第2話 会議
人間界の西端に位置する王都。パルキナは昼食を終え、王城の執務室で座り心地の良い椅子に座っていた。簡素だが質の良い調度品で揃えられた居心地良い部屋。いつもならそこで、未だに慣れない執務と戦っていた。だが、今日は戦いにすらなっていなかった。
「くそっ! どうする? どうするっ!?」
パルキナは立ち上がり、執務室の中をぐるぐると歩き回った。この数時間、立ち上がる、歩き回る、座る、このサイクルを幾度となく繰り返していた。
今日の昼食のときだった。
パルキナは執務室で昼食を取っていた。机の上に弁当箱を出し、サンドイッチを片手に書類に目を通す。
別に珍しいことではなかった。いつも多忙なパルキナは、昼食を忘れることも多く、それを心配したコックが弁当を作ってくれていた。作業しながらでも食べれるように、と一国の王にしては貧相なメニュー。それでも、味と栄養価はきちんと考えられていた。
最後の一口を済ませ、承認の判を押そうとしたとき、部屋の扉が勢いよく開けられた。そこには、騎士が立っていた。
「パルキナ様ッ!!」
パルキナは、『承認』の判が歪んだことに少し不機嫌に応えた。
「……なんだ?」
よく見ると、騎士はボロボロで息も絶え絶えだった。襲われたような風体だったが、勢いよく話し出した。
「……光る花を見つけました、特効薬の花畑を見つけました!」
「なに!? どこだッ!?」
パルキナは驚きのあまり、机を叩き立ち上がった。衝撃で空になった弁当箱が机から落ち、書類の山がぐらぐらと揺れる。
「それが……、魔界なのです……」
騎士はばつが悪そうに下を向いた。
「魔界……だと……!?」
パルキナは愕然とし、後ろに倒れるように椅子に座った。もし、椅子がなければ倒れていただろう。そして虚ろなまま、騎士の説明を聞いた。
数日前、任務中に遭難し、偶然、魔界で光る花畑を見つけた。そこには国民全員を救えるだけの花が咲いていた。そして、近くの境界の森の中にも一輪だけ咲いていた。捜索隊も合流して探したが、他には見つからなかった。そこでその一輪だけを、王都まで急いで持ってきた。先程、研究者に確認したところ、原料の花で間違いなかった。
「騎士団は全ての任務を中断し、今も境界の森の中を捜索しています。御命令があれば、すぐにでも魔界での花の採取を開始できます」
説明を終え、命令を待っている騎士にパルキナは、
「そうか、ご苦労だった。少し休め」
と、いつもの癖で淡々とそう言った。飛んで帰って花の採取を開始する気でいた騎士は、少し不満そうに退室した。
扉の閉まる微弱な振動で、書類の山が限界点を越え、ドサッと音を立てて落ちた。その音でパルキナはハッと我に返り、勢いよく立ち上がった。
「どうするッ!?」
こうして一回目のサイクルが始まった。それからずっと空虚なサイクルを続けていた。
パルキナはドスンと座り、何十回目のサイクルを終わらせた。
たった一輪では、病人全員を救うことは到底不可能だ。栽培……だめだ、魔界でしか育たないのかも知れないし、何より時間がかかる。
「なぜよりによって魔界なのだ!!」
パルキナは机を叩き立ち上がった。そして、ぐるぐると歩き回りながら、ぶつぶつと考えを巡らせた。
新たな治療法の研究は遅々として進まない……。採取するべきか。魔界は魔王の領土。そこから花を採ることは、魔王の怒りを買う。たかが花、だが魔王は許さないだろう。最悪……、いや、確実に魔界との戦争になる。数や連携の面では我らの方が勝っているはず。だが個の力は……、人間にとって一体の魔族でも脅威だ。特に伝説の魔王。あれに私は勝てるのか……。しかし、こうしている間にも民もあの子も苦しんでいる。いざとなれば、私が秘術で……。
「クソッ! どうする? ……そうだ」
一人で考えていても埒が明かない、とすぐに大臣たちを集め、緊急の議会を開くことにした。パルキナはようやく空虚なサイクルから抜け出せた。
パルキナ王の命令で、十人の大臣と流民魔族の代表が王城の会議室に集められた。この時点で緊急招集の理由を知っている者は限られていた。それでも、皆、例の病気に関することだ、と推測し、大慌てで駆けつけていた。
最後に、軍務大臣カレヴィが遅れて入室すると、すぐにパルキナ王はこの会議の目的を説明した。それはすなわち、
一部の民を救うために魔界と戦争するのか。それとも、人間界を守るために一部の民を見捨てるのか。
ということだった。
予想通りとはいえ予想外の二択に会議室は重い沈黙に支配された。どちらを選んでも生じる重すぎる責任に、誰も何も言えなかった。大臣たちは大半が既婚者だった。子供か孫かの差はあれども、家族の心配をしていたし、実際に家族が罹患している者もいた。それゆえ、魔界との戦争を提言できないでいた。
「考えるまでもない。魔界であろうと、今すぐに採取するべきだ!」
力強い声が沈黙を破った。
それは遅れてきた軍務大臣カレヴィのものだった。彼は、パルキナ王の最初の部下で、パルキナと共に幾度となく死線を潜り抜けた勇将である。この場で最年少でありながら、パルキナの右腕として申し分のない実績と能力を示していた。そして、彼は数少ない独身だった。
多くの大臣がこの独身者の意見を称賛し、気兼ねなく賛同した。常日頃、『パルキナ王の腰巾着』と彼を見下していた者でさえ。
しかし、流民代表の魔族はすぐに猛反対した。
「絶対にいけません。魔族が人間界を襲わないのは魔神様に止められているからなのです。ですが、魔神様のお怒りを買えば、魔神様も魔族も人間界を襲い、この世界は滅ぼされます」
彼女はキキ、小さな身体に小さな羽根を持つ妖精である。争いを好まないキキは、いち早く魔界を出て人間界で暮らしていた。薬草や薬に詳しかった彼女は、人間界の医学を飛躍的に進化させ、人間にも信頼されていた。特効薬も彼女の一族が発見した薬であった。
「そうです。デルニエの烈火王でも、魔界には手を出さなかった。境界の森の巡回も、人間を魔界に行かせないためなのです」
デルニエ出身の国防大臣スタルヒンも妖精に加勢した。人間界で唯一、魔界と接点のある地域の言葉と、魔界の実情を知る魔族の言葉は無視できない重みがあった。カレヴィに賛同していた者たちにも迷いが生じた。
「新たな治療法の開発に期待できない以上、このままでは病人は増える一方だ。この国は滅びますぞ!?」
それでも採取を貫いた者たちが、口々に反論してきた。
「この病気で国は滅びません。この病気は他者への感染はないですし、発症する子供も限られています。発症率は二割から三割程度で、大半の子供は発症しません」
この病気に一番詳しいキキが答えた。この病気は現在の魔界では珍しいが、五百年ほど前に魔界で大流行していた。そのときも病気が原因で滅んだ種族はいなかった。
「俺は神や聖人ではない。だから敢えて言うが、命の価値が平等だと思わない。我々、大人よりも二割の子供の方が遥かに大切だ。子供たちこそ国の未来だ!」
カレヴィは立ち上がり、感情的に叫んだ。スタルヒンも負けじと立ち上がる。
「だが、魔界との戦争になれば何万人の命が犠牲になる? それに敗ければ、魔王がこの世界の王になればどうなる? 魔族が跋扈する弱肉強食の世界で、人類が、子供がどれほど生き残れる!?」
議会は紛糾し、何時間にも及んだ。そして、大臣たちの結論は二つに別れた。カレヴィを主とする採取賛成派の「未知数の魔王による脅威より、今まさに直面している病気による脅威の方が優先されるべき」と、キキとスタルヒンを主とする採取反対派の「病人には悪いが、人間界全体の事を優先するべき」に。
採取賛成七、採取反対四で、賛成派の方が多数だった。しかし、そんなことは関係ない。全ての決定権はパルキナ王にあり、大臣たちの結論は意見にしか過ぎない。普段であれば、大臣たちは結論に至ることもなかった。一通りの意見が出された後、すぐにパルキナ王が決断を下すからだ。
しかし、今回はそうではなかった。決断はおろか最初の言葉以外、パルキナ王は一言も発しなかった。沈重な面持ちで互いの論議を聞いているだけだった。
「パルキナ様はどうされたのだ? 昔なら即断されていたものを……」
結論が出ても何も言わない王に、カレヴィがぽつりと呟いた。それはパルキナ自身が痛感していることだった。王として数年、今までは私心を排除した公平性の天秤で判断してきた。だが、今回はそうはいかなかった。戦士のときならば、即断できたものを、とパルキナは心の中で愚痴った。
「……ならばせめて、今ある一輪で姫様だけでも治すべきだ」
業を煮やしたカレヴィは新たな提言をした。キキやスタルヒンを含めた全員がその意見には賛成した。しかし、
「だめだ。軽症のあの子を特別扱いするわけにはいかぬ」
パルキナ王だけは反対した。親としては言われるまでもなく、そうしたかった。でも、できなかった。上に立つ者は公平でなければならない、というパルキナの信念が邪魔をしていたのだ。それにあの子もそれを望むような性格ではない、とパルキナは思っていた。そして、それは思い過ごしではなく事実だった。
カレヴィはこの会議の前に、自室で寝込んでいるデイナ姫にこのことを提案し、
「おじ様のお気持ちは嬉しいのですが、私だけ特別扱いされるわけにはいきません」
と毅然とした態度で断られていた。熱に苦しんでいるはずの、まだ年端も行かぬ少女のその対応に、カレヴィはそれ以上何も言えなかった。この親子の姿勢は尊敬すべきものだったが、このときばかりは煩わしかった。
だからこそ、カレヴィはパルキナに食い下がった。
「ですが、デイナ姫は唯一の正統後継者です」
パルキナ王が未だ少壮なことを鑑みれば、新たな後継者の誕生は期待できた。しかし、彼らの王は王妃を失ってから、新しい王妃を迎える気はなさそうだった。したがって、姫は国にとって特別な存在だった。
「もしものことが──」
そこで、カレヴィの言葉が止まった。パルキナがもの凄い形相で睨んでいたのだ。怒りではなく苛立ちが、カレヴィの一言で表面化したのだった。彼がそこまで苛立つ理由は、愛娘が病気にかかり、王としての公平性の天秤が正常に働かなくなっていたからであった。パルキナの中で、王としての信念と親としての愛情が取っ組み合いの喧嘩をしていたのだった。
すぐにパルキナは元の表情に戻ったが、場は静まり返ったままだった。久しぶりに見せた覇気の迸る王の眼光に気圧されて、誰も何も言えなくなっていた。
「しばらく、休憩にしよう」
無言の会議を見かねたパルキナ王の言葉で、会議は一旦休憩になった。皆、沈んだ顔でぞろぞろと会議室を後にした。
だが、カレヴィだけは動かなかった。凍りついたように王の席を見つめていた。賛成派の大臣たちから、どう王を説得するのか? と訪ねられ、彼はようやく動き出した。
「……私に考えがある」
「なんと! どのような?」
カレヴィは賛成派の面々を見やると、静かに作戦を話した。
「そのようなことをすれば、いくら貴方でも……」
賛成派の大臣たちは愕然とした。そして、考え直すよう説得しようとカレヴィを見たとき、無駄だと悟った。
「本気なのですね?」
「ああ」
「では、我らは何をすれば?」
「すまない。まず──」
その間も民は病魔に苦しんでいた。
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