコリ笑ってモデストスに言う。


「よかった。口に合わなければ、他のものを用意させるところでした」


「それには及びません。して…スティーリア修道士からは、聖女様がお話があると言う事でしたが?」


「そうです。実はモデストス司祭様に相談が御座いまして」


 そう言うとモデストスは手を前に出して言った。


「様、などと。あなた様は、私よりかなり地位の高いお方です。モデストスと呼び捨て下さい」


「では、モデストス神父と?」


「それでかまいません」


 至って真面目なつまらない男だが、こいつが縦社会にこだわるなら付き合ってやろう。


「それで相談というのは他でもありません。孤児達についてです」


「…孤児がどうされました?」


「スティーリアに聞いたのですが、どうやら孤児出身の恵まれない人を助けたとか」


 するとモデストスは少し考えるようにしてから口を開いた。


「私が直接という訳ではございませんが、ある夜に数名の娼婦が連れてこられましてね」


「ええ」


「教会で助けてくれと言うのです。もちろん救いを求めて来れば、教会は平等に助けねばなりません。ですから彼女らの意向を、どうしたいのかと訊ねたのです。すると修道士になりたいというではありませんか。ですから今は住み込みで私の教会と、孤児院で働いていただいております」


 まあ合格だろう。と言うか、これが神父の代名詞といった答えた。


「それはよかった」


「はい」


 そして俺はモデストスの目をじっと見据える。すると普段は無表情のな男だが、ほんのりと頬を染めているのが分かった。男の目など見つめるもんじゃない…キモイ。


「実は私は、孤児達の未来を憂いているのです」


「孤児の未来? それは?」


「他の子供達と比べて、孤児とは、かなり不平等であると思うのです」


 それを聞いたモデストスが難しい顔をして言う。


「…それは致し方ない事でありましょう。家柄や家庭の貧富の差により、おのずと未来が決まってしまいます」


「私はそれが良くないと申し上げているのです」


「ですが…」


 まあ。この世界の常識だからね。貧乏な人や孤児に素晴らしい未来などほぼない。


「孤児を優遇するという事では無いのです。せめて、孤児に将来を選ぶための学びを施してはいかがでしょう? 何も学ばねば自分が何を出来るのかもわからないでしょう?」


 モデストスが顎に手を当てて深く考えてから答える。


「それを何故、私に話すのです?」


「その学校の立ち上げをやっていただけないでしょうか?」


「いや、いやいや! 私にそのような裁量はありません。それに資金繰りも自分の教会と孤児院を維持するので精一杯でございます。もちろんそれは理想的な事ではございますが、それはもっと力のある人がやった方がよいのでは?」


「例えば誰が? まさかクビディタス司祭?」


 ‥‥‥


 モデストスが沈黙する。そして少し怒りに満ちた表情で答えた。


「あれは…あの方はダメです」


「なぜ?」


「悪くは言いません。ですが、あの方は向いていないかと」


 だよね! だからあんたにお願いしてんだよ!


「例えば、資金の事でしたら問題ありません。私はミラシオン伯爵に貸しがある。そしてそろそろ帝国との問題にも決着がつくと思います。聖女財団の基金をそれに投資します」


「聖女財団の資金を?」


「貴族達から集めたお金ですし、丁度良いと思いませんか? 聖女財団のお金は私の裁量次第なのです。貴族からの支援で孤児らに教育を施す。理想的だとは思いませんか? 国の未来の為にひと肌脱いでいただくのです」


「それは…」


 モデストスは確かに、と言う言葉を飲みこんだようだ。それは貴族の金を自分の裁量で使う事を意味するからだ。だが俺はモデストスの顔を更にじっと見つめて言った。


「このままでは、我がヒストリアの国力は弱っていきます。優秀な人材は幅広く募るべきだと思っております。ヒストリア王国の存続と未来の為に立ち上がってください!」


 そして沈黙が続く。しばらく沈黙してモデストスが口を開いた。


「なんという愛国心。そしてなんという志でございましょう。ですが私などに務まるかどうか分かりません」


「支援は致します。今は教育者の人材の目処がついておりませんが、必ず用意すると約束します。資金は先に聖女財団から出しましょう。お願いします! あなたの力が必要なのです!」


 俺はモデストスの手を握り、真っすぐ目を見据えて言う。もちろん鳥肌がたってるけど。


「わかりました。私の力で役に立つことがあれば。それが孤児たちの未来に繋がり、国の未来に繋がるのだとしたら、やらない訳にはまいりますまい」


 よし!


「よろしくお願いします。それでは私は教会にも話をつけてまいります。追って通達があると思いますが、よろしく頼みましたよ!」


「はい」


 今回は聖女の魅力をがっちり使わせてもらった。こういう真面目な公務員気質の男は、美人の誘いにはめっぽう弱いのだ。もちろん女で破滅しないように、陰ながらこいつを見張る事にしよう。


 用が終わると、モデストスは早々に立ち上がる。無駄にお茶話などをする男ではないようで、馬車で送ると言ったのに歩いて帰って行った。俺は早々に手ごたえを感じる。それもこれも仕事の早いスティーリアのおかげだった。


「スティーリア。ありがとう、迅速な判断で話が進んだよ」


「ホッとしました。少し強引かと思っていたのですが、聖女様の説得のおかげです」


 俺とスティーリアは応接室でクッキーを食べながら、教会に行く日取りの話を始めるのだった。

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