湯煙の向こう側

 海都の影響が及ぶ有人地域での入浴は、公衆浴場での蒸し風呂が主流だ。砦の男達も皆、砂蟲狩りの後の一風呂をこよなく愛好している。海都の公衆浴場はタイル張りの豪華な設えの三段式の蒸し風呂で、利用客達が部屋を変えては語り合い、汗を流しつつ社交を楽しむというのが旧文明時代からの様式だが、バハルクーヴの公衆浴場は土壁が剥き出しの一部屋で熱い蒸気を焚く、シンプルな仕様だ。当然、酷く蒸し暑い。

「お前らと風呂に入ってて気付いたんだけどよ……」

 睫毛に蒸気を滴らせながら、エリコは何時になく真剣な声で呟いた。

「なにを?」

 顔面に伝う汗を掌に掬った手桶の水で拭いながら、カメリオは訊ねる。ヤノは、どうせろくなことは言わないだろうという顔で溜め息を吐いた。

「男にも、おっぱいってあるんだよな……」

 鎚持ちに憧れて日頃から鍛錬を欠かさないカメリオは、なかなかに筋肉質な肉体をしている。蒸し風呂の蒸気により、汗ばんだ胸元はしっとりと肉感的だ。

 拳闘が趣味のヤノは、更に胸部と腕周りがむっちりと肉感的だ。カメリオより年長な分、筋肉に程よく脂肪も乗って、より熟成された肉体に仕上がっている。

 二人共、申し分ない雄っぱいの持ち主であった。

「あがるか」

「そうだな」

 一生涯のうち、一二を争う程には聞く価値の無い気付きを聞かされて、白けたようにカメリオとヤノは顔を見合わせた。

「待てって、短気は損気だぞ」

 すっくと立ち上がった両隣の二人に、エリコは慌てる。だが、ヤノの表情は冷ややかなものだ。

「話しかけんな、耳が腐る」

「じゃあな、エリコ」

「おい、待てってぇ!」

 二人の腕に取り縋るエリコを、カメリオは笑いながら押し退ける。悪ふざけに小突き合いが始まるのもいつものことで、先程までは冷ややかな表情を浮かべていたヤノも、苦笑交じりに小突き合いに加わる。狭苦しく蒸し蒸しとした薄暗い風呂の中で、子供のようにじゃれ合う三人の頭に、突如強い衝撃が走った。

「騒ぐな、じゃり共」

 三人は揃って砦の親分ガイオ――この場では厳格な風呂名主だ――から、脳天に拳骨を貰った。いたずら坊主だった子供の頃から、三人は彼の拳骨を受けて育っている。

「ったく、風呂に来る前にお前の口を縫い付けときゃよかったぜ」

「なんだよ……俺が悪いみてえじゃねえかよ」

「お前が変なこと言うからだよ……」

 ヤノにぼやかれ、カメリオから睨まれようと、エリコは全く悪びれた様子も無かった。小突かれ慣れしているからだろうか。

「場所変われ。このタコ」

「そんな警戒すんなって」

「うるっせ」

 ヤノはカメリオを守るように、エリコとカメリオの間に麻布を巻いた尻を押し込む。ぐいぐいと押されて、エリコは不貞腐れ顔だ。カメリオは苦笑いをしながら、ヤノが座れるスペースを確保する。

 汗も充分にかいたので、そろそろ体を洗おうかとヤノに提案しようとしたところで、カメリオは反対方向から聞き慣れない声に呼ばれた。

「こんにちは」

「……どうも」

 濃い湯気で顔はよく見えないが、知り合いではないようだ。だが、こんな大衆向けの浴場に来るのだから、バハルクーヴ島の人間には違いないだろう。稀に来る海都からの旅行者は、気取っているのか宿の付近に設えられた風呂にしか入らない。

「連れが風呂に入るのを嫌がってね。良かったら、俺と背中を流し合わないか?」

 風呂では自分の背中は流せないので、一人で入浴に来た者はこうしてその場で会った者に打診するのが一般的だ。旅行者向けの風呂では流し賃と引き換えに背中を流す専門の者が待機しているそうだが、地元の人間はなかなかそんな贅沢もしていられない。

「ああ、構わないよ」

「カメリオ」

 人助けだと快諾したカメリオに、ヤノが窘めるように声を掛ける。だが、カメリオもヤノの負担を減らす意味でもこの方が良いだろうと、首を横に振った。

 ヤノは短く溜め息を吐くと、勝手にしろと言うようにエリコの方を向いた。

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