第63話 アンナ

 元冒険者のアンナが入居して来た。持ち込まれる家具などもあるかと思い、アンナの部屋を空けていたのだが、彼女が持って来たのは武器と防具と金しかなかった。そしてそれらを部屋に放り込むとすぐに剣を持って出て来る。


 すぐミリィがアンナに近寄って挨拶をした。するとアンナはそれを無視してミリィに言う。


「鍵は?」


「はい、こちらです」


 アンナはミリィの手から鍵を受け取り、すぐに部屋の鍵をかけた。どことなく挙動不審に見えるが、本当にこれで特級冒険者なのだろうか?


「誰かが入る事は?」


 アンナの問いに俺が答えた。


「ない。その部屋はアンナ専用になるから」


「わかった」


 そしてすぐにアンナは立ち去ろうとする。どこかおどおどしているようなそのしぐさから、この人がギルドの特級クラスの冒険者なのだとは思えない。


「あー、昼ごはんはどうするの?」


 俺が、後ろからあんなに声をかけた。出かけるのなら昼の前には帰って来てもらいたい。


「もらう」


「じゃあお昼にみんなが集まるからその時に」


「わかった」


 既にアンナとの給料の話も折り合いがついていた。俺が思っていたほど吹っ掛けてくる事も無く、スティーリア達に払っている給金の倍くらいで済んだ。というより衣食住が必要なだけで、別に金はそれほど必要としていないらしい。


「で、何処に?」


 俺の問いは無視せずにチラリとこちらを見る。だが何も答えない。


 ま、別にどっちでもいいけど。


「修練」


 だが、ボソッとそう答えた。ロサの言う通り剣の練習をしに行くらしい。彼女はまるで小動物のような雰囲気を醸し出している。そんなアンナに俺は少し不安を覚える。ロサを疑うわけじゃないが、本当に特級クラスの冒険者なのだろうか?


 だが、そんなことはどうでもよく俺は嬉しかった。王都は全域で聖女護衛シフトが敷かれており、どこに行っても騎士がいる。それよりも絶対に怪しい人らがいて、ルクスエリム直下の諜報だと思う。そんな男達が俺達を護衛している中での行動は、やたらと制限され息が詰まっていた。そんな窮屈な暮らしの中に、いきなり面白そうな逸材が飛び込んで来たのだ。こんなにうれしい事はない。


「修練を見にいっても?」


「‥‥‥」


 どうしても見たいので強引に押し切る。


「給金払ってるんだからそれくらいいいでしょ?」


「…好きにしろ」


 アンナのお許しがでたので、俺はミリィに告げる。


「じゃ、私はアンナについて行くから」


「わかりました」


「スティーリアはどうする?」


「私はヴァイオレットと共に、孤児の行先の精査をしておきます」


「あ、わかった。よろしく」


「はい」


 俺はアンナについて庭に出る事にした。元は王族の屋敷なので、城ほどではないにせよ庭がかなり広い。アンナにはそこで修練していいと申し伝えていた。


 アンナが庭の中心に立ち止まる。俺はそこから離れた所に立って、アンナのすることを見る事にした。するとアンナが真っすぐに立って目をつぶり始める。


「スゥ」


 いきなり空気が変わった。さっきまでまるで引きこもりのように、おどおどした雰囲気が漂っていたのだが嘘のように凛とする。


 ビュン! シュッ! シュバッ! ザン! ザシュ!


 え…


 確かに音は聞こえた。だがその太刀筋がよく見えなかった。体は動いているようだったが、一体何をしたのか? 五回くらいは剣を振ったように聞こえた。


「すぅ」


 また息を吸い込む。すると凛とした空気がアンナの周りにたちこめた。


 ジャッ! シュシュシュシュシュシュ!


 空気を斬る音だけが聞こえ、アンナの手元がぼやける。そしてまたアンナはスッと立つ。何か自分の体をじっと見つめたかと思うと、コクリと頷いて今度は構えを変えた。


「すぅ」


 凛とした佇まいで立った…と思ったら消えた。


 ボッ!


 後から音が聞こえて来て、地面がえぐれている。


「あれ?」


 俺はきょろきょろと見渡すがどこにも居ない。と思っていたら、遠くの壁のあたりに居た。


 まさか瞬間移動? なに? 


 こんな動きは、騎士団とワイバーンがやり合った時に、身体強化した騎士でも見る事は出来なかった。なるほどロサは嘘を言っていないようだ。間違いなくアンナは特級冒険者なのだろう。


 だけどなんで冒険者辞めたんだろう? これなら、どんなパーティーにだって引く手あまただし、もっともっと荒稼ぎが出来たろうに。


 それから昼食までの三時間。アンナはずっと剣を振り続け、体を動かし続けていた。そこにミリィがやって来る。


「聖女様」


「凄いんだよ!」


 そしてミリィが庭の先で剣を振っているアンナを見る。


「え、見えません」


「でしょ? なにあれ?」


「なんというか…怖いです」


「わかる! 怖い! あれが私達とおなじ人間が出来る動きなのかな?」


「あっ! 飛びました!」


 それは俺もさっきから何度も見ている。アンナは十五メートルくらいの上空にいる。


「あれはジャンプだよ」


「あんなに高く?」


「そう。さっきはもっと高い所まで飛んだんだ」


 シュダーン!


 アンナが地面に降りて来た。そこでミリィが俺に言う。


「えっと、昼食の用意が出来たんです」


「えっ? そんな時間?」


「はい」


 俺は時間も忘れて魅入っていたらしい。


「いやー、飽きないわ。あれ」


「わかります」


 だが昼食だと言うならアンナを呼ばなければならない。だが近寄りがたい。とりあえず俺は大声でアンナを呼ぶ事にした。


「おーーーーい! アンナ―! お昼の時間だよー!」


 するとアンナがピタッと動くのを止めこちらを向いた。遠くでこっちを見ているのが分かる程度だ。


 が…次の瞬間、俺達の前にいた。


「うわ!」

「きゃぁ!」


 俺とミリィが尻餅をついてしまう。いきなり目の前に現れたアンナに驚いて腰を抜かしてしまった。


「ご飯…」


「そ、そう! ごはん!」


「食う」


 そしてアンナは剣を鞘に納めて俺達を見下ろしている。俺が立ち上がってミリィに手を差し出す。


「すみません聖女様」


 ミリィが俺の手を取って立ち上がった。可愛いメイドだ。


「アンナは、あそこからここまでどうやって来たの?」


「‥‥‥」


 どうやら答えたく無いようだ。


「答えたくなかったらいい。ご飯食べよう」


「縮地」


「えっ?」


「‥‥‥」


 縮地ってあの仙人が使うやつ? そんな事できんの?


「そうなんだ。凄い凄い! とにかくお腹減ったでしょ?」


 仙人のような技を使うって事は、霞みを食って生きてたりしないかな? 霞なんて無いぞ。


 ‥‥‥‥‥


 だが、俺の心配は杞憂に終わる。


 いやー、食う食う! 見ているだけでげっぷが出るが、なんでこんな華奢な体にこんなに入るんだっていうくらい食う。面白いので、俺はキッチンメイドに命じて次々に料理を持ってこさせた。だがこれでもかというくらい吸い込まれていく。


 が…突如食うのを止めた。


「あ、もう大丈夫?」


「‥‥‥」


 アンナは何も言わずに立ち上がり、壁に立てかけてあった剣を取りに行く。


 うそ?


「どこ行くの?」


「‥‥‥」


 トイレかな? 変な事聞いちゃったかな?


「修練」


 そう言った。


「えっ? 食べたばかりで大丈夫?」


 だがそれに答えずにアンナは外に出ていく。俺は周りにいるスティーリアやミリィ、そしてメイド達に向かって言った。


「御馳走様!」


 そしてすぐさまアンナを追いかけていく。たらふく食ってどんな修練をすると言うのか?


 だがそんな疑問はすぐに吹き飛ぶ。アンナは午前中と同じように剣を振り始めたからだ。


 よっぽど好きなんだな。三度の飯より剣術って感じか…、こんなストイックな人始めて見た。


 アンナは午後もずっと剣を振り続けたのだ。


 ロサの言うとおりだ…。本当にずっと剣を振り続けている。よっぽど好きでなければ、こんなに剣を振り続ける事なんてできやしない。武の達人というのはアンナのような人を言うのだろう。飯を喰らうところは仙人とはかけ離れているが、それ以外はずっと修練をしている。こんなの人間が出来る事ではない、彼女は武の仙人だ。


 夕方になってミリィがまた俺の所に来た。


「あ、夕食かな?」


「はい」


「じゃ、呼ぶか」


「えっと、あのお方はずっとあのままなのですか?」


「そう! 信じられる? 本当に剣の虫っているんだね! すっごいよ! 彼女!」


「ふふっ、聖女様。彼女を気に入りましたね?」


「そうだね、気に入ったよ。あれほど極端な人はむしろ大好きだね。アンナは純粋に剣を振り続けている。自分が持ち合わせていない才能をあの人は持っている。そんな素敵な人いる?」


「確かにそうですね。そういう見かたもあるのですね」


 俺はアンナから感銘を受けていた。ロサや冒険者達は煙たがっていたけど、あれほど純粋な人間を見たことがない。完全なダイヤモンドの原石を見つけた気分だ。


「おーい! アンナ―! 夕ご飯だよー!」


 シュパッ! と俺達の前に現れる。もう俺もミリィも驚く事は無かった。


「あ、汗をかいてるね」


 午前中はかいてなかった汗を流していた。するとミリィがバスケットの中から、タオルを取り出してアンナに渡す。アンナはそれを黙って受け取り汗を拭いた。


「じゃ、食べよう」


 アンナはコクリと頷いた。するとミリィが言う。


「よくお食べになると思いまして、買い出しの量が倍になりました。思う存分食べていただけると思います」


 ミリィの言葉に、アンナの目がきらっと輝いたような気がした。そしてなんと、アンナの方から俺に声をかけて来たのだった。


「こんな生活でいいの?」


「そう言う約束だからね。修練はこれで終わり?」


「いや。夕食の後にもやる」


 だよねー! そう言うと思った!


「えっと、夕食の後しばらくしたらお風呂に入るんだけど、アンナはどうする?」


「‥‥‥」


「嫌ならいいけど」


「風呂は嫌いじゃない」


「じゃあ、修練が終わったらどうぞ」


 するとアンナがコクリと頷いた。俺はニッコリ笑っていう。


「じゃ、一杯食べてね!」


 俺とミリィが屋敷の方に向かうと、アンナは俺達の後をついてくるのだった。

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