第6話 準備

 パルキナが境界の森に向かったあとも、王都には魔王との戦いに備え、各地から人々が集まっていた。その多くは戦士だった。各地の騎士、引退した元騎士、パルキナに従属しなかった戦士、反パルキナのゲリラなどから、盗賊団まで。人間界の存亡をかけた戦いは、人類社会に真の統一をもたらしたのである。




 魔王迎撃の準備はカレヴィ大臣の主導で行われた。彼は王都の武器庫を開放し、武器に防具、ありとあらゆる物を戦士と民に供与した。さらには、最新型の魔力式の兵器から骨董品の火薬式の兵器まで、稼働するモノは全て用意させた。


 魔力の少ない者たちは兵器を城壁の上に運び、魔力の多い者たちは武器や防具を魔力で強化し、砲弾や矢に魔力を込めた。


 魔力は、人間を含む全ての生物の身体能力を大幅に強化している。魔力の籠っていない矢や銃弾では、魔力で防御した人間はおろか、鹿すら狩れない。それほどまでに魔力の力は偉大なのである。


 しかし、科学と魔力の相性は良くなかった。特に銃火器との相性は最悪である。魔力の籠った弾を火薬で撃ち出そうとすると、その場で武器ごと大爆発を起こしてしまうのだ。その問題を解決するために、魔力の籠った弾を魔力で撃ち出す魔力式の大砲が開発されたのである。この技術の銃への応用はまだ出来なかった。その結果、しだいに銃火器の類いは大砲を除いて衰退し、火薬式の兵器は骨董品、古代兵器と呼ばれるようになっている。




 避難計画は、スタルヒン大臣が全権を握っていた。各地から集まる避難民の名簿作りを部下に任せ、彼は詳細な避難計画を策定していた。


 前回のナガラヤ山脈調査のあと、水面下で「西の果て開拓計画」が進められていた。それ自体は病魔の蔓延で頓挫したが、幸い、計画と物資はそのまま残されていた。スタルヒンはそれらを活用することで、本来なら莫大な時間を要する避難計画の策定を、迅速に進めていた。




 人々は、襲い来る伝説の魔王の恐怖から逃れるように、休まず働いた。そして、時間を見つけては、何日経っても姿を見せないパルキナ王を求めた。その行為が無駄だとは知らずに。


 王都において、パルキナの所在とその理由を知っている者は、大臣たちと王城の衛兵だけだった。彼らは、王の不在を伝えても不安にさせるだけだ、と事実を国民にひた隠していたのだ。しかし、それが国民の不安と不満を日に日に増大させていた。


 先に限界を迎えたのは不安だった。


「もしや、パルキナ様は連日の心労で、お体を壊されたのでは……」


 誰かが呟いたそれは、動揺の波に乗り、たちどころに王都中に広がった。しかも、それはいつの間にか、ただの推測から真実へと進化を遂げていた。


 そしてそれは、民衆が王城へ詰めかける騒ぎにまで発展した。


「パルキナ様の御容体はどうなのだ?」


 王城に詰めかけた民衆の一人が、騒ぎを静めるべく出てきた大臣たちに問いただした。


「パルキナ様は病気ではない」


「単なる噂に惑わされずに、準備を続けてもらいたい」


 スタルヒンとカレヴィの両名が完全に否定したことにより、人々は一応の落ち着きを取り戻した。


「それなら、パルキナ様はどこにおられる?」


 病気でないのなら、なぜ姿を見せない。それは当たり前の疑問だった。だが、大臣たちは答えられなかった。このような状況で、王の不在が公になれば騒乱が起こることは間違いない。だからといって、「ウソをつく」という安易な方法はこの二人にとって論外、選択肢にもなりえない愚かな方法だった。


「心配するな、パルキナ王は……、今もこの国のために尽力されておられる」


 返答に困った二人は、そう言葉を濁すしかなかった。いつも明晰な大臣たちの歯切れの悪さに、民衆の間にざわめきが起こった。


「この国のために、尽力……」


「……きっと、パルキナ様は城内で魔王を倒す作戦会議をしてるんだ」


「そうだ。パルキナ様は不敗の『戦神』だ。我々には想像もつかない、魔王を倒す作戦の準備をしておられるのだ」


 それは推測というよりただの願望に近かった。自分たちの不安を払拭するためだけの願い。幾人かが呟いた願いを、民衆は信じ、すがりついた。


 極度の焦慮と不安は、願いを、王への信頼を歪なカタチに変化させた。


──パルキナ様は、城内で、魔王を倒す秘策の準備をしている。戦神は魔王に勝つ!──


 薄弱な根拠から成り立つ盲信。それは信頼の域を逸脱し、信仰に属するものだった。そして、パルキナ王の名前にはそれほどの力があった。


 二人の大臣はこの機運を逃さなかった。


「諸君も魔王迎撃の準備を続けてほしい」


「戦神に協力してほしい」


 肯定はもちろん、否定することもなく、民衆のパルキナ王への信仰を利用したのだ。しかし数日後、彼らはこの選択を後悔することになる。


「そうだ、俺たちも戦神様に協力するぞーー!!」


「オオォーーー!!」


 その場しのぎの言葉だったが、想像以上の効果をもたらした。民衆の熱っぽい信仰に「戦神様のため」という油が加わり、一気に発火した。戦神信仰の炎は人から人へと燃え移り、瞬く間に王都を包み込んだ。


 戦神信仰は、民衆の不安を焼き尽くし、これまで以上の労働をもたらした。しかし、炎の勢いは強すぎた。避難を望み王都に来た避難民まで焼いてしまったのだ。避難計画など初めからなかったかのように、王都は戦い一色になりつつあった。


 その結果、魔王迎撃の準備は予定より早く終わりそうだった。そこでカレヴィは、王城の衛兵だけを残し、他の騎士を送り出した。王都と境界の森を繋ぐ街道付近の住人に避難命令を出し、そしてそれを手伝うために。


 戦神信仰が最悪のタイミング、最悪のカタチで破局を迎えるのは、その翌日のことだった。






 その日は、やけに避難民が多かった。しかも、その多くが王都と境界の森を繋ぐ街道付近の住人だった。


 騎士団が避難の手伝いに向かったことは知っていた。しかし、あまりの早さに王都の人々は驚いた。そしてその理由を知って怒りにふるえた。避難集団に対してではなく、大臣たちとパルキナ王に。


「数日前に、パルキナ王から『街道から避難せよ』と避難命令を受けた」


 彼らは口を揃えてそう言うのだ。


 ずっと、王城にいるはずのパルキナ王から……。避難民の彼らがウソをつく利点はない。となると、大臣の言葉がウソを……。


 正確に言えば、大臣たちはウソをついていない。「パルキナが城内にいる」とは一言も言っていないのだ。それは民衆が勝手に思い込んだことでしかなかった。だが、怒れる民衆にとってそんなことは、詭弁や詐術の類いと相違ないのである。


 さらに悪いことに、彼らの一部は、大急ぎで王都から離れるパルキナ王を見ていた。パルキナは魔王を止めるために境界の森へと急いでいたのだが、大臣たちがひた隠しにしたせいで、民衆はその事実を知らないのである。


 パルキナ王は王都にいない。大臣たちはウソをついた。王都から離れるパルキナ王。


 三つの最悪の食材に、不信と不安という名の最悪の調味料を加えた料理は、当然のように最悪のモノ──『パルキナ王は民を見捨てて逃げた』という、民衆が到底飲み込めないモノとなった。


 王城の一室で、戦神信仰の鎮静化の方法について議論していたカレヴィとスタルヒンのもとへ、先の避難集団の報が届けられた。


「しまった……」


 その報を受けたカレヴィとスタルヒンは、すぐに自らの過ちに気付き、青ざめた。


 パルキナ王は行きがけに避難命令を出していたのだ!


 普通であれば、間に合うかどうかも怪しいのに、まさか避難命令までお出しになっていたとは……大臣たちは頭の下がる思いだった。幼少期からそばにいたカレヴィですら、パルキナの器量を推し量れなかったのである。


 絶賛後悔中の大臣たちのもとへ、追加の後悔が舞い込んだ。重苦しい沈黙に彩られた室内に、大慌てで衛兵がとびこんできたのだ。


「民衆が武器を持って、王城に集まって来ます。城門で食い止めていますが、いつまで耐えれるかわかりません。姫様を連れてお逃げください!」


「早い、な……。わかった、お前はデイナ姫にお伝えしろ」


 カレヴィは衛兵が部屋を出ていくのを見届けたあとで、低くうなだれた。


「王の風聞だけでこの国は滅ぶかも知れんな……」


 それは決して大げさではなかった。今の王都では人の数も武器の数も、民衆の方が圧倒的に多いのである。


「ああ、パルキナ様の力は恐ろしい……。だが、そうも言っておられんだろう。パルキナ様が帰られるまでまだ数日はある。行くぞ、我らが何とかせねば……」


 そう答えたスタルヒンの表情も重かった。それでも二人は城門へと急いだ。


「何とか、か……、城門を突破されていない今なら、力ずくの制圧も可能だろうが……」


「それをするような国なら滅びた方が良い。対話しかないな……」


「そうだな。我らの力でどうにか出来るかわからんが、否定しなかった我らの罪。最悪の場合、罪人の俺に全ての責を負わせて処断してくれ」


「何バカなことを言っているんだ、カレヴィ! 我らの罪ならば処断されるべきも我ら二人のはず!」


「ならば、避難計画はどうする? 今さらお前の代わりを出来る者はいないだろう。それに俺はすでに独断専行の罪を犯している。刑の執行が少し早くなるだけのことだ」


「……いや、断る。私がお前の下風に立った、などウソでも言えん! それより、お前が真実を話せば落ち着くのではないか、『王の腰巾着』殿」


「フン、今さらそんなもの、言い訳にもなりはせ──」


 王城の玄関に着き、大扉を開けたとき、ふいにカレヴィの言葉は止まった。覚悟していたとはいえ、外の光景に言葉を失ったのだ。


 いつも開いている城門が閉ざされ、鉄格子の向こう側には民衆が殺到していた。男も女も、誰も彼もが武器を持ち、口々に何かを叫んでいる。わずかに残った理性で暴徒化だけは抑えているようだが、いつ爆発してもおかしくない。城門の内側にいる衛兵たちは、一応武器を構え戦闘体勢を取っているが、その顔には迷いと戸惑いの色しかなかった。


 民衆の怒りは大臣たちの予想を大きく越えていた。戦神信仰が大きかった分、裏切られた彼らの怒りもまた大きかったのだ。


 大扉が開いたことで、人々は二人の大臣に気が付いた。カレヴィとスタルヒンの姿に、民衆の声は大きさを増した。


「パルキナ王はどこにいる?」


「パルキナ王を出せ!」                                 


 それは、歴戦の勇将でもたじろぐほどの大合唱になった。それでも、二人は逃げるわけにはいかない。民衆の怒りと絶望と失望の音色を、全身に浴びながら進んだ。  


「皆の者、聞いてくれ!!」


カレヴィの言葉は、民衆の糾弾を圧して響き渡った。真実を知りたい気持ちと、鉄格子を隔ててるとはいえ、目の前まで来てくれた二人の大臣を信じたい気持ちとが、民衆を静かにさせた。


 二人は、鉄格子の前で慎重に言葉を選んだ。少しでも言葉を間違えれば、民衆は爆発する。それは共通の恐れだった。


「……まずは謝罪したい。先日の私の言葉には語弊があった。……皆も知っているように、パルキナ王は王都には、いない。魔王を──」


 魔王を討伐しに境界の森に向かったのだ。そう言おうとしたスタルヒンの言葉を怒声が遮った。


「パルキナ様は王城で魔王を倒す準備をしているというのはウソだったのかッ!?」


「パルキナ王が我らを見捨てて、一人で逃げたのかッ!?」


 民衆の怒りと不安が爆発したのだ。いくら言葉を選ぼうと、「パルキナが王都にいない」これが事実である以上無駄だった。このときの民衆にとって、何よりもパルキナ王が王都にいることが重要だった。戦神に守られている安心感が必要だった。


 もはや民衆との衝突は避けられない、と城門の内側の人々が諦めたかけた、そのとき、


「黙れッ!! 父上は民を見捨てて逃げるような人ではないッ!!」


 突然、雷のような怒号が頭上から降り注いだ。その場にいた全員が驚き、一斉に上を見る。王城のバルコニーにデイナ姫が立っていた。可愛らしい顔はいつもより赤く見える。それは親の悪口を言われた子供の怒りだったのかもしれない。


「そもそも父上には特効薬など必要なかったのだ! それをわざわざ魔王を怒らせてから国を捨てて逃げる、などするはずがない! それに魔界の方に逃げるバカがどこにいる!? 少しは冷静になれッ!!」 


 上から好き勝手に言う少女に、大人たちは誰一人言い返せなかった。


「王も大臣たちも必死になって計画し準備している。そして、魔王が来たならば命をかけて戦うだろう。それでも、魔王を倒せる保証はない。……だから、冷静になれ! 信仰などいらぬ、自らの意思で選択なさい!! 逃げたいのであれば、避難計画はスタルヒン大臣が準備されている。今からでも遅くはない、この国を出たい者は遠慮なくスタルヒン大臣に申し出よ! だが! この国のために、私と、パルキナ王と共に戦ってくれる者は迎撃の準備を完了させよ。王が戻る前にここを要塞とし、驚かせようぞッ!!」


 それどころか、その力強い姿に見惚れていた。次々と武器は手を離れ、からからと音を立てて地面を転がった。


「はっ、ははぁーー」


 民衆は思わずひれ伏していた。半瞬後、二人の大臣と衛兵たちが膝を折った。彼らは少女の中にパルキナの姿を見ていたのだ。荒々しい戦士パルキナと民を導くパルキナ王、その二つの姿を。


 あのお転婆だった姫様がなんとご立派に……カレヴィをはじめ、彼女を小さい時から──今も子供だが──知っている者たちは、目頭を熱くした。


 少女の言葉でこの国は救われたのだ。たった一人の負傷者も出すことなく。






 数日後、パルキナが多数の騎士と避難民を引き連れて王都に戻ったとき、そこは全盛期を越える要塞と化していた。

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