第70話 次の仕事の前に

 俺はアンナとの契約に基づき秘密裏に動く事にしている。聖女邸の面々は薄々俺達の行動に感づいているようだったが、あえて詮索しないようにしているようだ。それはアンナの存在が大きい。皆はアンナが人ならざる技量の持ち主だと知っているので、自分達が代わりに出来る事など無い事を知っているのだ。


 王城からの通達はまだなく、むしろその事が俺の行動を助長する。アンナとの体力差を鑑みて、次に行動するまでの間隔は三日ほどあける事となった。そして三日後の今日、俺とアンナは風呂で密談をしていた。湯船に浸かりながら今回のターゲットについて共有する。


「今度はね、奴隷になったみたい」


「奴隷か」


「だけど普通の奴隷じゃない」


「どんな?」


「かなり危険な事をさせられているみたいで、ちょっと無理めの冒険なんかで無理を強いられたり? 詳しくは分からないんだ」


 するとアンナが言った。


「ああ、それなら見た事ある」


「どんな?」


「パーティーメンバーのようにしていながらも、逃げる時に囮にしたりしてるやつら」


「それってギルドで裁けないのかな?」


「知らない。だけどうまく隠しているように見える」


 なるほど。恐らく規定ギリギリのグレーゾーンでやっているんだろう。ギルドが手を下し辛いのもなんとなくわかってきた。


「って事で、今回の相手というのは」


「冒険者だな」


「そう言う事。だからギルドには秘密裏に動くし、ギルドのお尋ね者になっちゃうかもしれない」


「問題ない。全ての痕跡を消せばいい」


 そう言ったアンナに表情は無く、淡々と何をすればいいのかを考えているようだ。流石に今回は一筋縄ではいかないような気がする。


「もちろん、これからやる事は」


「ここだけの話だ」


「そう」


 俺達は綿密に話を合わせ、風呂から上がって体を拭いた。相変わらず肉食獣のようなアンナの体だが、どうやら裸を見られるのは嫌いらしく俺に反対側を向くように言う。俺は素直に後ろを向きながらアンナに聞いた。


「女同士だけど恥ずかしいの?」


「何故だろう? 聖女は美人の女なのに、何か見られたくないという衝動が働く」


 なるほど、アンナはめっちゃくちゃ嗅覚が鋭いんだ。俺は中身が男なので、アンナはそれを直感的に感じ取っているのかもしれない。だが本人には理由が分からないようだった。もうここまで来ると、本当に野獣なんじゃないかと思う。そして俺は、自分の中の人が男だと感づかれないようにしないといけない。


 ま、いいか。


 俺達が風呂から出ると、ミリィがやってきてこっそり言った。


「念のため、お夜食もご用意しています」


「あ、ありがとう」


 何が”念のため”か、分からないが、俺達二人が風呂に入った事で何かを察したのだろう。そして俺とアンナはそれぞれ自分の部屋に戻る。するとミリィが言っていたように、簡単な軽食がテーブルの上に置いてあった。


 俺がテーブルに座ると、水がめの下に何か紙が敷いてある。


「なんだこれ」


 そして俺がそれを取ると、なんと俺が今日アンナと標的にするべき冒険者パーティーの名簿が置いてあった。それにはそれぞれの人の特徴や、得意としている技や魔法などが記してあった。


「ヴァイオレットの筆跡じゃん…」


 これはヴァイオレットがまとめた書類らしい。恐らく内容はアデルナがギルドで聞き集めたものだ。


「まったく…」

 

 どうやら彼女らは、俺達が動く事を感づいているようだ。そして俺が、そのテーブルの上にあった軽食をつまもうと椅子に座った時だった。こつんと足に何かが当たる。


「なんだ?」


 俺が机の下を見ると、以前俺がクビディタスの孤児院で配ったぬいぐるみが置いてあった。俺がそのぬいぐるみを持ち上げて、背中の部分から手紙を抜いた。


「えっと」


 俺がその手紙を見ると、そこには願いが記されている。


 手紙の内容はこうだ。


 聖女様。僕のおねえちゃんは悪い奴に売られました。そして危ない事をさせられています。お姉ちゃんがまだ生きているかは分かりませんが、生きているのなら助けてください。お姉ちゃんの名前はネブラです。


 たったの三行の手紙だったが、ネブラという名前は今日の救出対象だった。ネブラというのは名前の略で、本当の名前はネブラスカという。恐らくは名簿の順番から、スティーリアが孤児に聞きだしてこの手紙を記させたのだろう。


「失敗は出来ないな」


 俺はクラッカーのようなものをパクつきながら立ち上がり、化粧台の前に座る。すると見慣れぬ袋が置いてあった。その袋を開けてみると、中には小瓶が二本入っており、更に手紙が添えられている。


 ミリィの字だった。


 魔力回復ポーションです。


 とだけ書いてあった。こんな高額なものを用意してくれるなんて、なんて優しい子だろう。というかそんなものがあったんだ…。今度は自分で買い込んでおこうと思うのだった。


 俺は髪の毛の湿気を取り、タオルで髪を巻いた。じきにミリィが俺の部屋にやって来るだろうから、この品々は全て隠す事にする。彼女らが用意してくれた事なので、バレバレではあるが気が付かない事にしようと思う。


 立ち上がって窓際にいき、カーテンを開けて外を見ると真っ暗だった。月が出ていないのでほとんど外が見えない。今宵相手するのは冒険者、娼婦の館とは訳が違う。ミリィが用意してくれた魔法ポーションの瓶をにぎりしめ、鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。


「心配してくれてんだ。無事に戻ってくる事が俺の仕事だな」


 一人でぽつりとつぶやく。


 コンコン! 


「失礼します」


 俺の髪の毛を結う為に、風呂上がりのミリィが俺の部屋に入ってくるのだった。


「あ、ごめんね」


「何をおっしゃいます。毎日の事ではないですか?」


「そうだね」


 そして俺が化粧台に座ると、ミリィが後ろに立って俺の髪の毛をすいてくれた。手際よくキリキリと髪の毛をまとめ上げていく。だがいつもの寝る前の髪型とは違うようだった。だが俺はあえて何も言わない事にする。


「ちょっとよろしいですか?」


 ミリィが部屋の脇に行って、フードの着いた漆黒のローブを持ってくる。そしてそれを俺の頭からパサリとかぶせた。髪が隠れフードが深々と顔を隠す。そしてミリィはフードを再び壁際にかけた。


 俺が話題を変える。


「みんなはお風呂から上がったのかな?」


「はい。今日も一緒に入りましたから」


「そうか。ぬるくは無かった?」


「丁度良かったです」


「ならいいや」


 するとミリィが少しだけ黙って、ぽつりとつぶやく。


「聖女様」


「ん?」


「明日は一緒に入りたいです」


 ミリィの手が少し震えている。やはり俺の事を心配しているのだ。


「もちろんだよ。毎日の事だからね、明日は一緒に入ろうね」


「…はい」


 そしてミリィは俺の髪をまとめ終わり、テーブルの上の空いた皿をもって部屋を出て行った。皆が俺の心配をしてくれている。何かあれば皆が悲しい思いをしてしまうだろう。


「前世のように、無駄に死ぬわけにはいかないな」


 きっちり結ってもらった髪の毛を見つめながら、俺は懐に仕舞っていた魔法ポーションを握りしめるのだった。

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