「病人ゼロを望む思想」の善悪

羽川明

初めに

今作に関する諸注意と、「優生学」の定義

 今作では「優生学」をではなく、つまり考え方としてあつかう。


 本来はという言葉を使うべきだと理解しているが、「優生学」が一つの学問として扱われてきた歴史があると羽川が感じており、その上で「優生学」を学問と呼ぶことの危険性から、意図的に直接的な表現を避けている。


 また今作では優生思想という言葉の代わりに「優生学」的思想、つまり「優生学」につながる近い考え方という言い回しをすることがある。


 今作では風邪などの一般的に病気と呼ばれるものだけでなく、身体・精神の障害も合わせたすべてを「病気」と表現する。


 そのため今作で羽川が言う「病気の苦しみ」には障害による苦しみもふくまれている。


 これは「優生学」が生まれた時代では障害や感染症などを劣った遺伝子が原因で起こるものとして同じようにあつかう傾向が強かったと羽川が考えているためだ。


 羽川自身、障害等級2級であり、一般的に病気と呼ばれるたぐいのもので入院するなどして苦しんだ経験もある。そのため障害や病気を軽く見たり、差別したり、侮辱ぶじょくするつもりはない。


 今作では「劣っている者」という表現を多く使う。

 これは第三者の勝手な価値観や基準から優れている、劣っていると考えるためにそのような表現を行っているだけで、私は人に優劣があるとは考えていない。


 しかし毎回前述したような説明を挟んでしまうと文章が長くなってしまうため、今作では省略している場合が多い。


 羽川は最終的に『人類をより良いものへ改良したい』という願望へたどり着く発想、思想を「優生学」的思想と見ている。


 そのため今作では明確に「改良したい」という意志がうかがえない場合でも「優生学」につながる考えとして、「優生学」的思想と表現する。


 例えば「優れている者が生き残り、劣っている者は排除されるべき」という思想も今作では「優生学」的思想つまり「優生学」につながる近い考え方とする。



─羽川が思う「優生学」について─


 「優生学」を中立的な言い回しで表現することは難しい。


 しかし「優生学」を知らない読者様も多くいるだろう。

 知らないことは自分で調べろという態度を取る書き手は多く、私自身扱う語彙ごいについてその都度細かく説明しないことが多い。


 だが「優生学」は一般的に悪と断じられているため、「優生学」を知らない、もしくは「優生学」に詳しくない読者様が今作を読み終えるまでにこの語彙の意味を自分で調べることは危険だ。

 まず間違いなく中立でない、「優生学」を絶対的な悪とするかたよった記事に行き当たり、先入観を持ってしまうからだ。


 とはいえ紹介文でも述べたように羽川は「優生学」によって罪なき命が奪われた事実を認識しており、それについて擁護ようごする気はない。


 その上で考えてほしい。


 例えば「包丁」はこの国で殺人に用いられることがよくある。

 事実として多くの命が「包丁」によって奪われた。


 しかし「包丁」は現代でも普通に売られていて、「包丁」を殺人の道具であり、排除するべき絶対悪と断じている人はまずいない。


 同じことが「優生学」にも言える。


 「優生学」をとして扱い、罪なき命を奪った者がいる。

 「優生学」をとして扱い、人々の負担や不安を軽減しようとした者がいる。


 つまり「優生学」は扱う者によってのだ。



次回から本題に入る。

内容としては、「優生学」はこの現代にも身近にあるという話だ。

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