第11話 二人の救世主

「魔王ーーーーーー!!」






「邪魔」




 


 パルキナの身体も想いも、魔王のその一言に文字通り吹き飛んだ。魔王は指一本動かしていない。しかし、魔王の周りには強力な魔力が渦巻いていた。パルキナはその流れに巻き込まれ、吹き飛ばされたのだった。


 パルキナは横からの突然の衝撃に、気がついたときには地面に転がっていた。身体中に走る痛みも気にせず、バッと飛び起き、すぐに戦闘態勢をとった。


 一体、何をされたッ!? ……パルキナには分からない。それでも、止まれない。心に絶望が広がる前に怒りでそれを塗り潰し、魔王を睨め付け一歩踏み出そうとした。そのとき、魔王と目が合った。


「そこでよく見ておけ、人の王よ。これが『魔法』だ」


 魔王はそう言うと、ゆっくりと王都に顔を向け、そして、口を開いた。 


 魔王の口の前に火球が生まれた。それは小さかった。魔王の口が大きすぎるのもあるが、豆粒のようだった。しかしそれが放つ魔力は、パルキナの最強魔法を遥かに凌駕していた。

 

 火球は少しずつ大きくなっていく。魔王は、わざと時間をかけていた。人間に絶望を与えるためか、久しぶりのこの姿を楽しんでいるのか……。パルキナは動けなかった。魔王の圧倒的な魔法に身体が言うことを聞かない。


「やめろッ!! 止まれッ!」


 パルキナは必死に叫んだ。叫ぶことしかできなかった。当たり前だが、魔王は止まらない。火球はどんどん大きくなっていく。


 突然、城壁から轟音が鳴り響いた。魔力式大砲だった。それを起点に、砲弾も、矢も、魔法も、投石まで、全ての兵器が一斉に火を吹いた。しかしそれらは全て、魔王に命中することはなかった。火球に近付いただけで、圧倒的な熱によって溶かされたのだ。


 後方部隊の努力も虚しく、火球は成長を続け、燦然と輝く巨大な火球になった。それはまさに太陽のようだった。戦士たちは太陽を前に「生」を諦めた。


 そして魔王が太陽を放った。


 パルキナの前を横切り、戦士たちに向かって、王都に向かって飛んでいく。


 太陽は全てを溶かし進んだ。砲弾も、矢も、魔法も、地面も、戦士までもが近付いただけで燃え溶け、触れることすら許されない。太陽の通った跡には、残り火しかなかった。その光景は地獄だった。壁が壊されたことで地獄が此方側に流れ出したようだった。


「やめろ、やめてくれ……、王都には、デイナがいるんだ……」


 これが、魔王……。人間なんかに勝てるはずがない……。俺は、驕っていたのか……ギリギリで踏み留まっていたパルキナの心が、絶望に、後悔に、どんどん黒く染まっていく。


「誰か、止めてくれ……神よ……」


 パルキナは生まれて初めて、神にすがった。


 そのとき、突然風が唸りを上げた。そして立っているのも難しいほどの暴風が吹き荒んだ。パルキナは剣を地面に刺し、しがみついた。すでにへたりこんでいる戦士たちは無事だった。太陽はその巨大さゆえに、暴風の影響を一番受けた。表面の炎は揺らぎ、勢いが削がれていく。どれほどの熱があろうが、風は溶けない。


「なんと」


 魔王は暴風に少し身を屈め、感心するように呟いた。


 暴風は太陽の勢いを弱め、そして、ついに太陽の軌道を上空へと逸らした。太陽の残り火まで吹き消してから、暴風は完全に止んだ。


「魔王の魔法が外れた……のか!?」


 パルキナは目の前の出来事が信じられなかった。しかし、彼はすぐに悟り、城壁を見た。


「……カレヴィ!!」 




 それは神の仕業……、ではなくカレヴィの抵抗だった。カレヴィは嚆矢となる砲撃をしたあと、すぐに風魔法を発動していた。しかし、カレヴィの魔力では命を使ったとしても、魔王の魔法には敵わない。そこで彼は風魔法を、太陽にぶつけるのではなく、ナガラヤ山脈に溜まっていた龍の魔力を、山頂の冷たい空気ごと引きずり下ろすために使ったのだ。冷たい空気は急な山肌を駆け下り、暴風になった。龍の魔力を大量に含んだ暴風に。人では到底太刀打ちできないドラゴンの魔法に対して、龍の魔力をぶつけたのだった。




 助かった、のか? ……城壁では後方部隊の誰もが、その事実を受け入れられず呆然としていた。


「ぼけっとするな、逃げないのなら撃ち続けろ。風のガイドはないから、少しは狙えよ」


 弱々しい声が、後方部隊を我に返した。カレヴィは立っているだけで精一杯の様子だが、まだ諦めていなかった。


 魔王は大きく目を見開いて、王都の背後のナガラヤ山脈を見つめていた。 


「素晴らしい……! これが、この地の魔力か!! 魔力だけでこれほどの力があるとは!!」


 パルキナは、城壁にカレヴィを見つけたとき、その姿にハッとさせられた。カレヴィは城壁の石柵の上に立ち、剣を構えていたのだ。魔力も体力も、ほとんど残っていないはずなのに。


 カレヴィが、アイツがあんな身体で、まだ戦う気なのに……、俺は……パルキナは、情けない自分に心底嫌気が差した。


 何が絶望だ、何が後悔だ。それは今やるべきことなのか!? 違うだろ! お前は、王だろッ!?


「絶望も後悔も、あの世でやれッ!!」


 パルキナは叫んだ。それはパルキナ自身に向けてのものだった。しかし、死人のような顔でうなだれていた戦士たちが、一斉にパルキナの方を見た。


 作戦が失敗した今、すべきことはなんだ。……そうだ、一人でも多くの戦士を逃がし、未来に希望を繋ぐことだ! むざむざ全滅などさせてなるものかッ!!


「今は逃げろッ!! いつか反撃するためにも、今は生き抜くだけことを考えろッ!!」


 王の叫びに、戦士たちは生きる気力を取り戻した。立ち上がり、走り出す。どこへ逃げればいいのかもわからず、ただただ魔王から少しでも遠くへと。


 戦士たちが動き出したのを見て、パルキナは走り出した、魔王に向かって。しかし、今度は冷静だった。


 私は王だ、逃げるわけにはいかぬ。城壁を壊すとき、龍の魔力を手に入れるとき、どこかに隙があるはずだ! 一瞬でいい、その隙に封印して見せる──。


「良い判断だ。我は人などに興味はないが、後ろの者共はそうではない」


 魔王の後ろには、またぞろぞろと魔族たちが集まっていた。


「では、我はこの地の魔力をいただくとしよう」


 心なしか嬉しそうに呟くと、魔王は悠然と歩き出した。砲撃の雨に打たれながら、逃げ惑う戦士たちを踏み潰しながら、真っ直ぐ進んだ。魔王はその言葉通り、人には全く興味がなかった。逃げ出そうが、踏み潰そうが、どうでもよかったのだ。


 パルキナは必死に魔王のあとを追っていたが、追い付けなかった。ドラゴンになった魔王の一歩は大きく、さらに地面を揺らした。追いかけるパルキナも、逃げ惑う戦士たちも、襲いかかる魔族たちも、揺れる地面に思い通り進めなかった。


 そんな彼らを嘲笑うかのように、魔王はあっという間に城壁まで辿り着いた。そして、城壁の前で手を振り上げ、下ろした。


 だが、城壁は壊れていなかった。いくら堅牢な城壁といえど、ドラゴンと化した魔王の一撃を防げるはずはなかった。それなのに、魔王の手は城壁上部で止まっていたのだ。


「ナニッ!?」


 魔王は驚いた。次の瞬間、


「なっ……?」


 人間も魔族も関係なく、戦場にいる全員が目を疑った。魔王が吹き飛んでいたのだ。山のような巨体が、背を下にしてゆっくりと飛んで行く。  


 魔王は空中でくるっと一回転すると、翼を羽ばたかせ華麗に着地した。魔王の羽ばたきにより大量の戦塵が舞い上がり、戦場は一寸先も見えなくなった。


「おおーーーー!!」


 数瞬ののち、我を取り戻した人間たちから歓声があがった。


「魔王が、吹き飛んだぞッ!?」


「でも何でッ!?」


 戦塵と驚愕の騒乱の中、パルキナは見えなくなった城壁上部を呆然と見つめていた。


「……カレヴィ!?」


 それは、カレヴィの抵抗……ではなかった。カレヴィは城壁でひっくり返っていた。最後まで抵抗する気だったが、魔王の手が迫ったとき、突然後ろから引っ張られたのだった。


「何が起きた!?」


 飛び起きたカレヴィが見たものは、剣士だった。先ほどまでカレヴィがいた場所に、マントを羽織った旅人風の剣士がいた。手には身の丈ほどもある大剣を持っていた。


「アンタは……誰だ? お、おい、そっちは──」


 目を丸くするカレヴィの前で、その剣士は石柵から一歩踏み出した、向こう側へと。カレヴィは焦って石柵に駆け寄り、下を見た。


「龍……!?」


 そのとき、カレヴィは龍を見た。眼下に広がる戦塵の雲を切り裂いて、猛スピードで魔王に向かう一頭の龍を。雲を纏った龍は大きく口を開けて、ドラゴンに喰らい付いた。次の瞬間、爆発のような衝撃波が広がり、戦塵の雲を吹き飛ばした。それと同時に、龍も姿を消した。


 飛び上がった剣士が、魔王の頭に一撃加えていた。カレヴィが龍だと錯覚していたのは、猛スピードで動く剣士が造り出した、戦塵の龍だったのだ。


「キサマが、この地の守護者か!?」


 魔王は、その一撃を頭の動きだけで弾き返し、突然の乱入者に目を剥いた。初めて聞く殺気に満ちた魔王の声。その声に、あらゆる生物が「死」を求めた。死んだ方がマシだ、とそう思わされたのだ。死後の世界など知りもしないのに……。


 だが、誰一人実行しなかった。パルキナたちは金縛りにあったように、ピクリとも動けなかったのだ。


「私は、ただドラゴンと戦いにきたんだ」


 唯一の例外は殺気の対象者だった。剣士は、大剣の切っ先を魔王に突き付けていた。


「……久方ぶりの挑戦者か。それも魔族ではなく人間の」


 魔王は喉の奥で笑った。殺気が緩み、パルキナたちは糸の切れた操り人形のように、その場にへたりこんだ。


「いざ、尋常に勝負!!」


 剣士は大剣を軽々と振り回し、自分より何十倍も大きい魔王に真っ正面から挑んだ。謎の剣士と魔王、二人の力は次元が違い、人間だけでなく魔族でも、援護はおろか近づくこともできなかった。


「ハハハ! いいぞ、もっと楽しませてみろ!!」


 魔王は久しぶりの挑戦者と遊んでいるようだった。それでも剣士を圧倒していた。


「まだまだァ!!」


 剣士も楽しそうだった。何度倒されても立ち上がり、戦った。身体がキズ付くのとは裏腹に、どんどん動きが速くなる。剣士は、戦いの中で急激に力をつけているようだった。


「我に全力を出させるとは、何百年ぶりだ!!」


 何度倒しても立ち上がる剣士に、魔王はとうとう本気を出した。だが、少し遅かった。すでに剣士の力は、本気の魔王と戦えるまでになっていた。


 二人の戦いはさらに激しさを増した。そして、両陣営が固唾をのんで見守る中、永遠に続くとも思われた戦いに、決着がついた。





 魔王が倒れていた。



 それを見ると、多くの魔族が反転回頭し、魔界へと逃げ去った。


「魔族たちが帰っていく! 人間界の勝利だーー!!」


 戦場に戦士たちの大歓声が轟いた。人類は救われた、やっと世界が平和になった、と手を取り合い喜ぶ者たち、傷付いた仲間を救助する者たちに、仲間の死を悲しむ者たち、戦場には様々な感情が渦巻いていたが、皆の根底には、生きていることへの喜び、があった。


しかし──、


「まだだ! 魔王はまだ──」


 歓喜の声をパルキナの鋭い声が切り裂いた。戦士たちは全ての行為を一時放棄し、王と魔王の方を見た。


 パルキナは倒れている魔王の前に立っていた。魔王はまだ生きていたのだ。気を失い、横たわっているが、まだ息をしていた。


 パルキナは剣を振り上げ、その首を切断しようと渾身の力で振り下ろした。剣は魔王の首に直撃した。しかし、それだけだった。


「やはり……」


 倒れたといえども魔王、パルキナでもキズ一つ付けることができなかった。狼狽えた戦士たちが助けを求めるように剣士を見た。


「私にはどうすることもできない。力はもう残っていないし、回復にも魔王より時間がかかる」


 剣士は精も根も尽き果てたように座り込んでいた。


「どうすれば……やっと救われたと思ったのに」


「後はトドメを刺すだけなのに……」


 戦士たちは、天国と地獄を行ったり来たりしている気分だった。


「全ては王の、私の責任だ。作戦通り、私が王家に伝わる秘術で魔王を封印する。だが、この秘術は、術者も共に封印される。……心配するな。私の跡は、デイナとカレヴィに任せてある」


 パルキナはざわめく戦士たちに、そう宣言した。


 戦士たちは静まり返った。やっと訪れたこの平和、維持できるのはパルキナ王しかいない。だが、魔王が回復すれば今度こそ人類は滅びるだろう。この二つに板挟みになって何も言えなかったのだ。


 すると、可愛らしいが力強い声が沈黙を破った。


「パルキナ王、今のあなたでは魔王は封印できません。魔王の力を目の当たりにして、己の、人間の限界を悟ったあなたでは」


 戦士たちが振り返ると、まだあどけなさが残る少女がこちらに歩いてきていた。この戦いに参加していたのか、可愛らしい顔は血に濡れている。


「姫様……」


 戦士たちは道を空けた。その少女はパルキナ王の一人娘、デイナ姫だった。


「それでは魔王はどうするッ!?」


 パルキナは思わず声を荒げた。封印の成功率が低いことなどわかっている。だが、可能性があるのはこの方法だけだ。


「これは王家の責──」


 パルキナはそこまで言って、ハッとした。まさか……。


「父上の責務は、人間界の復興と魔族との和平ではありませんか?」


 デイナ姫は静かに微笑んでいた。 


(それだけはダメだ! 何か方法は──)


 パルキナの頭は、必死になって他の方法を探す。パルキナの手は、娘を止めようと伸びる。しかし、頭はすぐに停止した。他の方法なんてない。戦いの前にさんざん悩んだ結果がそうだった。だから、自分を犠牲にすると決めたのだ。パルキナの手が、だらんと力無く垂れ下がった。


「私も王家の人間です。封印は私にお任せください」


 デイナ姫の表情は自信に満ちていた。大人のパルキナと違い、まだ子供のデイナには限界なんてない。どこまでも広がる無限の可能性があり、そして自分を心から信じることができた。


 パルキナはその表情を見たときに全て悟った。


(ああ……──。これが、俺の負うべき責か……)


 世界から色が消えていく、そんな気がした。それでもパルキナは、


「……わかった。任せた、ぞ」


 王として、自分の責務から逃げなかった。


「うん。任せて」


 デイナは頷くと、父親の横を通りすぎ、倒れている魔王に歩み寄った。


「ごめんなさい、魔王様。悪いのは私たちなのに……、それでも、私は守りたいの」


 デイナは倒れている魔王にそう告げると、持っていた剣で自分の胸を貫いた。


 目の前の光景に、突然の衝撃に、全員の時が止まった。


 しかし、傷口から流れ出したのは血ではなく、キレイな光の粒子だった。それに反応するように、二人の周りの空気が虹色に輝きだした。次の瞬間、デイナの身体が弾けた。姫の全身が光の粒子となり、魔王の体を包み込んだ。そして、光が消えたとき、二人の姿はなかった。


 呆然と立ち尽くす人々を、太陽が煌々と照らす。今度こそ、戦いは終わったのだ。戦闘開始から約半日しか経っていなかったが、人々にとっては長く苦しい戦いだった。それが終わった。勝利という形で。しかし、歓声はなかった。




「遅かったか……」


 魔王の元へと急いでいたカレヴィは、戦士の人垣から漏れる封印の光を見てそう呟いた。だからこそ、力強い口調で命令した。


「我々は勝利した! だが、喜ぶのも悲しむのも、負傷者の収容が終わってからにしろッ!!それと──」


 カレヴィの声はふいに途切れた。戦士の人垣が割れ、そこにパルキナを見たのだ。いるはずのないパルキナを。


「……それと、健在な者は各地にこの勝利を伝えるのだ」


 再開したカレヴィの声は、震えていた。


 戦士たちは悲しみに耐え、動き出した。いつの間にか剣士の姿はどこにもなかった。

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