第4話
ナギサは歩き、島内の散策を続けた。
ふと、路側帯のバス停に路線バスが見えた。駆け寄って乗り込んだのは、気まぐれだった。
時刻は午前十時四十分。車内に他の乗客は、ほとんど居なかった。
最後部から四列目のふたり掛け席に、ナギサは座った。
高校は実家から遠方にあり、路線バスで通っていた。毎朝、カスミとふたりでこの席に座っていた。
バスが動き出す。ナギサは揺られていると、高校生だった頃を思い出した。
双子としての大きな変化が訪れたのは、このあたりだった。
十六歳。ナギサはカスミと共に、島内の公立高校に進学した。
普通科は一学年八十名ほどであり、クラスはふたつだった。
これまでずっと一学年一クラスだったナギサは、初めてカスミとクラスが別れた。学校側にどのような意図があったのか、わからない。だが、双子が別々になったことに、納得も不満も無かった。
入学後すぐ、新しい環境に慣れた。ナギサ自身、意外だった。
やはり、カスミの周りには人が集まっていた。クラスが離れたことにより、ナギサは中学生の頃からさらに距離が開いたと感じた。しかし、双子としてすぐ側にカスミが居る感覚は確かにあったので、焦ることは無かった。
ただ――
「ねえねえ。ナギサちゃんとカスミちゃんって、双子なんだ?」
「マジでそっくりじゃん」
高校で初めて顔を合わせた同級生達から、そのように訊ねられることが何度かあった。
見ればわかるのに。まあ、珍しいから一応確認したいのかな。ナギサは仕方ないと思いながら、頷いていた。
「へぇ……」
「凄いね」
その後の反応は、決まって当たり障りのないものだった。
つまり、上辺だけを取り繕ったものだ。
――双子なのに、どうしてここまで差があるの?
――外見はそっくりだけど、中身は全然似てないね。
周囲から向けられる目線からも、本心はそのように思われていると感じた。
同級生が増えた。自分達姉妹のことを知らない人間が増えた。それらはナギサに、双子としての比較を突きつけた。
周囲から見比べられてどう思われているのか、ナギサは明白だった。明るいカスミが『上』で、暗い自分が『下』だ。
そう格付けされてもナギサに異論は無く、劣等感も無かった。ナギサ自身、カスミを姉として慕い、憧れていた。
双子だからふたり一緒に母親の腹に居たが、股から出たのはカスミが僅かに先だった。それだけの結果で、カスミが姉と定義された。
逆だった可能性は、充分にあり得る。もし姉妹関係が逆だとしても、カスミが現在と同じように、手を引いて先導していたとナギサは思う。カスミ自身は姉として振る舞っていないのだ。
ただ、逆ならきっと惨めだった。カスミが姉で良かったと、ナギサは安堵していた。
そう。カスミには姉として、いつまでも側に居て欲しい。憧れの存在であって欲しい。いつまでも先導して欲しい。
ナギサは
だが、七月の頭――一学期の期末試験が終了して夏休みを控えた頃、不可解なことが起きた。
放課後、ナギサは人気の無い図書室で本棚を眺めていると、ひとりの男子生徒が近づいてきた。高校から知った、同じクラスの同級生だ。
「好きです。僕と付き合ってください!」
男子生徒はそれだけを告げると、慌てて図書室を出ていった。
「……え?」
ひとり残されたナギサは、理解が追いつかなかった。
ひとまず本棚から適当な本を一冊手に取り、机で広げた。文字の羅列を目で追うが――内容は頭に全く入ってこない。
その代わり、異性から告白されたのだと、ようやく理解した。初めての経験だ。心臓の鼓動は早まり、頭は何も考えられなかった。
しばらく本のページを適当に捲っていると、落ち着いた。
どうしよう。何て返事しよう。それらを考えようとしたところ、ある疑問が浮かんだ。
パタンと、ナギサは本を閉じた。
ナギサは帰宅しても、ぼんやりとしていた。
どこか曖昧な感触の先にあるものは――嬉しさではなく、不安や恐怖の類だ。それらは弱々しくも、じっとりとまとわりつき、不快だった。
「たっだいまー。あー、暑い。死ぬー」
ナギサが風呂から上がった頃、バレーボール部の活動を終えたカスミが帰宅した。カスミも風呂に入り、家族で夕飯を食べた。
その後、ナギサは自室で宿題を終えると、午後十時になっていた。いつもであれば、読書に耽て就寝の流れであるが、その日は本を開ける気分になれなかった。ベッドで仰向けになった。
時間が経てど、不快感は払拭できない。むしろ、心細さに拍車をかける。
「ナギサちゃーん。喉乾いたから、ちょっと自販機まで行かない?」
そんな時、ノックも無く扉が開き、カスミが顔を覗かせた。
こんな時間に? 大体、飲み物なら台所の冷蔵庫にあるのに? そのような疑問を持ちながら、ナギサは身体を起こした。
「わかりました。行きましょう」
しかし、それでも頷いた。理由など、何でも構わない。カスミと一緒に過ごせるなら、それだけで充分だ。
「えへへー。ナギサちゃんのオゴリね」
「……どうしてそうなるんですか」
「えー。たまにはいいじゃん」
笑ったりしょぼくれたりするカスミの表情の変化に、ナギサは気分が和らいだ。
ふたりで自宅を出て、暗い夜道を歩いた。この時間帯に外出することは、滅多に無い。過去より周辺で不審な事件は無いが、暗く人気が無いことがナギサは怖かった。
だが、現在はすぐ側にカスミが居る。それだけで、安心していた。
どこからか、虫の音が聞こえる。昼間ほどでは無いが、夜でも蒸し暑かった。ナギサは自宅の麦茶ではなく、炭酸飲料で清涼感を味わいたくなった。
「それで……何があったん? 言うてみ?」
やや前方を歩くカスミが振り返り、にこやかに訊ねた。
気分が沈んでいるのを察して連れ出したのだと、ようやくナギサは気づいた。
夕飯の時から、そのような様子を見せた覚えは無い。しかし、双子だから――繋がっているから、強い感情はもう片方に嫌でも伝わる。ナギサもまた、過去より同様の現象を体験していた。
ここで初めて、カスミに相談するという選択肢をナギサは得た。現在まで全く浮かばなかったことに、静かに驚いた。
いや、どちらかというと話したくない悩みだ。だから、ひとりで抱えていたのだ。
「……今日の放課後、男子から告白されました」
とはいえ、ここまで悟られていると誤魔化せない。観念して、ナギサは話した。
「えっ、マジで!? だれだれ? あたしも知ってる子?」
「はい。同じクラスの――」
「あー。あの子かぁ。全然いいじゃん! おめでとう!」
ナギサは名前を出すと、カスミから納得のうえで祝福された。
確かに、男子生徒という枠の中では、ナギサとしてもまだ『良い方』だと思う。しかし、早々に返事は決まっていた。
「いや……。断るつもりなんですから、お祝いされても困ります」
「ええ!? そんな勿体ないことするの!?」
カスミが大袈裟に驚くが、ナギサの決断は揺らがなかった。
ナギサはひとりの若年女性として、恋愛に全く興味が無いわけではない。同級生らとその手の話になると異性の顔、性格、勉学、運動――それらの評価になる。今回の相手も、総合的に鑑みて『良い』と判断した。おそらくカスミも同じ判断なのだと、ナギサは思う。
だが、それらを満たしても、実際には恋愛対象として見えなかった。
それまで『ただの同級生』として認識していなかったからだ。『男子生徒』として知っていても、学校生活で接点がほとんど無いため『人間』としては知らない。
ナギサは彼のことを嫌いでは無いが、未知の部分が大きいと――好きにもなれなかった。他に、確かな理由が欲しい。
若年層の恋愛は一定の評価さえ満たせば、以降は交際してから確かめ、可能なら擦り寄るものだ。ナギサはそう理解している。しかし、いくら面倒でも因果を大切にしたかった。
つまり、ナギサは彼のことを好きになる理由が無かった。そして、それを彼の視点で考えた。
「わたしを好きになる理由が、わからなくて……」
おそらく、具体的な理由は無いのだとナギサは思う。若年層の例に漏れず、評価を満たしただけだろう。
だからこそ、疑問が生まれた。
「ていうか、わたしを好きになるぐらいなら……カスミじゃないんですか?」
返事に悩んでいたのではない。この疑問が、ナギサの気分を暗くしていたのだ。
双子だから、顔や体系の外観は同じだ。ただし、明るく人当たりの良いカスミの方がより評価される。カスミの方が人間として優れている。だからこそ、ナギサも憧れている。その理由で、カスミが選ばれると思っていた。
さらに卑下に考えると――カスミには手が届かないから『妥協』や『代替』として選ばれたとさえ思っていた。
「え? なんでそうなるの?」
カスミは呆然と驚いた。
せっかく悩みを打ち明けたが、思いもよらぬ反応を取られ、ナギサは戸惑った。
「ナギサちゃん頭良いし、お淑やかだし……あたしよりナギサちゃんなのは普通じゃない?」
確かに、試験の順位は過去よりナギサの方が良い。しかし、ナギサはカスミの主張に納得できなかった。
「普通じゃないですよ! カスミの方がわたしなんかより五百倍は良い女です!」
「はい? あたしみたいなバカで適当な女より、ナギサちゃんだって」
「そんなことないですよ! だって――」
わたしだったら、カスミと付き合いたいです! ナギサはそう言いかけるも、恥ずかしくなり、口を閉じた。
水掛け論になりそうなその時、ちょうど自宅から最寄りの赤い自動販売機に到着した。
「もー。しょうがないなぁ、ナギサちゃんは」
カスミは、ジュース二本分の小銭を投入した。
「ほら。ナギサちゃんから選びなよ」
「ありがとうございます……」
連れ出した責任感からだろうか。なんやかんや言って奢ってくれるのだと思いながら、ナギサは迷うことなく赤い缶のボタンを押した。やはり、炭酸飲料を飲みたい気分だ。
取り出し口から冷えた缶を取り出す。カスミも同じものを選ぶと思っていた。ふたりで自動販売機で買い物する際は、これまでも被ることが多かった。
「それじゃあ……あたしはこれ」
だが、カスミが選んだものは、小さいペットボトルのリンゴジュースだった。
「好みなんてさ、人それぞれじゃん。だから、ナギサちゃん『わたしなんか』って……そんな風に言うの、やめて欲しいな」
カスミは屈んで、ペットボトルを取り出した。そして、ナギサの缶に乾杯の仕草をすると、蓋を開けて一口飲んだ。
言葉に説得力を持たせるために、敢えてそれを選んだのではない。気遣うことなくカスミが自分の意思で、いや直感で『好み』を選んだのだと、ナギサはわかった。
「上とか下とか、どうでもよくない? あたしはあたしだし、ナギサちゃんはナギサちゃんだよね?」
ずっと一緒だと思っていた。いや、ナギサはカスミとずっと一緒に居たいと、望んでいた。
双子だから。姉妹だから。それだけが、ふたりの絆だ。それがあるから、カスミは誰よりも気にかけてくれる。
しかし、カスミが何を言おうとしているのか、ナギサは察した。
「あたしたち双子だけど……別人なんだよ」
カスミは笑顔で、ナギサにとって残酷な言葉を告げた。自分の意思で、双子であることを否定したのであった。
「そうですね……」
ナギサはぎこちなく笑い、頷いた。
本心としては、この場で泣き喚きたいぐらいだった。だが、カスミの言葉が重く圧し掛かり、動けなかった。
そう。ナギサ自身、少なからず納得していたのだ。
もう十六歳の高校生だ。カスミといつまでもずっと一緒に居られるなど、現実的に考えてあり得ない。
そして、いくら憧れてもカスミには絶対に届かない。双子だが、完全に重なることは絶対に無い。『上下』ではなく、カスミのように『左右』で考えるべきだ。
頭の隅では、嫌でも理解していた。向き合うべきなのだ。しかし――
夏の夜道を、ふたりでジュースを飲みながら歩いた。
満天の星々の下、蒸し暑く、ナギサはどこか曖昧な感覚だった。しかし、口の中で弾ける炭酸が、現実に留めた。
「ちなみに……もしカスミがあの人から告白されたら、付き合うんですか?」
「うーん……。あたしとは合いそうにないから、断るかもね」
ナギサはふと訊ねたところ、カスミが苦笑してそう答えた。
双子として同じ答えであったのが、ナギサにとってかろうじての救いだった。安心して、微笑んだ。
翌日、ナギサは男子生徒から交際の申し出を、丁重に断った。彼とは卒業まで、気まずいままだった。
その思い出は、どうでもいい。
「あれが初めてでしたね……」
バスの窓から、どこにでもある赤い自販機が見え、ナギサはぽつりと呟いた。
思えば、カスミが双子を否定して離れようとする片鱗は、あの時から見せていたのであった。現在まで忘れていたせいか、思い出すと驚いた。
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