第8話 戦神

 明け方、東の空で大爆発が起こった。


 その音は、王都では微かに聞こえる程度だった。それでも王都中に衝撃が走った。昨日から眠れぬ夜を過ごしてきた人々は、早すぎる目覚ましに飛び起き、そのまま室外に飛び出た。少し遅れて警報が鳴り響く。


 高い城壁に囲まれている王都では、透視魔法でもない限り外の様子はわからない。それでも人々は東の城壁から目を離せなかった。それでも人々は外で何が起こっているか理解していた。


 魔王が……来た。






「な、なんなんだ、あの数は……!?」


 見張りの騎士が絶望に満ちた声をあげた。それは、毒のように人々の士気を蝕んでいく。人々の顔から色が失われつつあった。


 このままではマズイ! ……パルキナはすぐさま見張り台に登った。上からなら王都の外を見渡せた。 


 いつもと変わらない美しい平原。その先、東の地平線で太陽が霞んで見えた。爆発による砂煙かと思ったが、そうではなかった。おびただしい数の魔族が巻き起こす砂煙だった。


 今回は魔族らしく隊列を組んでいなかった。だが、その数は前回の比ではない。無数の魔族が猛然と王都に向かって、じわじわと平原を埋め尽くしていく。まるで、真っ黒な水が迫ってくるようだった。平原のそこここでワナが作動し、爆発が起こった。十数体の魔族が吹き飛び、ポッカリと穴が空くが、何事もなかったようにすぐに埋まっていく。


 クソッ! こんなにいるのか!? ……パルキナは、予想を越える量の魔族の大群に、心の中で盛大に舌打ちしながら、魔王を探した。しかし、


 いや、あの中にはいない……パルキナは、ろくに探しもせずに決めつけた。ちゃんとした根拠があった。まず、魔王の出現予想時間より早かった。そして何より、あの圧倒的な恐怖を大群の中に感じなかったのだ。


 パルキナは振り返り、眼下に集まった人々を見下ろした。


「恐れるなッ!! ようやく魔王が来たのだ。いいかッ!! この戦いで全てが決着する。そして、我々はこの戦いのために準備してきた! 心配するな、作戦通りやれば勝てるッ!!」


 言葉とは裏腹に、パルキナには心配があった。魔王が来るまで、この大群から王都を守り抜けるのか、と。しかし、そんなことは微塵も見せなかった。見せるわけにはいかなかった。


「非戦闘員は城に退避しろ。万が一に備えて、防御を固めよ! 戦闘に協力してくれる者は、壁内にて後方部隊を支援してくれ! 前衛部隊は俺と共に来いッ!! 想定外の数だが魔王はまだいない。魔王が来るまでに雑魚を殲滅するぞッ!!」


「オオオオーーーー!!」


 人々は一斉に雄叫びをあげた。パルキナの号令に騎士も民も盗賊も、皆が一つになったのだ。パルキナ王がいれば、どんな軍勢にも勝てる。身分も立場も関係ない、ただの戦士としてパルキナ王と共に戦うんだ! そう思えた。


 人々は淀みなく動いた。王城へ退避する非戦闘員の群れも、戦場へ向かう戦士の群れにも迷いはなかった。万全の準備のおかげで、皆が今やるべきことを理解していたのだ。




 パルキナ率いる前衛部隊の隊列は、少し奇妙だった。王都を守るように横に広がった、オーソドックスな横陣。前衛部隊は、連携を高めるために部隊を出身国で分けていた。北側にサンクフェム、エルド・スーンとケメトサラーサを、南側にデルニエとプリミエを、というように配置した。さらに、最前列に鎧と盾で身を固めた重歩兵をおき、鉄壁を作った。しかし、その中心には、北と南を分けるように一本の空白地帯──『通り』が走っていたのだ。王都の正門まで真っ直ぐ伸びる『通り』の途中には、十二人の結界部隊。そして、その入り口にはパルキナがいた。


 隊列を組み終わった頃には、地上にいるパルキナたちからも魔族がハッキリと見えた。それは、人間相手では体感したことのない迫力だった。視界全てを埋め尽くすほど大量の魔族が、轟々と音を立て迫ってくる。これが魔界の、魔王の力なのか、と戦士たちは戦いた。


「絶対に、王都を守り抜くぞ!! 全軍、戦闘準備ッ!!」


 パルキナは剣を掲げ、檄を飛ばす。戦士たちの肌をピリピリとした緊張感が包んだ。




 城壁の上では、カレヴィが後方部隊に最後の確認を行っていた。後衛部隊は、エルド・スーンとケメトサラーサの出身者を中心に、砲兵、弓兵に、魔法兵のスペシャリストたちで構成されていた。


「敵は大群だ。狙いも出し惜しみも必要ない。砲弾と矢の補給は民がやってくれる。いいか! お前たちは、ただ遠くに撃ち続ければいい!!」


 城壁の上は多くの戦士と兵器に圧迫され、砲弾と矢を置くスペースが少なかった。そこで、民で作られた補給部隊が常に補充することになった。


「後衛部隊、迎撃準備ッ!」


 カレヴィの命令に、城壁も一気に緊張感が高まった。そうしている間にも、魔族の大群はどんどん王都に迫ってくる。


 そしてついに、そのときが訪れた。人間界を命運をかけた最終決戦のはじまりが。


「魔力式大砲部隊、撃てッ!!」


 カレヴィの号令で、数十の魔力式大砲が一斉に火を吹いた。


「いくら魔力式でもまだ届かんぞ!?」


「奴らめ、焦りやがったな!」 


 突然の轟音に、地上の戦士の一部が狼狽えた。彼らの言う通り、魔族はまだ射程の外だった。しかし、パルキナはニヤリと笑った。


「いいや、届かせるさ。俺の『右腕』をあまりナメるなよ」


 そのとき、突然強風が吹いた。砲弾は風に乗り、ぐんぐんと飛んでいく。そして、狙い澄ましたように魔族の先頭に着弾し、炸裂した。地面をえぐり、先頭集団を吹き飛ばす。


 魔力式のそれは、火薬式のとは桁違いの威力を誇った。ましてや、一斉に着弾した数十発のそれの威力は凄まじかった。爆発と爆発が手を繋ぎ、魔族の先頭集団を薙ぎ払った。


 その射程と破壊力に人々は息を呑んだ。これを魔法で再現するには、何百人の魔法使いが必要だろう、いや、人間には無理だな。とパルキナは思った。複数人で一つの魔法を発動するのは簡単ではなかった。パルキナでも十人程度が限界だった。


 だが、味方も鼻白む砲撃を敵は意に介さない。爆煙を切り裂いて、魔族たちはどんどん王都に迫ってくる。


「全部隊、撃てッ!! 狙いは俺がつける!! お前たちは撃って撃って撃ちまくれ!!」


 カレヴィの命令で、城壁は一気に忙しくなった。全部隊が一斉に撃ち始め、民が砲弾と矢を持って走り回る。


 カレヴィは、魔法で風を自由自在に操り、砲弾を、矢を、魔法を寸分違わずに目的地まで運んでいく。極限の集中力と熟練の技巧がそれを可能にしていた。


 後方部隊は、魔族の大群に大いなる破壊と殺戮を生んだ。地形が変わるほどの、砲弾と弓と魔法の『雨』は無数の魔族を屠った。それでも魔族の勢いは一向に失われない。そしてついに、一体の魔族が破壊と殺戮の『雨』を抜けた。


「全員、俺より前には出るな! 味方に蜂の巣にされるぞ! 来るぞッ!!」


 パルキナは、襲い来る魔族を一刀のもとに斬り伏せて、叫んだ。それを皮切りに、次々と血に濡れた魔族たちが『雨』を抜け、一心不乱に突撃してきた。


 前衛部隊と魔族が激突した。


 魔族の爪が、牙が、前衛部隊を引き裂こうと襲いかかる。重歩兵はそれを盾で防ぎ、動きが止まった魔族を戦士の剣や槍が仕留めた。いくら金属製の分厚い盾でも気を抜けば、魔族の餌食になった。


 パルキナは最前線でその勇名をいかんなく発揮した。開けた『通り』を目掛けて、殺到する魔族たちを一体残らず打ち倒す姿は、まさに『戦神』と呼ぶに相応しかった。


 戦況は人間側が優勢だった。爆撃の『雨』を抜けた魔族の集団は、重歩兵の鉄壁にぶつかる。同数の戦いなら魔族に分があっただろう。しかし、常に魔族の集団の方が少数だった。少数の魔族が、多数の重歩兵の壁を打ち破るのは難しかった。手傷を負っているとなると、なおのこと。


 これはカレヴィが『雨』をコントロールした結果だった。彼は、敵の損害を最大限にすることよりも、味方の被害を最小限にすることを重視していた。二種の大砲を巧みに使い分け、魔族の大集団を分断し、そこに弓と魔法で確実に手傷を与え、前衛部隊が有利になるようにコントロールしていたのだ。


「よし! この調子なら」


 パルキナは戦士たちの勇戦ぶりを見て、心配が杞憂に終わると確信した。しかし、


「この感じ……」


 パルキナは誰よりも早く異変を感じ取った。目の前の魔族を斬り伏せ、魔族たちの奥に目を向けた。味方の『雨』のせいで、視界が悪い。それでも、


「やっと、来たのか……魔王!」


 魔王の居場所はハッキリと分かった。姿が見えなくとも、嫌というほど伝わる存在感を放っていた。それと共に再確認する嫌になるほどの魔族の大群。いまだに大海のように地平線の先まで広がっている。パルキナが「魔王が現れた。次の作戦へ移行する」と、叫ぼうと振り返った、その瞬間──。


 人間たちの動きが止まった。前衛部隊は目の前に魔族がいるのに……、後衛部隊は大砲に点火したのに……。パルキナに遅れて、彼らも気付いてしまったのだ。戦場に現れた『恐怖』を、魔王の存在を。


「しっかりしろッ!!」


 パルキナの怒号で、前衛部隊は動きを取り戻した。それは、一瞬だった。だが、その一瞬が、魔族の反撃を生んだ。


 魔族たちはその一瞬に、戦士の壁のあちこちに穴をあけ、内部に食い込んだ。食い込んだ魔族たちはすぐに倒されたが、壁はすぐには修復できない。そこに『雨』が止んだことで、無傷の魔族の大群が大波のように迫ってきた。今まで多数だった戦士たちが、いきなり少数になったのだ。


「もう少し耐えれば、後方部隊が動き出すッ!!」


「そうすれば、パルキナ王が結界を発動できる。勝利はすぐそこだッ!!」


 戦士たちは死に物狂いで応戦した。重歩兵は、必死に殺到する魔族の猛攻を防ぐ。が、壁の穴はどんどん広がり、内部に侵入する魔族は徐々に増えていく。


 わずかに残った壁の内側では乱戦が繰り広げられた。戦士たちの剣や槍が魔族を、魔族たちの牙や爪が戦士を、引き裂く。何体たおしても、何人たおれても、互いに一歩も退かない。


 しかし、いつまで経っても『雨』は降りださなかった。


 このとき、後方部隊は機能不全に陥っていた。城壁でも地上と同じことが起こっていたのだ。こちらの戦士たちはカレヴィの声で動きを取り戻したが、問題は民だった。


 民は魔王の恐怖に錯乱した。その場にうずくまる者、持ち場を放り出し逃げ出す者に、恐怖のあまり城壁から飛び降りる者までいた。助かるような高さではないにもかかわらず……。


 民の、補給部隊の狂騒は、後衛部隊の混乱に繋がった。


「弾がもう無いぞ! 早く持ってこい!!」


「邪魔だ!! どけッ!」


「なぜ、門を開ける!?」


 あちこちで悲鳴にも似た怒号が飛び交うが、事態──補給タマがなければ、兵器も弓も役に立たない──の解決には何ら寄与しなかった。


「弓と魔法部隊は補給に回れッ!! 大砲が最優先だッ!!」


 カレヴィは必死になって、部隊の再編成に奔走した。しかしその作業は難航した。ただでさえ狭いのに、そこら中に絶望した民がうずくまっていたのだ。邪魔だからといって民を無下に扱うわけにもいかず、民の保護も同時に行う必要があった。


 このまま後方部隊が動き出すまで耐え抜くか、それとも、次の作戦を強行するか……パルキナは、たった一人で『通り』を守りながら、難しい決断を迫られた。


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