第3話 選択

 短い休憩ののち、会議は再開された。一人遅れていることに、賛成派の大臣から抗議があったが、大事な会議に遅れる方が悪い、と待たずに再開された。


 会議室は未だに陰鬱な空気に支配されたままだった。休憩前と同じように、皆が神妙な面持ちで一言も発しない。休憩が生んだのは、新たな遅刻者だけのように思われた。


「キキ殿に質問があるのですが、いいですかな?」


 賛成派の財務大臣が沈黙を破った。彼は、このまま沈黙が続けば会議は終わってしまう、と危惧していた。


「はい、なんでしょう」


 小さな妖精は、淀んだ雰囲気を少しでもマシにしようと、明るく答えた。


「例の花は、魔界では一般的に咲いているものなのですか?」


「そうですね。今では栽培法も確立されています。ですから、人間界で数輪見つかれば──」


 彼はキキの言葉を遮り、身を乗り出して質問した。


「ならばそのような雑草、採取したところで魔王が怒らない可能性もあるのでは?」


 反対派の司法大臣が机を勢いよく叩き、立ち上がった。


「何をバカなことを! これは、想定外でした、で謝って済む問題ではないのだぞ!!」


「バカとはなんだ! そうおっしゃるのであれば、何か賢いお考えをお聞かせ願いますか?」


 財務大臣は怒ったふりをしながら、心の中では笑っていた。子供じみた方法だが、これで時間を稼げる、と。


 しかし、司法大臣が何か言おうと口を開いた。その瞬間、会議室のドアが勢いよく開かれた。新たな遅刻者のスタルヒンだった。彼は入室するやいなや叫んだ。


「誰の命令だッ!!」


 会議室の面々は突然の怒号に驚き、全員が入り口に立つ国防大臣を見た。スタルヒンは「誰」と言いながら、怒気を纏った視線で軍務大臣を睨んでいた。カレヴィはその視線を真っ正面から受け止め、冷然と返した。 


「何が、だ?」


 スタルヒンの怒りが爆発した。


「とぼけるなッ!! 騎士が境界の森に向かったと聞いたぞ!」


 スタルヒンは会議の前に、発見者の騎士から詳しい情報を聞こうと会いに行った。しかし、騎士はいなかった。すでに出発した後だったのだ。


 会議室にざわめきが生じた。反対派にとっては寝耳に水の出来事で、賛成派にとっては発覚が早すぎた。今すぐ追えば、境界の森に着く前に騎士を止めることも可能である。だが、カレヴィは平然としていた。


「……思ったより早かったな」


 と、呟き立ち上がった。そして、ゆっくりとパルキナの前に歩みより、深々と膝を折った。


「国防大臣の仰った事は、全て私の命令。独断専行の責、我が命を持って償う所存」


 この状況にそぐわない、だが勇将にふさわしい堂々とした態度。パルキナ王は冷たい表情で黙って見ていた。


「一人の首で何が解決するッ!?」


「バカなことを! 今すぐ命令を撤回──」


 口を開かない王の代わりに、反対派の大臣たちは口々に糾弾する。が、カレヴィは意に介さなかった。


「命令とあれば、私が今すぐに騎士を止めに向かいます。ですが、貴方の、戦士パルキナの目指した道はどこです?」


 その言葉はパルキナの内なる戦いに大きな影響を与えた。そしてそれを、その場に居る全員が感じ取った。パルキナは不敵な笑みを浮かべていた。それは王になってからは見せることのなかった顔。


「私、いや、俺の目指すものは平和だ」


 椅子から立ち上がり、そう応えたパルキナは、王ではなく戦士だった。先程、一瞬見せた戦士の覇気が、今は全身から迸っていた。親としての愛情に戦士パルキナが加勢し、一気に王としての信念を叩き潰したのである。


「今日の平和は、多くの屍で築き上げた平和だ。これから先も必要とあらば血にまみれる覚悟もある。だが、子供たちの屍で築き上げられた平和など断じてない認めんッ!!」


 大臣たちの目には、パルキナの言葉と一挙手一投足が会議室を支配していた陰鬱な空気を吹き飛ばし、代わりに輝かしい覇気がどんどん広がっていくように見えた。


「カレヴィ! お前の罪科は全て終わってからとする」


「ハッ」


 カレヴィは、下を向いたまま応えた。が、その顔は喜びに満ちていた。彼の予測通り、パルキナの中の戦士はまだ死んでいなかった。


「魔界の花を採取に行く! 全軍に通達し準備しろ!」


「軍務大臣の命で、すでに準備を開始しています」


 賛成派の大臣たちが興奮を抑えられない様子で応えた。


「よし! 魔王が気付く前に全てを終わらせる。騎士も民も、動ける全ての者に協力してもらう。一秒でも早く病魔を撃退し、魔王との戦争に備えるぞッ!」


「ハッ」


 反対派の大臣たちは反論できなかった。彼らもパルキナの覇気に当てられ、たぎる血を抑えられなかったのだ。


 それからは早かった。パルキナは本来の気質を取り戻し、迅速果断、次々と命令を飛ばした。


 花を採取してからは時間との戦いになる。特効薬は現地で作り、各地に届ける。研究班に通達し、必要な物を揃えろ。各地に兵を派遣し、正確な病人の数の把握と戦いの準備をさせろ。魔界の偵察も怠るな、何か動きがあればすぐに俺に伝えろ。俺に従わなかった戦士たちにも招集をかけろ。五大国の元隊長たちには、お前たちが直接会いに行ってくれ。


「残りの者は王都にて、魔王迎撃の準備に取りかかれ!」


 パルキナの号令で大臣たちは飛ぶように会議室を後にした。パルキナは一人残った小さな妖精に陳謝した。


「キキ殿、申し訳ないが魔王と一戦交えることにした。これは人間界の問題だ、貴女方はどこか安全な場所に避難できるよう手配します」


「ありがとうございます。それを望む者にはそうなさって下さい。ですが、私は研究班と一緒に森に向かいます」


「なっ!?」


「私はこれでも人間界の一員だと思っています。それに、人間界であの花を栽培するには、私の力が不可欠デショ?」


 そう言うと、彼女はいたずらっぽくニッと笑い、窓から飛び去った。




 パルキナの命令は大臣たちを通じ、各所に伝えられた。あらかじめ準備していた騎士たちから順に、次々と王都を出発し、夜明け前にはほぼ全軍が出発した。


 明け方、多くの人々が王城前の広場に詰めかけていた。夜明け前、事前通告なし、大軍の出撃。パルキナ王の治世になってから初めての出来事に、人々は青ざめた顔で説明を求めていた。


 急遽、パルキナは民衆に全てを説明することにした。


「皆の者、通告無しの出撃、驚かしてしまってすまない」


 パルキナ王にいつものような熱量はなかった。だからと言って、落ち込んでいる様子でも、聴衆の反応を窺っている様子もなく、ただ淡々としていた。


「昨日、騎士から報告があった。例の花が咲く花畑を発見した、と」


 民衆は歓声をあげた。不安が驚きと喜びに変わり、抱き合い、笑い合った。今、この国で起こっていることを鑑みれば、致し方ないことであった。だが、後に続く王の言葉を知っている者は、民の姿を直視できなかった。


「しかし、その場所は魔界であった……」


 予想通り、王の言葉は民衆を絶望に叩き落とした。人々は、最後まで聞かずに喜んだ自らのうかつさと、わざわざそれを説明した王を呪った。皆一様に青ざめた顔をして、王を見つめていた。驚愕、絶望、憤怒、ありとあらゆる負の感情を煮詰めたような視線に、パルキナは罪悪感を抱いた。それでも、淡々と話した。


「……俺は魔界から採取してくるよう命じた。昨夜の出撃はこのためだ。これから、魔界との戦争になる。皆には協力を頼みたい」


 いきなり突き付けられた「魔界との戦争」という衝撃に、人々の思考は停止した。目を見開き、王を見つめる。その視線には驚愕しか残っていなかった。


「この国から避難したい者は、スタルヒン大臣に申し出ろ。騎士の中にも避難したいと言った者たちがいる。その者たちと共にナガラヤ山脈を越え、西の果て、未開の土地に避難しろ」


 戦うか避難か、選択肢を与えられたことによって、人々の思考は再開した。人々は視線を王から外し、青ざめた顔を寄せ合い、真剣に話し合った。


 ざわめきが広がっていく。


 この避難計画はスタルヒンの発案だった。彼自身は魔王と戦う覚悟を決めていたが、「いくらパルキナ王の命令でも魔王とは戦えない」と一部の騎士に懇願されていた。そのとき、彼は危惧を抱き、王に直談判したのである。


「パルキナ様、選択肢を用意するべきです。騎士であっても魔王と戦えない者がいるのです。民ならばなおさらです。民に戦いを強制すれば、勝ったとしても王への不満は溜まり、この国に混乱をもたらすでしょう。ですから、戦うか避難か選択肢をお与えください。この国の民ならば、多くの者が戦うことを選択してくれるでしょう」


「そこまでは考えが至らなかった。感謝する。だが、どこに避難する? 流民たちの避難先を思案していたのだが……」


 思い当たらなかった、とパルキナは小さく首を振った。魔界との戦争、人間界に安全を保障できる場所はなかった。


「私が魔族と戦えない者たちを連れて、ナガラヤ山脈の向こう側へ避難します」


 ナガラヤ山脈は、人間界の西端にある王都よりさらに西にある険峻な山脈である。延々と連なるナガラヤ山脈は人間界を縦断しており、その向こう側は人類が進出していない未開の土地だった。


「西の果てか……。一時的な避難ではないのだな」


 パルキナの表情が少し曇った。彼は一時的な避難を考えていたのだった。


「はい。魔王を倒せたとして、魔族との戦いは恒久的に続くでしょう。それから逃れる術はこれしかありません。それに、あの山脈は簡単に越えられる代物ではないのです」


「たしかに、魔族も山の向こうには手を出さないだろう。しかし、辿り着いても定着できる土地があるのかわからない」


「私は一度、調査でナガラヤ山脈を越えています。寒地でしたが、定着は可能かと」


「そうか、詳細は任せる。必要な物資は遠慮なく持って行ってくれ」


「ありがとうございます……」


 スタルヒンはお礼を言った後、忠告するべきか迷っていた。が、実際に王の力に当てられた彼は言うことにした。


「……要らぬ御世話かも知れませぬが、最後に一つ。民衆に選択を求めるのであれば、気を静めた方が良いでしょう。あなたの言葉には、逆らいがたい力があります。ただでさえ、人は楽な道、決められた道を好むものです。そこにあなたの力が加われば、人々は考えるのを放棄するでしょう」


 パルキナはこの忠告に従い、覇気を自制するように努めていた。


 そのせいもあって、民衆のざわめきは動揺に変化し、さらに暴動に発展しそうになった。そのとき、 


「まずは可及的すみやかに病魔を退治する! これには全員協力してもらう! 詳細は後程伝える、それまで自宅で待機せよ!」


 パルキナはこれまで抑えていた覇気を解放した。人々の落ち着きを取り戻し、大人しく家路に着いた。


 驚愕のニュースは、各地に派遣された騎士たちによって、瞬く間に、国中に広がった。


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