第76話 偽装
俺は自分の部屋に置手紙をした。数日はこの館には帰って来れないと記したものだ。もし王宮からの使者が来た場合は、急用の仕事で館を出ていると伝えてもらう事にする。俺達の今回の仕事は盗賊が相手だ。盗賊は王都にはいないので、俺達は情報をもとに探し回らねばならない。
俺とアンナが聖女邸を夜間のうちに出発し、あの地下の怪しい仕事請負人の爺さんの所に向かう。螺旋階段を下りてドアをノックすると、いつものように眼の鋭い怪しい爺さんが顔を出す。
「来たか」
俺達は前回の仕事の時に、この爺さんに依頼を出していたのだ。それは、足のつかない馬と馬車を用意する事だ。馬車と行っても、普段俺が乗っているような高級なものではない。小さな商人が使うような、一頭立ての小さな荷馬車だ。
アンナが聞く。
「用意できたか?」
「もちろんだ。あんたらは良い金づ…お得意様だからな。金を払ってもらった分の物は用意している」
「わかった。通行手形は?」
「ある」
そしてアンナが怪しい爺さんから通行手形を受け取った。
「これは問題なく通れるんだろうな?」
「問題ない」
「もし通れなかったら…」
俺は背筋を凍らせた。おそらく眼の鋭い爺さんもだろう。冷や汗をかいてアンナから目を伏せている。アンナが恐ろしい殺気を発したのだった。
「もちろんだ! それをやめてくれ。生きた心地がしねえ」
「もしダメだったら、すぐに戻って来る」
「分かってるよ。遠方の領から来た商人って事になっている」
「よし」
一連の話が終わり、老人が入り口に鍵をかけて螺旋階段を上がっていく。俺とアンナがそれについて行くと、老人は更に隣りの建屋に向かった。その建屋の裏手に、ボロの馬車とくたびれた馬が繋がれていた。
「これで怪しまれない」
「わかった。馬や馬車はどこかで捨てても良いんだな?」
「もう売ったもんだ。仕入れ先も普通では分からんようになっている」
「よし」
アンナが俺に言う。
「馬車に乗れ」
「馬は?」
「わたしが引く」
俺はアンナに言われたとおりに、荷馬車に乗り込んだ。するとすぐに馬車はゆっくりと走り出す。後ろの荷台には座席などなく細々とした物資が積まれていた。
「偽装は完璧って事かな?」
「そうだな。後はわたし達が商人のような振る舞いが出来るかどうかというところだ」
「わかった。えっとリヴェンデイルに向かうってことで」
リヴェンデイルはヴァイオレットの実家だ。実際に向かうわけではないが、ヴァイオレットからは地元の話をいろいろ聞いているので偽装しやすい。俺達の馬車は王都の正門に向けて走るのだった。
「正門が見えて来た」
いよいよ俺達の演技が物を言う。俺達のというか、俺のと言った方が正しいだろう。アンナに偽装の演技など出来るわけが無い。アンナはあくまでも護衛兼御者という立場で居てもらう。
「止まれ!」
門番の騎士が声をかけて来た。ここで顔を見せろとか言われたら、全てが終わってしまう。後はあの眼の鋭い爺さんが設定した内容でしのげるかどうかだった。
俺が荷台から顔を出す。だが目を包帯で巻いており前が見えない。
「なんだ? 怪我をしているのか?」
「はい。王都に来る途中で魔獣にやられまして。まだ火傷の跡が消えていません」
「そうか。それにしても…女二人での旅路か?」
「ええ。それでも何とかなる物です。間もなく夜が明けるでしょう? 陽が沈む前にはリヴェンデイルに到着しますから」
「確かにそうだな。積み荷を改めさせてもらう! 下りろ」
「はい」
俺が後ろに行くと、アンナが目の見えない俺の手を握り馬車を降ろしてくれる。万が一、この荷馬車に運んではいけない物や麻薬などがあったら俺達は一巻の終わりだ。俺達は馬車を離れて作業の様子を見る。
「アンナ」
「震えているのか?」
「だって」
「いざとなったら正体を明かせ。聖女なら無事に帰れる」
「だと仕事が出来なくなる」
「次の方法を考えればいい」
まあ確かにそうだ。アンナの言うとおりに正体を明かせば、俺ならおとがめはないだろう。だが更に監視の目が厳しくなるのは間違いない。仕事がしずらくなってしまう。
緊張の時間が過ぎていく。そして更にマズい事が起きた。
うわ! なんでこの時間にマイオールがこんなところにいるんだ? 門番なんかやってるって聞いてないぞ。
なんと奥から騎士団副団長のマイオールが出てきたのだ。
「マイオール様! わざわざマイオール様のお手を煩わせるような事はありません!」
一人の騎士がマイオールに向かって言っている。
「下の者がきちんと仕事をしているのを見るのも私の仕事だ! 手を抜く事無くやっているかが大事なのだ!」
「は!」
うわぁ…暑っ苦しい。イケメンのくせに暑苦しくて正義感が強い。無駄なスペックで嫌い。
と思っていたら、マイオールがこっちに近づいて来た。
うへっ! やっやべええ!!
「こんな早くから大変ですね。女二人の商人は珍しい」
俺は思いっきり声を変えて話す。頑張ってだみ声にしてみた。
「あー、そうなんでずー。わだしだちは、病気の父親のがわりに来たんですー」
「眼だけではなく、喉もやられたのですか?」
えっ? 怪しんでる? マズいぞ。
「そう、なんでずー。ゴホッ! どうやら瘴気を吸い込んだみたいで」
「なんですと? ならば出立前に、聖女様に看ていただいた方が良いのではないですか?」
いやいや! その聖女はここにいるし! それは無理ってもんだ。
「いや。そんな高貴なお方の手を煩わせる事はできません」
「そんな事はないぞ。聖女様は女子供には特に優しいのだ。頼めば必ず治してくれると思うがな」
しつけーな。とにかく良いんだよ! ウザい。
「は、はい。存じ上げております。お優しい方だと聞いておりますー」
「うむ。強い男には冷たいところがあるが、それでもきちんと治癒して下さるお方だ。このまま一旦戻られるか?」
「いえっ! それでは陽の高いうちにリヴェンデイルにたどり着けませんので!」
「確かに…」
すると荷馬車の方から騎士が声をかけて来た。
「来い!」
俺とアンナが行くと、後ろからマイオールがのこのことついて来る。いつバレるか分からずに、俺はダラダラと変な汗をかいていた。
「なんでございましょう?」
「これは鍵がかかっていて開けられないぞ」
アンナの黒衣装と俺のアラクネの黒マントが入っている、アタッシュケースだった。
「あっ! それは!」
すると大きな騎士がやってきて言った。
「なんだ? 怪しい物でも入っているのか?」
どうする? 開けたら怪しいとバレてしまうんじゃないか? 明らかに商人の服装ではないぞ…
「あ、あの。私共は女二人、その…、他に下着などを入れるわけにもいかず…その…」
俺がどぎまぎしていると、後ろからマイオールが言う。
「おい! 淑女のお二人が困っているではないか! 下着など見てお前はどうするつもりだ!」
ナイスパス。偶然ではあるがマイオールが俺達を救う一言をくれた。
「いえ! その様な下心はございません! 念には念をという事ですので!」
するとマイオールが俺達の方を向いて言う。
「すみませんね。みせる事は出来ますか?」
「わかりました」
えっと…確かに下着も入っているはずだ。だけどどっち側を上にして開けたら、下着側になるんだっけ? 反対に開けてしまったら怪しいぞ。明らかにあのアラクネのマントはおかしい。
俺は鍵をポケットから取り出しバックに差し込む。
だらだらだら。汗が背中を伝って湿っぽい。
ままよ!
カパッ!
正解!
俺がトランクを開けると、可愛らしい俺とアンナの下着が並んでいた。
「あ。あの…」
「よろしいですよ! ありがとうございました。女性に恥ずかしい思いをさせてしまい申し訳ございません!」
マイオールが頭を下げると、騎士達も慌てて頭を下げた。
「は、はい」
そして俺がトランクを締め鍵をかける。一気に疲れが出たが、俺は汗をぬぐう事無く騎士に聞く。
「他には何かございましたか?」
「いや。王都周辺の特産品ばかりでした。商売繁盛しますように」
「はい」
マイオールが俺に近づいて来て言う。
「良い旅を」
「ええ。ありがとうございます」
そして俺達は再び馬車に乗り込んで門を潜った。まだ辺りは暗いが、王都周辺には盗賊も魔獣も出ない。そのまま街道沿いをランプで照らして進んでいくのだった。
「ぷっはぁぁぁぁぁ!」
「危なかったな」
「呼吸をしてない事に気が付いたよ」
「だが私達の下着を晒した」
「仕方ない。あの場はそうするしかなかった」
「…まあ、そうだ」
アンナは案外恥ずかしがり屋なのだ。俺は内面が男だから、自分のパンティーが見られたところで何も恥ずかしくはない。とにかく切り抜けられたことを良しとしよう。
「あれは知り合いか?」
「そう。分かる?」
「めちゃくちゃ焦っていたな」
「声でバレるんじゃないかと思って。眼の包帯まで取れって言われなくてよかった」
「とったらすぐにバレるのか?」
「もちろん。普通に顔見知りだもの」
「あんな偉そうな騎士に知り合いがいるんだな」
「あいつは。第一騎士団の二番目、近衛騎士団長のバレンティアだったらバレてたかも」
「それは危なかった。とにかく抜けれて良かった」
「もうしゃがれ声出し過ぎて喉が痛い。魔法で癒すね」
「便利なものだ」
そう言うアンナの隣りで俺は馬車に揺られながら、自分に癒し魔法をかけるのだった。余りに心拍数が上がたせいで耳鳴りがして来ていたが、一気に精神が落ち着き冷静にあたりを見回す事が出来るようになった。
「出発、一番乗りかな」
「たぶんそうだろう」
「あのお爺さんの言う通りにうまくいった。彼は何者?」
「わたしも良く知らん。だが陰の仕事はあいつに頼めとロサに聞いた。ちなみにロサは利用した事が無いそうだ」
「持つべきものは良い妹さんだね」
「‥‥‥」
アンナは特に答えなかった。だけど妹を褒められて悪い気はしなかったのか、少しだけ口角が上がった気がした。
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