第3話

 午前十時、ナギサは実家を出た。

 かつてこの島で暮らしていた頃、移動手段は自転車が多かった。現在も実家に自転車はあるが、使用可能な状態なのか定かではない。それに――ナギサは今の気分としても、自らの足で歩きたかった。

 宛ても無く歩いた。生まれ育った土地の懐かしい風景を楽しみながら、散策した。カスミを捜すという目的は、もはや二の次になっていた。

 もしも、高校卒業後もこの島に残っていたなら、移動手段は自転車から自動車になっていただろう。ナギサは整備された車道の路側帯を歩きながら、そう思った。

 大学生の頃、自動車の運転免許を取得した。実家には親が使用している自動車がある。しかし、運転の経験がほとんど無いため、使用する気にはなれなかった。免許証は身分証として所持しているだけだ。きっと、これからも自動車とは縁が無いだろう。

 ナギサは、歩くことが嫌いではない。散々歩いた過去があるからだと思う。

 そう。小学校は片道二十分、さらに中学校は片道四十分歩き、毎日通っていたのであった。

 こうして歩いていると、ナギサは中学校の登下校を思い出した。


 中学校も小学校と同様、一学年一クラスだった。ただし、別の小学校との合流があった。クラスの人数が増え、賑やかになった。

 十四歳のナギサは、二年目の中学校生活を送っていた。進級してもクラスは同じ顔ぶれであり――中には小学校六年間を共に過ごした生徒も居ることから、特に新鮮味は無かった。

 六月。季節は梅雨に差し掛かろうとしたが、ナギサにとっては変哲も無い退屈な日々だった。

 その中で、確かな変化があった。

 当時も、ナギサとカスミは髪型と体型が同じだった。だが、名札が無くとも周囲から見分けられていた。

 周囲がふたりに対して慣れたこともあるだろう。いや、それよりも――雰囲気で見分けられていると、ナギサは感じた。

 明るい方がカスミ。暗い方がナギサ。誰も口にはしないが、きっとそのような基準なのだろうと思った。


「ねー、カスミ。どっちのワンピが可愛いと思う?」

「カスミもこの動画観てみなって。ヤバいぐらい面白いよ」

「ちょい待ち! 一気に言われても、ワケわかんないって!」


 休憩時間になると、カスミの周りには自然と同級生達が集まっていた。雑誌や携帯電話を見せられたカスミは、ヘラヘラしながらも、順に相手をしていた。

 その様子をナギサは、自分の席からひとりで眺めていた。

 カスミは物腰が柔らかいのだから、誰からも好かれるのは当然だと思った。正反対の性格が、顕著に表れている。

 自分と同じ顔をした人間が、クラスの人気者になっている。その事実に対し、ナギサは双子の姉を誇りに思っていた。自分を重ねることは簡単だった。あのように成りたいと、憧れた。

 だが、憧れるほど――双子として距離が開いたのを感じ、焦燥に苛まれていた。

 カスミは面倒見も良いため、誰に対しても優しい。だから、大勢に囲まれていると、いずれカスミが誰かに取られてしまいそうな予感があった。

 つまり、周囲に対する嫉妬だ。自分にとって最も近い人間が最も近い存在でもあって欲しいと、ナギサは思っていた。

 双子として、常に手を繋いでいるような感覚がある。だが、それが離れていき――消えてしまうのではないかと、不安だった。


「カスミー、部活行こう」

「うん。今日も頑張ろ!」


 その日も放課後になると、カスミは同級生らと共に、バレーボール部の活動に向かった。

 こちらを見向きもせず教室を出て行ったカスミに、ナギサは苛立ちながら、自身も席を立った。

 この頃、ナギサは図書委員を務めていた。本心として放課後はすぐに帰宅したかったが、内申のためだった。その日はナギサが当番だったので、図書室に向かった。

 全校生徒百三十名の学校で、放課後を図書室で過ごす生徒はほとんど居ない。人気の少ない図書室で、ナギサは稀に貸出の受付を行い、返却された本を棚に戻していた。

 図書委員としての仕事よりも、受付席で読書に耽る時間の方が多い。最初は面倒だと思っていたが、有意義な委員活動だった。

 やがて、午後六時――チャイムが鳴り、放課後の時間帯が終了した。ナギサは手元の文庫本に、四つ葉のクローバーをラミネート加工した手製の栞を挟んだ。

 席を立ち、窓を閉めようとした、その時だった。


「あー……。もう喉乾いて死にそう」

「スーパーに寄って帰ろうよ」


 窓の外から話し声が聞こえたので、ナギサは見下ろした。夕陽に照らされた中、女子生徒達が校門へと歩いていた。

 遠くからでも分かった。バレーボール部の部員達だ。


「いいねー。あたし、アイス食べたーい」


 やはり、カスミの姿もあった。

 普段は部活終了後、カスミは部室で喋っているのだろう――図書委員の当番の日であれ、学校を出るのも帰宅するのも、ナギサの方が早い。だが、その日は珍しく、カスミが先に学校を出たのであった。

 聞こえた会話の内容から、カスミ達が立ち寄るであろうスーパーマーケットをナギサは思い浮かべた。島にはコンビニという施設が存在しないため、食料品は数少ないスーパーマーケットで購入することになる。そして、学校周辺には、ひとつしかない。

 ナギサは下校の際、必ずそこの前を通らなければいけない。

 図書室の窓を閉めると、憂鬱な気分で受付席に戻った。文庫本の栞を挟んだページを開き、読書を続けた。

 スーパーマーケットの前で部員達と楽しそうに買い食いしているカスミを想像しただけで、胸が締め付けられた。その様子を見たくなかった。

 だから、ナギサは時間をずらして『逃げる』ことを選んだのであった。


「すいません。キリのいいところまで整理していたら、遅くなりました」


 午後六時半。ナギサは図書室を施錠すると、適当な理由と共に鍵を教師に返却した。

 この時間なら、もう大丈夫だろう。そう思いながら、ひとりで帰路を歩いた。

 自動車のヘッドライトも数少ない街灯も民家の灯りも、際立っていた。ようやく陽が落ち、外は暗くなろうとしていた。ひとりのせいか、心細かった。

 何気なく佇むスーパーマーケットも、また――買い物時でなく人気が少ないにしても、明々としていた。ナギサに、不思議と安心感を与えた。

 しかし、ナギサはそれに飲まれまいと、スーパーマーケットから目を背けた。店前で何があったのか想像すらしたくないほど、拗ねていた。

 カスミはもう帰宅して、風呂に入っているかテレビを観ているだろう。そう思いながら、スーパーマーケットの前を通り過ぎようとした。


「ナギサちゃーん! こっちこっち!」


 ふと、カスミの呼び声が聞こえ――ナギサは驚き、立ち止まった。

 振り返ると、スーパーマーケットの駐輪場で、カスミが手を振っていた。店の優しい光に照らされていた。他には誰も居なく、ひとりだった。

 ナギサは嬉しい気持ちが込み上げるのを抑えながら、ゆっくりと近づいた。


「……こんな所で、何してるんですか?」


 カスミが部員達と買い食いしていることは、知らない体にしないといけない。冷静を装った。


「何って……ナギサちゃんを待ってたんだけど? まだ図書室の灯り点いてたからさー。今日、当番だったなーって」


 ナギサはその理由に一応納得するが、腑に落ちない点があった。

 部員達と一緒に帰ればいいのに、どうしてひとりでここに残っていたのだろう。

 疑問に思うが、部員達とのことは知らない体なので、訊ねられなかった。その代わり――カスミの手にアイスキャンディーが見えたので、手を持ち上げて食らいついた。


「ちょっと! あたしのアイス!」

「……ありがとうございます」


 待ってくれていたことへの感謝だった。しかし、伝えるのは恥ずかしいため、アイスキャンディーへの意味合いとして誤魔化した。

 この時間ならおそらく二本目だと、ナギサは思った。いくら部活動で身体を動かしたとはいえ、夕飯前にカロリーの過剰摂取だ。双子の妹として、助けないといけない。

 結果的に、アイスキャンディーのほとんどをナギサが食べた。陽は落ちたが、まだ暑さに汗ばむ季節だ。だが、一気に頬張ったため、清涼感に満たされるどころか一時的な頭痛に襲われた。


「さあ。帰りますよ、カスミ」

「あたしのアイス……」


 泣き真似をしているカスミの腕を引き、ナギサは上機嫌に帰路を歩いた。

 空腹感に襲われた。時間のせいでも中途半端に腹に入れたからでもなく、安心したからだろうと思った。

 カスミが学校でどれだけ囲まれても、妹を必ず気にかけてくれる。双子だから、いつも側に居てくれる。絶対に離れない。

 距離が開いたと感じたのは杞憂だった。それらが分かり、とても嬉しかった。


「次は、わたしがご馳走します。またこの時間に、一緒に帰ったらですけど……」


 しかし、ナギサは念のため約束を交わした。小声で漏らし、カスミの手を握った。


「ほんと!? ナギサちゃんのこと、絶対に待ってるからね!」

「絶対ですよ?」

「うん!」


 カスミが手を握り返し、嬉しそうに腕を大きく振った。

 ナギサも連れられて、笑みが漏れた。手に伝わるカスミの温もりに、安心した。さっきまでの心細さが、まるで嘘のようだった。


「もー。しょうがないなぁ、ナギサちゃんは」


 自分にとって誇りであり、憧れであり、最も近い存在であり、そして大好きな――姉だと思った。


 暗い夜道でも、ふたりで歩けば怖くなかった。

 ふたりなら、どこまでも歩けると思っていた。

 陽の下で車道の路側帯を歩いていたナギサは、ふと立ち止まった。

 手を握ると、カスミと実際に繋いできた感触をはっきりと思い出す。今も、カスミの存在を感じる。

 側に居たのに――どうして突然姿が消えたのか、やはり分からなかった。

 それでも、また手を繋いでふたりで歩けると、ナギサは信じた。

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