第78話 接触

 俺とアンナはお婆さんの家には入らず、外の柵に腰かけて温かいスープを貰っていた。もちろん長居するつもりはなく、これを食べたらすぐに村を出るつもりだった。


 婆さんが俺に声をかけて来る。


「大変だで、迂回していった方がええがのう…。女子二人ではとてもじゃないが…」


「すみません。急ぐもので」


「何人も死んどるよ」


「明るいうちに抜けます」


「うーん。とにかく襲われたら、荷物を捨てて馬で逃げるといい。だけんど…そんな弱弱しい馬ではなあ…」


「お気遣いありがとうございます。ですが本当に急いでいるのです」


「なら、もう行った方がええ。遅くなれば山に着くころには暗くなってしまう」


「ごちそうさまでした」


「なんもおかまい出来んと…」


「いえ。元気が出ました」


「気を付けてのう!」


「はい」


 お爺さんが心配そうな顔で家の方から手を振っていた。俺はお爺さんにも手を振り返す。アンナが馬の手綱を握り、俺が隣りに座って馬車を走らせる。お婆さんとお爺さんが心配そうに手を振っているので、ニッコリ笑って手を振り返した。


「大丈夫! 心配しないで!」


 するとアンナが俺に声をかけて来る。


「顔とかバッチリ見られたけど、大丈夫なのか?」


「この辺で聖女の顔を見た事ある人なんていないから問題ないよ。暖かい物が食べられて良かったでしょ?」


「それはそうだが」


 アンナが心配しているが、俺はさほど問題を感じなかった。村人にも見られているが、俺達はそのまま村を出た。


 まだ太陽は高いところにある。だが俺はわざと時間を潰したのだ。むしろ暗くなってきてから危険地帯を通った方が、盗賊には遭遇しやすいからだ。慌てたところで盗賊に会えなければ意味が無い。


「まあのんびり行こう」


「ああ」


 日差しが強い。もっと天気が悪い方が、早く暗くなるのにと思いながら俺は風景を見渡していた。だが、ただただ草原が広がっているだけで代わり映えしない。


「アンナ。半日以上進んで、一回も人とすれ違わなかったね」


「盗賊がいる可能性は濃厚と言う事だな」


「村にも来てないらしいし、情報通りって事だ」


「なんか聖女は嬉しそうだな」


「救出作業はこれで終わりだからね。あとは奴隷商人達をどうやって脅かすかって感じかな?」


「わたしは、聖女の所に来て良かったよ」


「なんで?」


「飽きない」


「それは良かった」


「とにかくここからは警戒を強めた方が良い。盗賊に騎士崩れが混ざっていたりすることがある」


 なるほど。ワイバーンを討伐した時の第一騎士団の騎士達は、確かに凄かった。


「あくまでも騎士”崩れ”でしょ」


「侮れない」


「私の覚悟も決まったし、後はやるだけ。悪い奴は斬って良いよ」


「わたしは問題ないが、聖女が死んだら大問題だぞ」


「私にとってはアンナが死んだ方が大問題。絶対に死なないで」


「問題ない。だが約束は約束だ。聖女を逃がす為なら死ぬこともあるかもしれん」


「ダメ! 許さない!」


 思わず声を張り上げてしまった。アンナは目を丸くして俺を見る。


「なんだ? 突然」


 俺は俺の為に女が死ぬなど耐えられない。女が死ぬくらいだったら俺が犠牲になる。だが俺は落ち着いてアンナに言った。


「情況的に危険だと感じたら必死に逃げよう。大丈夫だよ! 私を誰だと思ってるの? カルアデュールの英雄だよ」


「ふっ」


 アンナが笑った! 不意に気を許した表情にキュンとしてしまった。女がイケメンに微笑まれたらこんな感じになるのだろうか? ヤバいぞ。


「とにかく! 私の為に死ぬなんて許さないし、私も死ぬつもりはない」


「わかった」


 そこから夕方まで何事も無く進んだ。山に近づく前に一度馬車を止める。


「じゃあ黒装束に着替えよう」


 アンナが言うので俺が頷いた。二人で幌に入り急いで黒装束に着替える。アラクネの糸で織られた黒いマントを羽織りながら聞く。


「これでいい?」


「ああ。あと杖を持て」


「はい」


 俺はアンナに指示されるままに杖を持つ。


 するとアンナが俺に言った。


「このまま山に入るか?」


「そうだね」


 そして俺達の馬車は緩い坂道を登り始めた。両脇が森になっており、木々がうっそうとし始める。そのまま進んでいくとアンナが言う。 


「荷台に移れ。もしかしたら矢が飛んでくるかもしれん」


「えっ?」


「感じないか?」


 実を言うと全く感じなかった。だがアンナからはピリピリとした感じが伝わってくる。


「もしかすると?」


「恐らくは縄張りに入った。近くに気配はないが、アイツらは突然やって来るからな」


「わかった」


 俺は荷台に行って幌の下に潜る。


「アンナ。結界を張るよ」


「結界?」


「まあ任せて」


 俺はアンナの周辺に結界魔法を発動させる。いきなり矢を放たれてもアンナはどうにかするだろうが、一手遅れるのはもったいない。アンナは結界を見て言った。


「なにかが張り詰めている」


「始めて見る?」


「ああ」


「これは結界。弓矢なんか通さないから」


「凄いな」


「アンナの次の一手が遅くなるといけないからね」


「わかった」


 そして俺達の馬車は奥へ奥へと進んでいく。既に陽が落ちかけており、馬車の先にカンテラをぶら下げた。


「そろそろ馬も疲れて来たみたいだ」


「じゃ、何処か広くなったところで止まろう」


「いよいよだな」


 俺は不思議と集中していた。恐怖で震えるかと思ったが、そんな事は全くなかった。こういう場所に来て突然、帝国戦を思い出し心拍数が落ちて来る。するとアンナもそれに気が付いたようで、俺に言って来る。


「思いの外、落ち着いているな」


「なんていうか。本番に強いみたいで」


「背中を預けられる」


 そして俺達は馬車を降りて薪を集め火をつけた。焚火は明るく燃え上がり辺りを照らす。俺とアンナは仕込みを済ませて、ただその時が来るのを待つのだった。


 俺達が静かに待っていると、アンナが俺の肩に手をかけた。俺の目を見て指をさす。どうやら何かがこっちに向かってきているようだ。アンナはいち早くそれを察知して警戒するように促したのだ。


 シュッ! ドス!


 焚火の側に座る人の首筋に弓矢が刺さって倒れた。するとすぐさまもう数本の矢が放たれて、もう一人の背中に刺さって倒れる。倒れる二人を焚火が照らしていた。


「やったぞ!」


「なんだ? 二人しか居ねえのか?」


「とにかくみんなを呼ぼうぜ」


 ピィィィィィィ! と口笛が聞こえた。するとどこからともなくぞろぞろと、男達が出て来た。男達は薄汚れた皮の鎧を着ている者や、ボロボロの布をかぶっただけの奴だった。


「もうそろそろ場所を変えなきゃと思っていたけどよ。こいつはついてるぞ!」


 ひときわ大きな剣を持った皮の鎧を着た男が言う。そして男達が焚火に近づいて、倒れている人に手を賭けた。


「なんだ!」


「どうした?」


「人形だ!」


 その言葉に男達が一斉に焚火から離れて散っていった。俺達が仕込んでいた人形に気が付いて、周りを警戒し始める。突然の事だったので男達は四方に別れてしまった。


 アンナが動いた。


「一人一人いく」


「厳つい髭面の奴らは全部やっちゃおう」


 俺はアンナに言った。二人は暗がりに隠れ近くにいる男達の会話を聞く。


「騎士団の罠じゃねえのか?」


「騎士団が、こんなまどろっこしい事すっかよ!」


「でも。なんで人形なんか」


「しらねえよ」


 厳つい髭の男二人が、焚火の方を見つめながら話をしている。音も無くアンナが近づいて、ひと振りで男達を両断した。


「おっさんはどんどんいくよ」


 俺が言うとアンナがコクリと頷いた。


「本当に女がいるのか?」


「多分。情報通りならね」


「わかった」


 そして俺達は死体から離れ、再び森の暗闇に紛れるのだった。

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