すぐそばの「優生学」

日常の「優生学」

 「優生学」は一般的に


 『人類をより良いものへ改良する思想』


 と表現されている場合が多いように思う。この言い回しを聞いて不信感や嫌悪感を抱く読者様は多いのではないだろうか。

 しかしよく考えてほしい。


 『病気や障害、環境の変化を受けても健康でいられるようにする』


 こう言い換えると悪い印象はほとんどないはずだ。

 それどころか、この言葉に聞き覚えがあるのではないだろうか?


 そう、作物や家畜に対して行う「品種改良」だ。


 なのだ。


 人類を「品種改良」するなど道徳的ではなく倫理に反する?


 その通りだ。


 「優生学」が一般的に許されざる絶対悪とされているのはこのためだろう。


 しかしここまで読んで気づいた読者様もいるのではないだろうか。

 我々はこの現代においても「優生学」的思想にもとづく行為を日常的に行なっている。


 例えばいじめだ。

 いじめはおおざっぱに言うと自分や周囲と異なる要素を持つために嫉妬や嫌悪を抱いて攻撃するものである。


・自分より頭が悪いから、または良いからいじめる。

・自分より足が遅いから、または速いから(速いためもてはやされるから)いじめる。

・自分よりみにくいから、または美しいから(美しいために嫉妬して)いじめる。

・話があわないから、または性格や喋り方、態度が気に入らないからいじめる。


 理由は実に様々だが、すべては自分を含む誰かとのにある。

 最後に挙げた話があわない、態度が気に入らないなどの理由も自分の他の友達とし、異なるためにいじめていると言える。


 一体このことのどこが「優生学」的思想なのか。

 実は、いじめそのものは「優生学」的思想ではない。


 自分より優れているものであっても攻撃し、仲間はずれにするなどして排除しようとするのだから、冒頭で述べた『人類をより良いものへ改良する思想』とは異なる。

 単に自分と違い、それが不快であるために攻撃しているに過ぎないのだ。


 が、いじめっ子たちは自分のいじめを正当化したがる。

 いじめる、つまり攻撃して排除したがるだけのもっともらしい理由を欲しがる。


 それを求めて思考をめぐらせるわけだが、自分の悪どい行いを正当化するために何時間もじっくり考える者は珍しいだろう。

 その上冷静に考えれば悪いのは明らかに自分だ。よって正しい論理を展開するわけにはいかない。


 結果、思考は短絡的になる。


 すると例に挙げた一つである、自分より能力が劣っている者をいじめる理由をいじめっ子はこう結論づける。


『自分たちより


 長い説明を要したが、ここまで読めば納得していただけるのではないだろうか。


『劣っている(と自分たちの基準で判断できる)者は攻撃し、排除して良い』


 これは「優生学」的思想、優生思想につながる発想だ。

 『人類をより良いものへ改良する』という崇高な目的をかかげているわけではないが、どちらも「自分たちより劣っている者を排除する行為」だ。


 そしてこの発想を持ったまま成長することで、この発想はさらに正当化され、『人類をより良いものへ改良する』という一見崇高そうな大義名分に変化するのではないだろうか。そう、羽川は思う。


 タチが悪いのはここまで長々と説明しないと「優生学」的思想またはそれにつながる発想であると認識できないことだ。


 ちなみに日常というほど一般的ではないが、この現代には露骨ろこつな「優生学」的思想がうかがえるサービスも存在する。


 「精子バンク」だ。

 もちろんすべての国や機関で「優生学」に基づいた体制をとっているわけではない。特定の国を批判する意図はないので、今回例にあげるのはあくまでも某国のある機関の一例だ。


 某国の「精子バンク」を運営するある機関では、精子の提供者つまり精子ドナーになれる人の条件が厳しく定められている。


 まず、ドナーやその家族が伝染病にかかっていないこと。

 これについては「優生学」的ではない。単に感染を広げないためのものに過ぎない。


 問題はここからだ。


 身長や学歴がある一定以上の水準であること。


 これだ。


 言うまでもないが精子ドナーの身長や学歴によって妊婦や胎児の生命や健康がおびやかされるわけがない。

 言っておくが一部の疾患しっかんや知的障害によってこの水準を満たさないから精子ドナーになれないのではない。

 この機関では社会的にエリート、つまり優れているとされる精子ドナーを一般人の中からしているのだ。


 これを「優生学」と言わずしてなんと言うのか。


 ただ、勘違いしないで欲しいのは社会的に優れているとされる遺伝子を持った精子だけをドナーとして提供することが悪だと言っているのではないし、そう言った精子を欲しがる人たちも別に悪ではない。


 これは「自分たちより劣っていて迷惑をかけているから攻撃し、排除して良い」としていじめを行う子どもたちと違い、劣っている(と主観的に判断される)者を攻撃し排除しているわけではないからだ。


 優れている者の生殖をうながして遺伝子を後世に残すべきという思想を「積極的優生学」という。

 逆に、劣っている者の生殖をはばむべきという思想を「消極的優生学」という。


 生殖を積極的に促すのが「積極的優生学」

 生殖に消極的なのが「消極的優生学」


 と解釈すると覚えやすい。


 ちなみにどちらも善の側面と悪の側面をあわせ持つため、現段階でどちらが善だ悪だと断定してはならない。



 次回はこの「積極的優生学」と「消極的優生学」の持つ善と悪の側面について論ずる。



 補足


 出生前診断を「命の選別」だとして批判する者がいるが、これは胎児の健康診断であって「優生学」ではないし、「優生学」につながると羽川は考えていない。

 この診断は妊婦の不安を軽減したり、出産直後または胎児の段階で治療をして病気を治すことが目的だからだ。


 思い出して欲しい。


 「優生学」は『人類をより良いものへ改良する思想』だが、出生前診断で障害や病気を持っていることが発覚した場合、中絶を行うかどうかを決めるのは妊婦とその配偶者であって、医師や公的機関ではない。


 当然染色体に異常が見られても出産することをさまたげる者はいないし、あってはならない。

 また、中絶する理由も「劣っているから排除する」のでも「人類をより良くしたいから」でも絶対にない。


 経済的な事情や子どもの幸せを考え、悩み抜いた挙句のなのだ。


 明らかに「優生学」とは異なるので、混同して批判してはならない。

 出生前診断を頭ごなしに否定、批判する行為は明確に悪であり、同情の余地も善の側面もない。

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