第7話

 ナギサは浜辺から立ち去り、昨日と同様、徒歩と路線バスで島内を散策した。

 島の名物である椿が、所々に咲いていた。この時期は、島中で椿の催し物が開かれているほどだ。

 ナギサは大きな公園に寄り、椿園を歩いた。まだ風は冷たいが、陽射しは少し暖かい。過去より、この赤い花を眺めると、春先だと感じる。新しい季節の訪れに、胸が膨らむ。

 もし、島に残っていたなら――役所の事務員だと漠然と考えていたが、観光業に就いていた可能性もある。公園の物販会場で売られている椿油やくさや、牛乳煎餅等の特産品を見て、ナギサはふと思った。

 カスミとこの島で、こじんまりとした生活を続けられただろうか。

 かつて願った未来を、現在は想像できなかった。やはり、カスミの夢を否定できない。それに、ふたりで島を出た以上は、現在という結果から後戻りもできなかった。たとえ、想像であろうとも。


 入学試験の末、ナギサは経済学部、カスミは社会学部に、それぞれ大学進学が決定した。

 ただし、学校は違った。ナギサの学校の方が偏差値と知名度は高い。

 ナギサは七歳からの学生生活で、十九歳にして初めてカスミと学校が分かれた。あの時、浜辺で話し合った結果なので、仕方なかった。

 だが、都心に位置するふたりの学校は近かった。実家の経済的都合もあり、2LDLの賃貸マンションにふたりで下宿することになった。

 カスミと一緒の生活をまだ送れることに、ナギサはとても喜んだ。

 こうして、ふたりで島を出た。


 しかし、都心での新しい生活はナギサの思っていたものと違った。

 一日の予定がそれぞれ独立したため、登校時間も帰宅時間もカスミと滅多に重ならなかった。同じ屋根の下で暮らしているというのに、カスミと接する時間が目に見えて減った。

 ナギサは、ホームシックにでも陥ればカスミに構って貰えると思うこともあった。だが、最初は戸惑いこそしたものの、新しい生活に驚くほど早く順応した。

 日中は学校に通い、夕刻からは書店へアルバイトに向かう。それを基本とし、学校でもアルバイト先でも交友関係を大切にした。外交的なカスミを、長年見てきたからであった。新しい出会いには、立ち振る舞いを意識するようになっていた。

 大学生として充実した生活を送れていると、ナギサは思った。憧れていた双子の姉に、ようやく近づけたのに――カスミとはすれ違い、どんどん遠ざかるような気がした。


「ただいま!」

「ナギサちゃん、おかえりー。晩ご飯、出来てるよー」


 だが、カスミと小まめに連絡を取り合い、可能な限り朝晩は食事を共にした。カスミが食事を準備して帰宅を迎えてくれた時は、特に嬉しかった。

 料理だけでなく、姉妹の共同生活で家事の当番は特に決めていない。各々が気づいたことに手をつける。それだけで、喧嘩も無く回っていた。

 確かにカスミと接する時間は減ったが、双子としての繋がりを、ナギサはしっかり感じていた。常にナギサが隣に居て手を繋いでいる感覚は、消えることが無かった。

 しかし、大学一回生の十一月――新しい生活がすっかり馴染んだ頃だった。


「ナギサちゃん、どう? 可愛いでしょ?」


 帰宅したカスミを見て、ナギサは目を疑った。

 カスミが毛髪を切り、髪型を大幅に変更したのであった。

 物心ついた頃から現在まで、ナギサとカスミは同じ髪型だった。ふたりで話し合い、約束したわけではない。同じであることが、双子の間で『自然』だったのだ。

 それが崩れ去り、ナギサはひどく驚いた。


「はい……。似合ってます」


 どうして!? 問い詰めたいところだが、カスミから悪意が伝わらないので、ナギサはかろうじて冷静で居られた。


「でしょ? あたしもたまにはさー、イメチェンしようかなって」


 リビングの姿見鏡の前で、カスミは上機嫌にしていた。

 学校だけではない。自分の意思で容姿も離れようとしていることを、ナギサは感じた。

 だが、いくら遠ざかろうとも、双子としての感覚は確かにある。それだけが、心の支えだった。

 いや、最早それだけで充分だったのだ。

 だから、カスミの意思を尊重して、受け入れた。高校を卒業して、島を出た現在――ナギサもまた、ひとりの人間おとなとして自立しなければいけないと、頭のどこかで理解していた。


「ねえ。合コンあるんだけど、ナギサちゃんもいかない?」


 それからしばらくして、カスミから誘われた。

 ナギサとしては、その手の行事が苦手であり、これまで誘われても断っていた。だが、島を出てからはカスミのようになりたい一心で、多くの人間と初対面から知り合ってきた。彼らと談笑を交えながら食事をしたことは、何度もある。これまでの経験が、自信となっていた。


「いいですね。いきましょう」


 それに、カスミのことが心配だったので、見守る意味で頷いた。十九歳という年齢では――少なくともナギサは、酒に対して未知ゆえの恐怖があった。もし誰かがカスミに飲ませようとすれば、絶対に止めないといけない。

 保護者のつもりで、カスミに付き添った。


「この子、あたしの双子のナギサちゃん」

「初めまして。姉がいつもお世話になっています」

「えへへー。ヤバいぐらいそっくりでしょ? 凄くない?」


 まずは、カスミの知り合いに紹介された。その後、参加者が全員揃ってからも、カスミは得意げだった。


「うわー。本当にそっくりだね」

「髪型まで同じだったら、区別つかなかったかも」

「性格とか好きな食べ物まで同じなの?」


 十人ほどの席で、ナギサはカスミと共に最も注目を浴びた。

 珍しがられることは、懐かしかった。もし大学も同じ学校なら、このように囲まれていただろう。

 ナギサとしては過去から嫌だったが、ふたり揃っての初対面は必ずこうなるので、仕方ないと割り切っていた。そして今は、カスミの態度が嬉しかった。

 しかし、それも束の間だった。


「ナギサちゃんは、どこの大学なの?」

「えっ、あそこ? 凄いじゃん。頭良いんだねー」

「お淑やかで、どこかのお嬢様みたい」


 周囲の視線はやがて、ナギサひとりに向けられた。

 ナギサは愛想笑いを浮かべながら相手にしていたが、視界の隅で退屈そうにしているカスミが見えた。

 その光景から、中高生の頃を思い出す。同級生らから囲まれていたカスミは、きっとこの目線だったのだろう。

 双子として比較された結果だ。どうしてか、現在は立場が入れ替わっていた。

 憧れていたカスミに、ようやく成れた気がした。まさしく、人気者だ。それなのに、達成感が無いどころか、気分も居心地も最悪だった。

 ナギサは最後までカスミに目を配らせていたが、酒を口にすることはなかった。退屈そうな表情を、最後まで眺めていた。

 結局は厄介ごとに巻き込まれることなく、解散となった。

 二次会の誘いをふたりで断り、カスミと共に帰路を歩いた。時刻は午後十時を過ぎているのに、都心は明々としている。人通りも多い。


「うーん……。イメチェン、失敗したかなぁ」


 ふと、カスミが自分の毛髪を触りながら漏らした。思っていた手応えを、周囲から得られなかったのだろう。

 自分を引き立たせる意図でカスミが誘ったのではないと、ナギサは理解している。カスミはあくまで、双子として楽しむつもりだった。

 しかし、このような結果となった。

 ――上とか下とか、どうでもよくない? あたしはあたしだし、ナギサちゃんはナギサちゃんだよね?

 かつてはそのように言っていたが、今は比較され劣等感を抱えているのは明白だった。


「やっぱり、ナギサちゃんと同じ方がよかったかも……」


 カスミは苦笑する。

 内にある辛い感情が、ナギサに流れ込んだ。そして、その言葉は、カスミの意思を受け入れていたナギサにとって酷だった。

 後悔だけは、認められない。


「いえ……これでいいんですよ。わたし達は双子でも、別人ですから……」


 かつてのカスミの台詞を、次はナギサが口にした。

 これは、慰めだ。憧れていたカスミの立場になったこの時――当たり前のことを、初めて理解した。

 対等な者同士ではない。『上』の人間が『下』に向けて送るものだ。

 カスミが口にした時は、少なからず優越感があったのではないかと、勘ぐってしまう。

 いや、違う。


「きっと、そのうち馴染みますよ」


 ナギサにあったものは優越感ではなく、憐憫だった。かつてのカスミもきっとこうだったのだと、察した。

 その感情から、ナギサはカスミの手を取った。カスミから指を絡められた。


「ありがとう……ナギサちゃん」


 カスミとは常に手を繋いでいる感覚がある。だが、手の温もりは、こうして実際に繋がなければ伝わらない。

 直に感じているからこそ、儚いほどの弱さも伝わる。だから、カスミの手を引いて先導しなければいけないと、ナギサは自覚した。


 あの時は、義務感のようなものがあったと、ナギサは思う。

 しかし、赤く咲き誇る椿を眺め、ようやく気づいた。

 そう。戻れないのだ。ふたりで島を出た以上は、もう取り返しがつかなかった。

 それぞれの道を歩むしかなかった。いつまでも手を引けない。

 だから、比較されてカスミが辛くなるなら――離れるしかない。

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