第4話 決断
王都は歓喜に包まれていた。全国民協力のもと、昼夜を徹して行われた病魔退治作戦のおかげで、王都から病魔の影を消し去ることに成功していたのである。各地にも次々と特効薬が届けられ、人間界から病魔の影がなくなるのも時間の問題だった。
特効薬の効果は絶大だった。一口飲むだけで熱は嘘みたいに下がり、軽症だった者は一日もあれば走り回れほど元気に。重症だった者も死の恐怖から解放された、衰弱した身体の回復には時間を要したが。
子供たちが元気になるにつれ、国には活気と笑い声が戻り、大人たちに活力と希望が戻った。約一年間肥大し続けていた暗雲は、わずか一ヶ月で影すらなくなった。
この頃になると、ほとんどの民が王から与えられた選択に決断を下していた。スタルヒンの予想通り、多くの民が王と共に戦う覚悟だった。当初、避難を考えていた人々も子供たちが回復すると、パルキナ王の英断を称賛し、共に戦う方を選んだのである。それでも、戦えない者、避難を決めた者たちはいた。そんな彼らの決断を誰も責めなかった。
王城の前の広場は、大勢の人で埋め尽くされていた。元患者とその保護者が王に感謝を伝えに集まっていたのだ。
「パルキナ王は……、戦いの準備で忙しいのだ。皆も戦いに備えて少しでも休んでくれ」
衛兵が説明しても、民衆が減ることはなかった。
「会えないのなら、せめて感謝だけでも伝えたい」
一人の保護者がその場でパルキナ王への感謝を叫んだ。すると、次々と歓声があがった。それから一日中、感謝と賛美の声が鳴り止むことはなかった。しかし、王は一度も姿を見せなかった。
このとき、すでにパルキナは王都にいなかった。特効薬と共に、魔界を偵察して部隊からの連絡があったのだ。魔界に異変アリ、と。
近いうちに来ると分かっていたが、いくらなんでも早すぎた。王都はまだ戦いの準備が終わっていなかった。それに戦える状況ではなかった。連日の作戦で騎士も民も疲労の極致にあった。
俺が魔王を止めなければ……。せめて、時間稼ぎだけでも……パルキナはたった一人で境界の森へと急いでいた。道中、立ち寄った街や村でも王都と同じように歓喜の嵐だったが、王はほとんど止まらなかった。
その日、境界の森周辺は快晴だった。魔界からの霧もなく、風もほとんど吹いていない、乗馬日和な穏やかな天候。
「やっと森が見えてきた。これなら間に合うか」
パルキナは呟くと、最後の一踏ん張りと速度を上げた。彼は十日かかる道のりを七日で走り抜けていた。最低限の休憩、馬の乗り換えに、パルキナの体力、それがこの驚異的な移動を実現させた。
パルキナは境界の森に到着して、早々に驚いた。
「なぜお前らがここに? 俺は休息を命じたはずだ!」
すでに周辺の騎士たちが集結していたのだ。パルキナは騎士の疲労を考え、「作戦終了次第、各自休息せよ」と命令していた。しかし、彼らは自主的に集まっていた。
「お待ちしておりました、パルキナ様。我らの任務は、魔族から民を守ることです。こんなときに休んではいられません」
隊長が馬上の王に敬礼した。
「…………」
パルキナは口実を探していた。わざと時間をかけて馬から降り、騎士たちを追い返す口実を探したが、見つからなかった。そうしている間に、副隊長に先手を打たれた。
「そう命令した王様が、王都からはるばる来てるんです。何を言っても説得力に欠けると思いますが」
確かに……パルキナは納得し、思わず目をみはった。すると、隊長が慌てて部下の言動を謝罪した。
「申し訳ございません。お前、パルキナ様に向かって何だその口の聞き方は!」
「いや、気にしなくていい……」
「そうですよ、偉い人は小さい事にいちいち目くじら立てないもんですよ。隊長も見習ってくださいね」
「調子に乗るんじゃない! お前はいつも一言多いのだ!」
「冗談ですよ、冗談。ほんと、隊長はすぐに怒るんだから。そんなんだから、お子さんにも嫌がられるんですよ」
「うるさい! 大きなお世話だ!!」
パルキナの前で、隊長と副隊長は言い合いを始めた。だが、隊員は誰も止めようとしない。それどころか、またか……、と呆れているようにも見えた。仕方なく、パルキナが止めることになった。
「オイ! そんなことより、魔王の動きはどうなっているんだ?」
隊長は、赤面しながらゴホンと咳払いしてから、説明をはじめた。
「偵察部隊の狼煙によりますと、魔族の大群が人間界に向かっているそうです。移動速度が変わっていなければ、約五時間後に人間界に現れるはずです」
「五時間か……。よし、作戦を伝える!!」
パルキナは境界の森の出口が見渡せるように、森から少し離れた平原に陣取った。整然と陣形を組む騎士団を後方に従え、魔王を待った。
やがて、静かな森から無数の足音が聞こえてきた。だんだん、だんだん音は大きくなっていく。それに比例して、騎士たちの緊張と士気が高まる。
そのとき、一体の魔族が森から現れた。巨大な狼のような魔族が。それを皮切りに続々と魔族たちが現れた。狼や猪のような獣型、カマキリやカブトムシのような昆虫型に、花や木のような植物型。その多くが人間界にも生息している生き物だが、魔界の彼らは人間界のそれより数倍大きかった。
このまま戦いになるかもしれない……騎士たちはその覚悟でパルキナ王の命令を待った。
しかし、魔族たちは人間が動かないのを見ると襲ってこなかった。それどころか、騎士団と同じように整然と列をなし、何かを待っているようだった。
両軍が平原で睨み合った。騎士団の兵力は約五万、魔族の方はそれの半分以下だった。それでも、異種族間の連携がないはずの魔族が隊列を組む姿は、騎士たちの心胆を寒くした。彼らはただの魔族の大群ではなく、魔族軍と呼ぶにふさわしかった。
突然、魔族軍の隊列が二つに別れた。境界の森からパルキナまで一本の道ができた。
そして、一体の魔族が森から現れた。小柄な人間のような姿、黒いローブで頭から足元まで覆い隠し、顔の位置には子供の落書きのような目と口が書かれた仮面があった。
パルキナは、寒い冗談みたいな存在に震えが止まらなかった。パルキナだけではなく、騎士も魔族までもが残らず震えている。理性ではなく本能が感じ取っていた。あれが「魔王」だ、と。
今の人間界に魔王の姿を見た者はいない。それでも一目で「魔王」と分かるほどに、圧倒的な存在。
魔王は、魔族の隊列の一番前まで滑るように進むと、そこで止まった。人間の反応を待っているようだった。
騎士たちは震えが止まらなかった。魔族軍よりも、魔王の単体の方が恐ろしかった。パルキナ王を、国民を絶対に守る、と死をも辞さない覚悟があったはずなのに、今すぐ逃げ出したい、という思いに駆られていた。しかし、足が動かない。
恐怖に包まれ一歩も動けない騎士団の中、一人の男が魔王に向かって歩を進めた。パルキナ王だ。彼のその堂々とした一歩一歩が、騎士たちに勇気を与えた。自然と騎士たちの震えは止まり、武器を握る手にも力が戻る。
パルキナ王は魔王の前に深々と頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、魔界の王。人間界の王でございます。こたびは貴公の領土から、花を持ち去ったことをお詫びいたします。我が民を救うためとはいえ、許されざる行為。どうか、我が首で許していただけないか?」
パルキナ王の覚悟を知らなかった騎士たちは騒然とした。だが、魔王の言葉はそれを凌駕するものであった。
「ならぬ。五百年の盟約は破られ、この世界は一つになったのだ」
内容ではなく魔王の声自体に身震いした。ふざけた仮面からは想像できない、ゾッとするような低く冷たい声。だが、悪意や敵意は感じられなかった。
「『魔神』様だったら、少しくらい大目に見てくれてもいいんじゃねーの?」
副隊長は顔を強張らせたまま、精一杯の減らず口を叩いた。返事など期待していない、張りつめた空気を少しでも和らげようとした、そのためだけの言葉だったが、意外にも返答があった。
「我はそなたらの神ではない。……だが、いいだろう。花も人も王も同じ命、そなたらが我の世界から奪った命の数だけ、そなたらの命を渡せ。さすれば、我は手を出さぬ」
魔王はゾッとする声で寛大な提案をした。
パルキナは狼狽えた、魔王の真意が分からない提案に。一瞬、「ワナ」の二文字が頭をよぎった。しかし、力で支配する魔王がそんな小細工を弄するとも思えない。ならば……。
採取した花がどれほど多くとも、魔王との戦いで失われる命より多いことは考えられない。なにより騎士だけでなく、民間人にも多大な被害が出る。天秤にかけるまでもない。国のことを考えるのであれば、王であれば迷わずに受け入れるべきだ。だが──。
パルキナは答えられなかった。すると、一人の騎士が声をあげた。
「私の命をお使いください」
その声に呼応するように、次々と声があがった。その姿はパルキナ王が理想としてた騎士団の姿だった。
「特別にここにいる者の命だけで許してやろう。どうする? 人の王よ」
魔王は低く冷たく笑った、ようにパルキナには聞こえた。王ならば選択すべき道が分かるだろう、と言われている気がした。
パルキナは覚悟を決めた。立ち上がり、大きく息を吸い込むと、叫んだ。
「すまない、皆の者! 君たちは、理想の騎士だ、この国の誇りだ──」
尊敬するパルキナ王の言葉に、騎士たちは涙した。王をお守りできなかったが、我らの犠牲で国民は守れる。それだけで十分と思えた。
「だが俺は、理想の王にはなれない──」
しかし、パルキナにはそれができなかったのである。彼の本質は、為政者ではなく戦士。しかも苛烈な部類の。自らの犠牲は厭わないが、部下の犠牲を許せなかった。
騎士たちは唖然とした。パルキナ王の言葉の意味を理解できなかったのだ。
「魔王殿、貴公のご寛容な提案には感謝するが、提案は飲めない。悪いな」
パルキナは長剣を抜き、魔王に突き付けた。二人の距離は剣の届く距離ではない。だが、
「ウォォォォオオーーー!!」
その行動に、騎士たちは一斉に雄叫びをあげた。その凄まじい雄叫びは、大地を揺るがした。
「そうか、我に挑むのか……」
魔王は何の感情も籠っていない声で、ただただ事実を確認するように呟いた。その声は騒音の中、その場にいた全員の耳に届いた。それからただ一言、許可する、と魔族に命令を下した。そして、自身も動き出した。
「オォォォォオオオーーーッ!!」
魔族軍は、待ってました、と言わんばかりに吼えた。そして、騎士団に向かって猛然と突進した。
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