第68話 初仕事
俺は、アンナから指示をされた服を着て夜が更けるのを待った。夜は更に深まり、皆が寝静まった頃に俺はそっと部屋を出る。アンナの部屋に行くと、既にアンナは支度を終えて俺が来るのを待ち構えていた。
「お待たせ」
俺が言うとアンナはコクリと頷く。アンナもいつもとは違う格好をしていた、きちんと皮の防具をつけた上から、コートのような服に身を包んでいる。コートは漆黒で、夜ならば闇に紛れる事が出来るだろう。俺がアンナから風呂で教えてもらったのは、持っている服のなかで黒だけで身を包むこと。
「これでいい?」
俺が聞くとアンナはコクリと頷く。俺も黒のドレスに黒のタイツを履いて、更に喪に服す時の黒いベールをかぶっていた。
「じゃあ、皆を起こさないように行こう」
俺達が向かったのは二階から下りる階段では無く、アンナの部屋のベランダだ。
「来い」
俺はアンナに言われるままに、アンナの隣りに立つ。するとアンナが俺の腰に手を回して、ベランダの手すりから垂らした綱に手をかけた。俺を抱えたままスルスルと綱を滑り降り庭に立つ。
「裏木戸へ」
俺が言うとアンナが俺の手を引いて、建物を周り裏木戸へと来る。俺が裏木戸の鍵に手を賭けようとしたら、アンナは俺の手を抑えて首を振る。
「鍵は置いて行って良い」
俺は鍵を近くの茂みに置く。
「持ち物は何もいらないって言った」
「さすがに鍵はかけないと」
「大丈夫」
アンナに手を引かれて木々がたくさん立っている場所へと連れていかれた。ここは光も届かず周りは真っ暗だった。
「どうするの?」
するとアンナは俺の腰に手を回した。次の瞬間シュッと体が浮いたと思ったら、壁を飛び越えて外の路地へと降り立っていた。
「行こう」
「あ、ああ」
そして俺達は、街の中心街に向かって歩き出す。漆黒の衣装を着た二人は、闇に紛れながら先を急ぐのだった。繁華街に来ると、まだ飲み屋の窓明かりがついている。その窓の明かりを避けるように、俺達は更に奥へと進んでいくのだった。
「汗をかいているな」
アンナが言う。
「緊張してる」
「焦りは禁物だ。落ち着け」
「じゃ、まって」
俺はアンナを止めて、自分に癒し魔法をかけた。こうなったら強制的に自分を落ち着かせるしかない。
「それでいい」
俺はコクコクと頷くだけだった。これから何が起きるか分からないが、魔法を使ってでも落ち着かせるアンナが凄いと思った。逆にアンナは全くの冷静でいる。
「なんていう店だ」
「えっと、流行っている店じゃないし、場所だけを知ってる。店の名前はないかも」
「どっちだ」
そして俺は腕をまくる。物を持って来てはいけないと言われていたので、腕に地図を書いていたのだ。それを辿って繁華街の奥に入って行くと、明らかにめちゃくちゃ治安の悪そうなボロボロのスラムに入って行く。そしてその店を見つけた。
「ここ」
「ついてこい」
俺は黙ってアンナの後ろをついて行く。言われていた店は、めちゃくちゃ格安の娼館だ。しかもここの女には、何でもやって良いらしい。死んだら埋葬される事も無く、荷馬車で森に捨てられ魔獣の餌になるのだとか。
俺はアンナに連れられて、そのボロボロの店の陰の真っ暗な路地に入って行く。
流石は特級冒険者だ。こういう場合の動きは落ち着いており、俺の心拍数だけが上がっていく。いきなりおっかないのが出てきたらどうするんだろう?
アンナはスッと裏口のドアの取っ手に手をかける。
「えっ?」
「しっ!」
俺は思わず声を上げてしまう。それだけ無造作にドアを開けたからだ。中に誰も居ないのが分かっているかのように。スッと中に入るとそこは暗い廊下で、中には誰も居なかった。奥に進むと、扉の枠から光が漏れた場所が見える。
「中にいる」
「どうやって探すの?」
「問題ない」
いきなりアンナが扉に手をかけてスッと開けた。すると中では裸の男が女に覆いかぶさっている。だが喘ぎ声も聞こえず、女はただ男にされるがままにしていた。男は夢中になっており、俺達が入ってきた事に気が付かない。
アンナがすぐに男に近づいて、手刀で気絶させる。あまりにもの鮮やかな手口に、俺はあっけに取られていた。
「オリジン。聞いて」
オリジンというのは俺の闇のコードネームだ。ちなみにアンナはエンドと呼ぶ。
「わ、わかった」
そして俺はしゃがみ込んで、裸の女に目線を合わせて聞く。
「名前は?」
「あ、あう。あ」
なんだ? まともに焦点があっていない。
するとアンナが言う。
「精神系の麻薬だな」
「麻薬」
前、情報通りだった。だけどこのままでは確認できない。俺は回復魔法と気付けの為の刺激魔法をかけた。
「あ、あ」
少しだけ女の眼差しの焦点が合ってくる。
「あなたの名は?」
「ノラ」
アンナが俺を見てくるので首を振った。この女は対象の女では無かった。
「行こう」
「待って」
俺はアンナを引き留める。
「あなたは助けてほしい?」
すると女はコクリと頷いた。
「じゃ、また来る」
「おい!」
アンナが俺に詰め寄るが、女をこんなひどいところに置いてはいけない。
「まずは探そう」
「わかった」
そして一部屋ごとに調べて行く。だが四部屋とも違う女だった。
「いないんだけど」
「地下にも気配がある」
アンナに連れていかれ、俺は地下に続く石階段を下りる。地下には石の部屋があり、とてもじゃないが人間の済むような場所じゃなかった。
「ひどい」
「そうだな」
「こんなとこに人が?」
「奥に一人」
そして俺達が奥に行くと、石畳の上に女が横たわっていた。
「生きてるのかな?」
「生きてる」
俺はアンナに言われ女の傍らに膝をつく。すると微かに息をしているのが分かった。だが既に虫の息で、いつ死んでもおかしく無いような状況だった。
「これは…」
「ダメか?」
「いや。アンナは入り口を見張ってて、相当明るく光ると思うから」
「わかった」
俺はその寝ている女に、強い回復魔法と軽い蘇生魔法を同時にかけて解毒魔法も施した。恐らくは薬漬けでかなりひどい状況になっていたので、傷を治し脳を蘇生して薬を抜く必要があったのだ。
「あ、あう」
「気づいた」
「ここは?」
女はハッキリとした表情で言う。眼の下は真っ黒だが、恐らく歩く事くらいは出来るだろう。
「娼館の慣れの果て」
「…そうか、そこまで落ちて来てたんだ」
「あなたの名は?」
「ミラーナ」
ビンゴ! とうとう見つけた。
「ミラーナ。助けに来たよ」
「助けに…」
だがミラーナは全くピンと来ていなかった。
「娼館に売られて、そこでもこき使われてあなたは最後の所まで来ている。もう自分の意志では抜け出せなかった」
「あなた方は?」
「私はオリジン。そしてこっちはエンド」
「どうして私を?」
「不当に売られてしまったのでしょう?」
「…はい。貴族様は私がいらなくなったようで」
「あなたは物じゃない。さ、出ましょう」
「でも」
「大丈夫、あなたを保護する」
するとミラーナは悲しそうな顔で言う。
「ここには私だけじゃない。何人もが売られて来た」
「分かってる。上に居た」
「彼女達を置いてはいけない」
「問題ない。助ける」
「…本当に?」
「黙ってついてきなさい」
俺の回復魔法で歩けるようになったミラーナがついて来た。そして一階に上がると、恐らく時間が終わって迎えに来た店の男が歩いていた。アンナがすぐに歩み寄り気絶させる。
それから俺達は四つの部屋を周り、女達に強い回復魔法をかけて歩けるようにし、そして裏口から全員を連れ出した。暗い路地には誰もおらずに、ヒタヒタと進んでいく。
「こっち」
アンナが言うので、俺達はアンナについて暗がりから暗がりへと進んでいく。そして空き地の雑木林のような所に来ると、アンナが俺に言った。
「ここで待て」
俺が五人の女と一緒に、雑木林の暗がりに潜む。しばらくするとボロ布をかぶせたような荷馬車を引いてアンナが来た。
「皆この上に寝ろ」
女達はその荷馬車の上にねる。すると頭から足の先まで隠れるようにボロ布を賭けた。まるで死人を運んでいるかのようになる。俺は真っ黒のベールをかぶっているし、アンナは漆黒のコートを纏っている。まるで死神の行列だ。
そして女達を荷馬車に乗せて、俺達は繁華街を出たのだった。時おりその異様な光景に足を止める奴も居たが、すぐに興味が失せたように繁華街に消えて行った。
「後は計画通りに」
アンナがコクリと頷く。俺達はそのまま、真面目な司祭であるモデストスの教会に向かった。そして俺達が教会の敷地に荷馬車ごと入って行き、扉のドアノッカーを叩いた。しばらくすると、教会に灯りが点いて中からモデストスが出て来る。
「こんな夜更けに何用でしょう?」
こういう時はアンナは話が出来ないので、後ろの方に引っ込んでいく。俺はベールで顔を隠しモデストスに伝えた。
「不当に人身売買で売られた人間を保護して来た。彼女らは薬づけにされて、客を取らされていた者だが正気に戻り保護をしてほしいと願って来た」
「なんと! それは大変だ」
「我々は訳あって身分を明かせない。彼女らを教会にて保護をお願いできるか?」
「わかりました。その様な事でしたら身柄を引き受けましょう」
「かたじけない」
俺とアンナがスッと後ろに下がる。
「あなた方は入らないのですか?」
「失礼する」
そして俺はアンナと共に、モデストスの教会を後にするのだった。
ま、アイツはめっちゃ真面目だから何とかしてくれるだろう。彼女らからは解毒によって麻薬を全て解除し、超回復で明日から元気に飯を食えるほどになっているし。
最初の仕事を終えた俺達は、静かに聖女邸に戻り壁を乗り越えて再び綱でアンナの部屋に戻る。そして俺はようやく黒いベールを外すのだった。
「ふぅ!」
「こんな感じでいいのか?」
「百二十点かな。凄いよアンナは」
「剣は振るえなかった」
「ま、今日は襲われなかったから。というかアンナが鮮やか過ぎて、敵は私達に気が付く前に意識を失ってたよ」
「まあ、いいか」
「すっごい良いコトした! アンナは正義の味方」
「そうか?」
「そうそう!」
俺はあまりにも興奮して声を大きくしていたらしい、いきなりドアがノックされた。
コンコン。
「聖女様」
「あ、はい」
俺がドアをあけるとミリィが寝間着で立っていた。
「このような夜更けにお話合いですか?」
「あ、そうそう! 眠れなくてね。アンナに話し相手になってもらってた」
だがアンナは静かになってしまった。ミリィとはそんなに親しくは話せないのだ。
「そうでしたか、というか何故にドレスを?」
やべっ! そう言えばそうだった。
「ああ、えっと。アンナにダンスを教えていたから」
咄嗟に嘘をついた。俺が危険な事をしてきたと知ったら、ミリィは怒るか悲しむだろう。とにかく本当の事は伏せておくのだ。
「左様ですか」
「あ、でももう終わる」
そして俺はアンナに向き直ってウインクをした。
「じゃ、アンナ! ありがとうね。おやすみなさい、明日はゆっくりでいいよ」
アンナはコクリと頷く。
そして俺はミリィと一緒に自分の部屋に戻り、ミリィから甘ーいミルクティーを煎れてもらってから床に就くのだった。
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