聞き慣れぬ声

 カメリオは生家が客商売をやっていることもあり、相手への親切は巡り巡って自分に返ってくるかもしれないという思考を持っている。まして、困っている人間を見捨てることなど、カメリオの性には合わない。

 早速男に後ろを向かせ、持参した練り石鹸を手に取る。普段ヤノやエリコとそうするように、世間話をしながら背中を洗ってやることにしたのだ。

「あんた、聞き慣れない訛りだけど……この島の人じゃないの?」

「ああ。つい最近、この島に来たんだよ」

 それなら尚更、この島では不便をしているだろうとカメリオは同情した。彼自身はここ以外の暮らしを知らないが、母エンサタが営む食堂に時折訪れる島外からの旅行者や前任の責任者は、この島がいかに不便かを自慢するかのように語っていた。海都から遠く、半農半猟の暮らしが当たり前であるためか、この島の生活において金で解決できるのは、食事と寝床と日用品くらいのものだ。日々の娯楽として恋をするにも社交をするにも、自分の足で根気良く目当ての相手を探し、相手が好みそうな場所へ通う必要がある。

(脇腹に切創……? そう古い物じゃないんだな)

 カメリオが察するに、これは対人での戦闘でしかつかない傷だ。他にも痴情の縺れなどで付く場合もあるが、残念ながら初心な彼の想像の範疇にその答えは無かった。

 恐らくは、彼は島に来たばかりの傭兵なのだろうとカメリオは脳内で推測する。自分の父親に対しては思うところはあるが、傭兵という職業に対しては含むものはない。むしろ、島内の中心部に大きな建物を拵えておいて、砦の男達ら島民を涼しい顔で扱き使う商会の人間の方が、カメリオは好きではないのだ。

「さっきの狩りには参加したの? 俺は……見習いだから、見てただけだけど」

「いいや。俺は見ていただけだな」

「ってことは、鎚持ちじゃないのか。それじゃあ、この島だとあんまり稼げないだろ?」

 和気藹々と話すカメリオ達を観察しながら、エリコは潜めた声でヤノの耳に自らの気付きを打ち明けた。

(あのよ、俺にはあの兄さんの喋り……わざと砕けさせちゃいるが、上等な方の海都言葉に聞こえるんだけど)

 エリコは、島で教師のようなことをしていた母親の影響もあり、言語に明るい。そのエリコの耳をして、男が喋る言葉には、海都でも上流階級の使う訛りがあることが疑われた。商会の砂船が到着したその日に、見知らぬ男が発する言葉だ。自ずと考えられる人物は絞られてしまう。

(マジかよ……ってこたあ)

(カメリオには、後で話そうぜ)

(……だな)

 エリコの耳の良さに感心しつつ、ヤノは濃い湯気の奥にいる海都の男の肉体を観察する。鍛えてはいるが、砂船の船頭なら腕と肩が極端に分厚いはずだ。日頃から良い物を食っているのだろう、肌も荒れていない。

 ヤノは、エリコの話と併せて、この湯気の奥にいる男は商会から派遣された、かの死に損ないの番頭であると確信した。母親譲りの綺麗な顔をしているカメリオを、なんとかこの好色番頭から守らねばと思考を巡らせるヤノであったが、上手く纏まらない。

 鋭く舌打ちをすると、ヤノは自らの思考を邪魔する原因に低い声で告げた。

「ところで、テメエよ……」

「あん? 今忙しいんだよ」

 苛立たしげなヤノの声に、エリコはもにゅもにゅと忙しなく両掌を動かしながら応える。

「……さっきから人の胸元、バカみてえに揉んでんじゃねえぞ?」

「いいじゃねぇか。減るどころか増えて、お得だぜ?」

 エリコとしても、冗談のつもりで揉んだはずが、思ったよりもおっぱいだったヤノの胸元に、悪ふざけが止まらなくなった形だ。せっかくなので一頻り揉んでおこうと、エリコは減らず口を叩く。

 だが、一向に悪ふざけを辞めようとしないエリコに、とうとうヤノの堪忍袋の緒が切れたようだ。振り向きざまに、エリコの脳天に肘鉄をお見舞いする。

「ぎゃんっ!!」

「……ッ、死んどけボケ!」

 拳でなかったのは、彼の優しさだったのかもしれない。しかし、ヤノの頬が紅潮していたのは、風呂の暑さだけのせいでは無かった。

「うるせえっつってんだろが、じゃり共!!」

 幼馴染みの関係に微妙な変化が生じるかと思われた束の間、ガイオの鉄拳制裁により、ヤノの目からは再び、エリコの目からは三度火花が飛んだ。

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