第2話

「ただいまー」


 午前八時頃、ナギサは二階家の実家に着いた。二年前の八月、盆休み以来の帰省だった。

 この時間は母親しか居なかった。ナギサは、都心の港で購入した土産――饅頭を渡し、事情を話した。

 やはり、母親がカスミを匿っている様子は無かった。実際にカスミが実家を訪れていないと、ナギサは思う。

 だが、少なくともカスミが必ずこの島に居ると、確信があった。双子の姉であるカスミの存在を、ナギサは強く感じていたのだ。

 人口六千人の寂れた島であるが、観光地でもある。宿泊施設には困らないため、実家以外に身を隠すことは可能だ。

 では、九十平方キロメートルの土地で、カスミをどう探すのか――ナギサには具体的な案が無かった。

 焦りも無く、不思議と落ち着いていた。まるで、ただ帰省したかのような心境だった。


 ナギサはシャワーを浴びると、荷物を持って二階の自室に上がった。

 高校卒業までを、この部屋で過ごした。実家を離れる際に整理こそしたものの、家具自体は高校生だった頃のままだ。

 帰省の度に自室で過ごしているが、現在はいつも以上に懐かしさを感じていた。

 ナギサは勉強机の椅子に座り、部屋を見渡した。

 隣には、カスミの部屋がある。親の図らいで、小学生だった頃から、姉妹別々の部屋を与えられていた。

 部屋が別れた当時、ナギサは寂しくなかった。むしろ、嬉しかった。

 そう。あの頃は――カスミのことが鬱陶しかったのだ。


 四月。十歳のナギサは小学校から帰宅すると、宿題を済ませ、学校の図書室で借りてきた児童書を読むことが多かった。何も無い田舎の離島では、本の世界に没頭することが、ナギサにとっての娯楽だった。

 自分の部屋を与えられたばかりの、春の昼下がり。その日も、誰にも邪魔されずに読書に耽ることが出来る――はずだった。


「ナギサちゃーん、遊びに行こうよ!」


 カスミがノックもせずに部屋の扉を開けた。

 勉強机で読書をしていたナギサは、本を閉じた。邪魔をされたことに対し、半眼をカスミに向けて抗議した。


「嫌です」

「えー。そんなこと言わないでよー。連れないなぁ」


 カスミが部屋に入ってきたため、ナギサは仕方なく本を閉じて向き合った。


「遊びに行くって……どこで何するんですか?」

「裏の野原で四つ葉のクローバー探そうよ。なんかね、お金持ちになれるらしいよ」

「違いますよ、カスミ。見つけたら幸せになるって言われてるだけで、お金が湧いてくるわけじゃありません」

「え? そうなの? まあ、何だっていいじゃん。絶対に面白いよ」


 無邪気に笑うカスミに、ナギサは呆れるばかりだった。

 おそらく、目的自体はどうでもいいのだろう。必ず見つかる保証も無いため、実にくだらないと思った。ひとりで読書を続けたい。


「あたし達、双子なんだからさ……何するにも、いつだって一緒なの!」


 ナギサはまるで鏡を見ているかのように、目の前にもうひとりの自分が居た。この頃は顔だけでなく、髪型と体型まで同じであり、学校でも名札で見分けられていた。

 外観はそっくりだが――中身は正反対だった。

 外ではなく、家で遊びたい。身体よりも、頭を使いたい。明るく外向的なカスミに対し、暗く内向的だとナギサは自覚していた。

 そして、性格だけではなく、考え方も真逆だった。


「別に、いつも一緒じゃなくたっていいじゃないですか……」


 カスミに付きまとわれるのが、ナギサは暑苦しく鬱陶しかった。姉妹といえ双子といえ、限度を超えていると思った。

 ひとりっ子がよかったと、カスミの存在を否定したいわけではない。カスミのことが嫌いというわけでもない。

 ただ、思春期に差し掛かろうとしているナギサは――カスミとは適度に距離を取りたいだけだ。遊ぶにしても、姉妹それぞれで好きに時間を過ごしたい。

 部屋が別れたことで、少しは離れられると思っていた。


「ふんっ。ナギサちゃんのことなんて、もう知らない! 一緒に遊んであげないからね!」


 カスミは怒りながら、部屋から出ていった。

 一緒に遊んでくださいって、頼んだことはありません――ナギサも不機嫌であるため反論しようとしたが、本格的な口喧嘩になりそうなので我慢した。

 性格までもそっくりなら苦労しないのだろうかと、ふと思う。

 ナギサが本で得た知識では、双子は性格も似るらしい。だから、自分たち姉妹は珍しい例なのだと理解していた。

 いや、似ていないからこそ『別人』とも『姉妹』とも実感していた。何もかもが同じだと、きっとつまらないだろうと思った。

 部屋でひとりきりになったナギサは、再び本を広げた。


 午後三時。ナギサは読書の休憩で一階に下り、テレビを観ながらオヤツのプリンをひとりで食べた。冷蔵庫にはカスミの分もあったが、それまでこっそり食べようとは思わなかった。

 カスミがオヤツを食べに戻らないのは、珍しい。

 おそらく、ひとりで四つ葉のクローバーを探しに行ったのだろう。それほど熱中するほど面白いんだろうかと、ナギサは思った。少しだけ興味が湧くが、後を追うことは無かった。


 午後五時。陽が暮れようとした時、ナギサは自室で本を読み終えた。

 未だに帰ってこないカスミが、心配だった。冷たい態度を取ったことで、腹を立ててどこか遠くに行ったのではいかと、不安だった。

 いや、カスミの気配を強く感じる。カスミが離れようとしている意思を持っていないことは、理解できた。


「ただいま!」


 ふと、一階からカスミの声がナギサの耳に届いた。それに続いて、勢いよく階段を駆け上がる足音も聞こえた。

 やはりノックも無く扉が開き、雑草と土で汚れたカスミが姿を現した。


「凄いよ、ナギサちゃん! ほら!」


 興奮気味のカスミは、両手を突き出した。

 左右それぞれの手に、四つ葉のクローバーが握られていた。


「わ! ふたつもですか!?」


 ナギサは四つ葉のクローバーを本で見たことがあったが、実物を見るのは初めてだった。本当に葉が四枚あることを、数えて確かめた。ナギサまでも、気分が昂る。


「ひとつはすぐに見つかったの。それじゃあ、もうひとつ探さないと――ってわけ」


 どうしてそうなるのか、ナギサには理解できない。しかし、ふたつ目を探していたからここまで遅くなったとは理解した。


「ふたつあれば、カスミは本当にお金持ちになれるかもしれませんね」


 そして、努力と強運を称えた。

 ひとつでは空絵事だとしても、ふたつあれば妙に現実味を帯びたように思えた。


「あたしは、お金持ちになれなくてもいいよ。だから……はい、これ……」


 ナギサは片腕をさらに伸ばしたカスミから、クローバーを向けられた。ひとつを手渡されようとしていた。


「え……。いいんですか?」

「いいに決まってんじゃん! あたし達、双子なんだから……一緒に幸せにならないと!」


 カスミからさらに、無邪気な笑みも向けられた。

 自分のためにカスミは懸命に探したのだと、ナギサは理解した。

 冷たい態度を取ったことが、申し訳なく思う。だが、それ以上に嬉しい気持ちで一杯だった。


「ありがとうございます……カスミ」


 ナギサは受け取るよりも先に、カスミを正面から抱きしめた。

 とても感謝し切れない。その代わり――カスミの気持ちを真っ向から受け止めた。


「もー。しょうがないなぁ、ナギサちゃんは」


 カスミは照れくさそうに苦笑した。

 思春期の訪れにより、ナギサはカスミと離れようと思った。しかしこの時、双子の仲を大事にしたいという考えを、尊重することにしたのであった。


 ナギサはこの部屋での過去を振り返り、笑みが漏れた。

 カスミから四つ葉のクローバーを受け取ったが、自分自身で見つけたことは二十五年の人生で一度も無い。

 この離島でカスミを捜し出すことは、野原で四つ葉のクローバーを見つけるよりも、きっと難しいだろう。

 だが、ナギサは途方に暮れなかった。むしろ、心を踊らせた。

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