第5話 二人の王
「弓! 構えッ!! 魔王だけを狙え!」
パルキナの号令で、騎士たちは即座に弓を構えた。一斉に矢をつがえ、魔王を狙う。
殺意をみなぎらせた数万の敵を、魔王は全く意に介さなかった。そのふざけたお面で前が見えていないのか、と疑いたくなるほど平然とまっすぐ進む。その後ろから雪崩のように魔族の大軍が迫ってくる。
先頭の魔狼が魔王の横を通り過ぎようとした、そのとき、パルキナは剣を地面に突き刺し、叫んだ。
「今だッ!!」
すると、地面が光り輝き、剣を頂点に巨大な円形の魔方陣が浮かび上がった。内側には複雑な紋様と文字が書かれ、その中心には魔王。
「燃え尽きろッ!!」
パルキナの言葉と共に、魔方陣から巨大な火柱が立ちのぼった。魔王と魔族を呑み込み、炎は燃え上がる。同時に騎士団は一斉に矢を放った。騎士団の矢は魔力で強化されており、パルキナの炎では燃えないのである。
パルキナは交渉決裂に備えて、ワナを仕掛けていた。魔法陣を地面に描き、その前で魔王を待ち構えていた。そこに剣を刺したことで魔法陣は完成し、魔法が発動したのだ。
炎はまさに燎原の火の如く燃え広がり、魔王も魔族もその中で見えなくなった。轟々と燃え盛る炎と降りしきる矢の雨の中、無数の断末魔が響き渡る。
このまま押し切る! パルキナも騎士団も攻撃の手を緩めなかった。しかし、
「人の魔法とは、こんなものか」
突然、目の前から魔王の冷たい声がした。炎と戦闘の熱気で、火傷しそうなほど熱くなっていた騎士たちの身体が、一瞬で凍りついた。
次の瞬間、魔王が業火の中から現れた。そのローブには焦げも矢傷も、一つの汚れすらもなかった。
パルキナは弾かれたように剣を抜き、魔王に斬りかかる。
パルキナの剣は、無防備な魔王の頭部に直撃した。全力の一撃、確かな感触もある。だが、
「ウソ……だろ!?」
剣はそこで止まっていた。魔王のローブすら斬り裂けていない。いくら力を込めても剣はそこから動かない。
それでも魔王は止まらなかった。
「邪魔」
魔王は目の前に虫でも飛んでいるかのように呟いた。次の瞬間、ローブの手の辺りが隆起した。
気付いたとき、パルキナは吹き飛ばされていた。魔王の動きは見えていた。それなのに、わずかな殺意も敵意もないその行動に、彼は反応が遅れた。
パルキナは、後方の騎士団の隊列に激突して止まった。王のせいで隊列に混乱が生じ、弓矢が止まる。さらにパルキナが動いたことで魔方陣は崩壊し、炎は急激に勢いを失っていく。もうもうと立ち込める黒煙を突き破って魔族が現れた。
生き残った魔族軍が攻撃を再開したのだ。真っ黒に焼け焦げた平原を、仲間の屍を踏み越えて襲ってくる。
クソッ! ここまで強いとは……パルキナは後悔した。しかし、過去は変えられない。彼はすぐに頭を切り替えた。
「もう十分だ、撤退する。合図を送れ」
パルキナの命令を受けた騎士は、空に向かって矢を放った。赤い煙が尾を引くように空に描かれる。それに呼応し、騎士たちはありったけの煙玉を投げ込み、撤退用に控えていた馬車部隊が駆けて来る。
一瞬にして、戦場は白い煙に包まれた。魔族軍は攻撃を警戒し動きを止めた。その隙に、パルキナたちは馬車に乗り込み、撤退を開始した。
魔王は、一寸先も見えない戦場をただただ真っ直ぐ進んだ。逃げる人間を追うわけでもなく、変わらない速度で歩み続けた。
境界の森から王都へ向かう街道を陰気な集団が駆けていた。馬に乗っている人も馬車に乗っている人も、皆一様に暗い顔で王都へと急いでいた。その中にはパルキナも含まれていた。
想定通り事が進み、全員無事に撤退することができた。だが、魔王の力は想定外だった。無論、あの攻撃で魔王を倒せるとは思っていなかった。それでも、まさかかすり傷の一つも付けれないとは……。騎士たちの顔には深い絶望が張り付いていた。
撤退中の馬車内で、隊長がパルキナ王に詰め寄った。彼の部下が四人がかりで隊長を止めようとしたが、無駄だった。彼は魔王の力を目の当たりにして冷静さを失っていた。
「なぜです、パルキナ王! なぜ、魔王の提案を断ったのです?」
パルキナは王である。本来、このような行為は不敬罪にあたり、答える義務もない。王の威を振りかざし、「余に逆らうな」もしくは「黙れ」で済むことだった。
しかし、彼らの王はそうはしなかった。隊長の目を見て、静かに答えた。
「あれで良かったのだ」
それは負け惜しみではなかった。今、改めて考えてみて、パルキナはそう思っていた。
「どこがよいのですかッ!? 今さっき、あなたは魔王に負けた。いや、魔王はあなたを敵とも思っていなかった。だからこそ、あなたの怪我はそれほどまでに軽い」
隊長の悲痛な叫びは、馬車の外──全隊に響き渡った。魔王の攻撃が直撃したのに、パルキナの傷はかすり傷程度だった。
パルキナは、苦笑いを浮かべた。
「そうだな……、魔王があれほどまでに強いとはな……。だからこそ、だ──」
提案を断ったとき、ここまで考えていたわけではないが……とは言わずに、パルキナは説明をはじめた。
魔王が人間界に手を出さないでも、大量の魔族が人間界を襲うことになる。確かに魔王を相手にするより勝ち目はあるかもしれない。しかし、それはいつまで続く? 魔王が魔界に存在する限りいつまでも続くだろう。
だが、魔王が人間界に攻めて来たのであれば、魔王を倒せば終わる。魔族たちは、次の魔王を決める戦いに専念して、人間界には手を出さないだろう。良くも悪くも今の魔王は強大すぎる。そう簡単に次の魔王が決まるとも思えない。
だから、その間に我々は戦力を整える。出来れば魔界と和平を結びたいが、無理なら境界の森に防衛要塞を建設する。
それは、魔王を倒せることを前提に、推論を重ねた机上の空論と言われても仕方のないものだった。しかも、パルキナは一番肝心な部分を説明しなかったのである。魔王をどう倒すかということを。
「これしか人間界に平和を取り戻す方法はない」
それでもパルキナは、自信に満ちた表情で断言した。だが、内心ではそれほどの自信があったわけではない。身をもって魔王との圧倒的な力の差を感じた彼は、今も折れそうな心と必死に戦っている。王には作戦の成功率を上げるため、見せかけの自信も必要なのである。
「…………」
隊長たちは絶句した。
このような状況でも、パルキナ王はそこまでお考えになっていたとは……彼らはパルキナが「戦神」と呼ばれていたことを思い出していた。
「戦神」の自信に満ちた声と明確なビジョン──成功するかは置いといては、彼らの絶望に支配された思考を解放する希望の光になった。
「……ならば、デルニエの要塞都市で魔王を迎え撃つのですか?」
希望の光は、隊長に平静の鎧を装わせた。
そこは、デルニエの王城があった都市で、デルニエの誇った難攻不落の要塞でもある。そして、境界の森と王都のほぼ中間地点にあり、魔王が到達するまでに王都の兵力を移動する時間も十分にあった。
「そうですよ! パルキナ様も力ずくの攻略を諦めたあの要塞ならば、魔王とも戦えるはずです」
部下の一人が希望に満ちた目で王を見た。しかし──、
「いや」
パルキナは小さくかぶりを振った。
「当初の作戦通り、王都で迎え撃つ!」
パルキナの言葉は無形の鎚となり、ようやく取り戻した隊長の平静の鎧を粉々に打ち砕いた。
「なっ!? 王都!?」
王都もまた堅牢な要塞都市である。背面に険峻なナガラヤ山脈を背負い、三方を堅牢な城壁で囲まれた、人間界の中枢に恥じない頑強な造りの都市だった。だが、魔界から見ると、人間界の一番奥にあった。
魔王を人間界の一番奥まで引きずり込み、持てる最大の戦力で迎え撃つ。なるほど、それは一番勝算の高い作戦だ。しかし──。
「それでは魔王が真っ直ぐ王都に向かったとしてもいくつもの街や村が壊滅しますぞッ!? 魔界から王都まで無人の野が続いているわけではないのです! それに、魔王が寄り道すれば人間界の被害は途方もないものになる。いや、そもそも魔王が王都の場所を把握しているかもわからない。下手をすれば、人間界に残るのは王都だけになるやも知れんッ!!」
隊長のそれは、進言というよりも悲鳴に近かった。
「それでも、だ。我々は、王都にて全兵力をもって魔王を迎え撃つッ!! 異論はあるか」
「…………」
隊長を含め、その場の者は何も言えなかった。パルキナ王の覇気に呑み込まれていたのだ。
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