第69話 限りなく黒

 次の日、俺は昼ごろまで眠った。


 丑三つ時を過ぎた頃に心臓をバクバクさせて、死にかけの娼婦たちを救ったからだ。朝に一度、ミリィが起こしに来てくれたのだが、それを断り結局ミリィがお昼を告げに来た時に起きた。


 ミリィが俺の髪をセットしながら言う。


「お疲れの様子です。遅くまでアンナ様とおいででしたからね」


「まあそうね。アンナもまだ寝てる?」


「いえ。早朝に起きて剣を振り続けております」


「えっ! 朝からずっと?」


「はい。朝食もおとりになりました」


「そうなんだ」


 やっぱりアンナは異次元の存在だった。俺が考えていたよりもずっと化物じみていた。少し前のワイバーン討伐で見た、王宮の騎士達とは次元が違う。アンナ抜きで孤児被害者救出作戦なんか行ったら、俺はあっさり殺されていたかもしれない。しかも昨日は誰も殺さずに、目的を達成する事が出来た。


「とにかく余り無理をなさらずに」


「いやぁ、私は孤児院巡りもしてないし教会の巡回もしていない。時おり市民の傷を癒すくらいしかしてないんだから、無理な事はしてないよ」


「それでも他国に狙われているという重圧が御座います」


「まあ、確かにね。それは本当に忌々しい、私は私のやりたい事が出来ていない」


「致し方ないかと。今はギルドや騎士団が動いてくれているのです。しばらくの辛抱では無いかと思います」


「ありがとう、ミリィはやさしいね」


「私は聖女様が心配なのです」


 可愛い。俺の事を心底心配してくれている。今日はゆったり、ミリィと一緒に一日お菓子でも食べていたい。だがミリィにはミリィの仕事があるから俺はグッと堪える。


「まあお言葉に甘えて今日はゆっくりするかな」


「はい」


 そして俺とミリィが食堂に下りて行くと、ヴァイオレットとメイド達が心配そうな顔で俺を見る。俺はヴァイオレットに声をかけた。


「スティーリアは?」


「教会の巡回へ」


「アデルナは?」


「ギルドへ話を聞きに」


「そう。皆ちゃんと動いてくれているんだ」


「そうですね」


 そしてミリィが修練しているアンナを呼びに行った。俺が食卓に座って待っていると、ミリィに連れられたアンナが来る。そして俺の対面にアンナが座った。


 そこで珍しい事が起きる。


「大丈夫か?」


 アンナの方から俺を案ずる声をかけて来たのだった。それにミリィもヴァイオレットもメイド達も目を丸くして驚く。アンナは、いつも自分から声を発する事はなく聞かなければ答えない。そんなアンナから気遣いの声を発したからだ。いやむしろ聞いても答えないようなアンナだから驚いたのだ。


「大丈夫。少し疲れたみたい」


「そうか」


「アンナは疲れていない?」


「問題ない。そういう体にはなっていない」


 アンナの言う、そういう体とは…俺の体の事だろうか? 聖女の体は意外に健康的で、そうそう体調を崩す事は無いのだが、普通の女の体である事には間違いない。


 確かに…風呂に入った時に見たアンナの体は、女のそれでは無かったな…。あれは肉食動物の体だ。もしかしたらゴリラにも勝っちゃうんじゃないかと思う。


「アンナは凄いからね」


「そうか?」


 俺に答えたつもりが、ミリィもヴァイオレットもメイド達も、ウンウンと頷いていた。


「とにかく食べよう」


「うん」


 そしていつも通りアンナは食った。こんなに大量に食ったものが全て、エネルギーと筋肉に化ける。野生動物でもあんな修練はしないが、良くアンナの体はあれに耐えるものだ。


 俺達が昼食を終えて、アンナはすぐに剣を振りに庭に行ってしまった。俺は軽い疲労感が残っていたので、書斎に戻ってヴァイオレットの側で書類整理を見ていた。その時ドアがノックされる。


 コンコン! 失礼します。


 スティーリアの声だった。


「はい」


 そしてスティーリアが入ってきて、教会の巡回から戻って来た事を告げる。


「じゃあ、昼食をとって来て」


 だがスティーリアは興奮した面持ちで俺に言う。よっぽどのことが起きたらしい


「それが! 聞いてください!」


「まあ、座って」


「は、はい」


 そしてスティーリアが俺の前に腰かけて身を乗り出して言う。


「実はモデストス神父の教会に行った時に聞いたのですが、なんと死にかけていた娼婦達を助けた人が深夜に訪れたそうなのです! 今はモデストス様がその方達を保護し、教会本部への連絡をしてくださったようです」


 はいはい。そりゃ昨日そうしたからね…


「えっ! そうなんだ! どう言う人達が助けられたか分かる?」


「それが、そのうちの一人は、あの名簿にあった孤児院出身の人らしいんですよ!」


 はいはい。その名簿の一番上に書いてあったからね…


「ええ! それは凄い!」


「助けたのは誰なのでしょうか?」


「わからないよ。モデストス神父は、なんて言ってた?」


「女の二人組だったと…」


「女!」


「え、ええ。一人は喪服を着た女性で、ひとりは黒いコートを羽織った人らしいです」


「たった二人でねえ…」


 するとスティーリアは、少し黙り込んでから言う。


「聖女様は昨夜どちらに?」


「何言ってんの? 昨日はお風呂に入って早めに寝たじゃない」


「そうでしたが…」


「後は、今日のお昼まで寝ていたよ」


「そうですか」


 そして、そこにミリィがお茶を持ってやってきた。スティーリアが帰って来たと聞いて、お茶菓子も準備してくれている。


「スティーリアさん。お昼食べてないですよね?」


「ええ。でも大丈夫、それより驚いた事が起きたので報告していたのです」


「驚いた事?」


「モデストス神父の教会に、死にかけの娼婦が救出されて運ばれたらしいんですけどね、その人達を助けた人というのが黒装束の二人組だったらしくて…」


 ヤベエ…ミリィには深夜に服を見られている。


「どんな?」


「なんでも一人が喪服で、一人は黒いコートを着ていたとか」


 ミリィの視線が俺に向いた。俺はしらばっくれて言う。


「なんだろうね。お葬式でもあったのかね?」


「聖女様」


「なに?」


「昨日はどこへ?」


「どこって? ずっと屋敷にいたじゃない」


「夜更けに、黒い服を着ていらっしゃいましたよね?」


「たまたまだよ。モデストス神父はなんて言ってた?」


 俺がスティーリアに聞くと、スティーリアが少し目を細めながら言う。


「鈴のなるような美しい声の持ち主だったとおっしゃってます」


 えっ? 声色を変えたのに!


 するとまたドアがノックされる。


 コンコン! 


「はい」


 入って来たのはアデルナだった。


「あ、お帰りなさい。お昼まだでしょう?」


「それが! 聖女様聞いてください!」


 アデルナが血相を変えて言って来る。


「どうしたの?」


「ギルドマスターから聞いたのですが、なんと麻薬を使って不法に女達に仕事をさせていた娼館から、一切の女性が消えたんですって!」


 はいはい。


「ええ! そうなんだ!」


「はい! そこの客情報では、とてもじゃないが助かる見込みのない女達だったそうです」


「それはよかった!」


「逃げたとしても、体は死に体で生きながらえる事など出来なかったらしいのです」


「うわ! 可哀想に」


「ギルドマスターのビアレスが言うには、その者達を治すには聖女の力でもなければ無理だと…」


 そこでアデルナも話を止める。


「それは大変だ」


「…いま、この部屋で何の話をしていたのですか?」


 アデルナが言うと、スティーリアとミリィがため息をついた。だが俺はすっかりしらばっくれる事に決めている。俺がばらせば、彼女達は心配して俺を外に出さなくなるかもしれないからだ。ましてやついて来るなんて言われても困る。


 俺は四人の疑惑の眼差しに囲まれながら、涼しい顔で注がれたお茶を一口飲むのだった。

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