番外編:ルイのオリヴィには言いたくない奮闘

「あー、やりたくない」


 最近、オリヴィの事で時間を使い過ぎてしまったので仕事が山積みになっている。早く処理しないと溜まるばかりなのに一向にやる気が起きない。


「僕の身持ちが悪いって疑ってたのは、あの姉さんだったかあ」


 彼女を家に連れて来る事は出来なかった。何とか言いくるめて彼女に承知してもらえたのに、一番上の姉さんに『駄目。帰るわよ』と、あっさり領地に連れ去られてしまった。


 彼女が家に来てくれたら、あんなことをしよう、こんなことをしよう、と色々楽しみにして頑張っていたので力が抜けた。ちなみに人に言えないような事ではない。せっかく彼女の心を手に入れたのに信頼を裏切るような真似はしない。


 あー、本当はちょっとだけ期待していたけど。


「失礼します」


 部下が報告を持ってきた。例の件が上手く片付いたらしい。


「よくやった、ありがとう。大丈夫だとは思うけど、もうしばらく様子を見て、そうだな⋯⋯2週間ほど経って問題なかったら監視を解いてくれ」


 全くカルロとジェイドのヒューズワード兄弟は肝心な所が抜けている。彼女が夫と不仲だという噂は、彼女を狙う男たちにとって朗報でしかないのに、何の手も打たずに彼女を危険にさらしている。


「これだから、温室育ちの坊ちゃんは嫌いなんだ」


 もともと彼女に興味を持っていた男は多い。交流会に出た者から発せられた彼女の美貌についての噂は驚くほど広まっていた。夫と共に社交の場に姿を現す彼女の一番上の姉の美しさも、噂の信憑性を裏打ちした。


 王子や王族には勝てないと諦めていた者も夫と不仲であれば、と挑戦したくなって当然だ。それに彼女や彼女の姉が心配するほど、彼女の家の借金も必要な支援も高額ではない。僕だって父に相談なく出せる額だ。他にも出せる奴は大勢いる。親族が彼女たちを従わせるために脅しているに過ぎない。


「あの姉さんの夫は平民出身だから、金銭感覚が少し違うんだよな」


 彼女の家の支援を餌に近づく男がいたとしたら、とても危険だ。


「僕だったら、そこから切り崩しただろうしね」


 僕が彼女の家に出入りするようになって、最初に取り組んだのは使用人を懐柔することだ。すぐに取り掛かって正解だった。


 呆れるほど多くの付け文が彼女にこっそり届けられようとしていたし、使用人を懐柔して家に入り込もうとする男もいた。それらについて厳しく目を光らせていた使用人頭と話し合い、何かあれば僕に報告が入るように手配していた。


 彼女に同情的だった使用人頭は、すぐに彼女の義兄がそういう面では頼りにならない事を察して僕を頼るようになった。


 大抵の男は一度脅しをかければ手を引いた。力や金がある面倒な奴は念を入れて不埒な想いを潰した。さっき部下が報告してくれたのも、その類の事だ。


 最近では彼女に手を出そうとすると何故か僕が出て来るという噂と共に、どうやら僕が口説き落としたらしい、という噂も広がっていた。おかげで彼女に手を出そうとする男もかなり減り最近は少し楽になってきている。


 彼女は自分が知らないうちに立派な悪妻として名を馳せていた。


「まあ、結婚したら純愛ってことになるだろう。⋯⋯ならないかな?」


 僕は嘘つきだ。


 最初に彼女に会いに行った目的は『傲慢な女の顔を見たかった』なんて可愛い事ではない。落として僕に夢中にさせて、あの一族に恥をかかせてやるつもりだった。


 しかし彼女は僕を全く警戒することもなく、目下の者と蔑む事も無く、一人の人間として接してくれた。あまりに魅力的で、素直さと無防備さが危うげで、他の男にはとても見せられない。ヒューズワード兄弟が閉じ込めたくなる気持ちがよく分かった。


「私には知らない事が多くて。学ぶことで私の狭い世界が少しだけでも広がるような気がするのです。見た事も無い土地のこと、見た事もない植物や動物の事。頭の中ががらんどうでは、想像すら出来ませんから」


 勉強をする理由を聞いた時の答えを聞いて思い出した。


 この子は王族の交流会で泣いていた、あの小さな女の子だ。


 その後も何度かさりげなく聞いてみたが、彼女は僕の事を全く覚えていなかった。でも僕の言ったことが少しでも残っていて、それが義兄に勉強を教わる事に繋がっていたとしたら、そう考えるととても嬉しかった。


 旅の話を熱心に聞いて喜んでくれる彼女と過ごす時間は、他に代えがたいくらい楽しかった。数回会った時にはもう僕は引き返せないくらいに心を奪われていた。


 今まで女に不自由したことはない。女なんて酒や美味いものを食べるのと同じ程度の気晴らしに過ぎないと思っていた。


 容姿に寄ってくる女、財産に寄ってくる女、軽口に乗る女。どれも同じようなものだ。こちらから声を掛けるほど惹かれる女もいなかった。


 兄は大恋愛の末、貧しい家の娘と結婚した。幸せそうな姿に羨ましさはあったものの、そういう女をどうやって見つければ良いのかは見当もつかなかった。見つけ方を聞いても兄は教えてくれない。


「見つけたわけじゃなく、出会っちゃったんだよ」


 その意味をやっと理解出来た。さっき別れたばかりなのに、もう彼女に会いたい。


「彼女に会いに行くためには、この仕事を片付けなきゃな」


 やっと仕事に取り組む気持ちになってきた。どんなお土産を持って行こうか、喜ぶ顔を想像するのも楽しいではないか。


「あ、あの姉さんにも何か用意しないと」


 王都から離れた領地に行ったからと言って安心出来ない。オリヴィの一番上の姉さんには、しっかりと危険を伝えておいた。彼女の堅物の夫は、こういう事には疎そうだ。


「ずいぶん、そういう人の気持ちを理解できるのですね」


 少し冷たい目で見られてしまった。身持ちが悪いという汚名を返上するには時間がかかりそうだ。


 父も兄も僕が彼女と結婚するのを楽しみにしている。


「あの高慢な一族が王子を敵に回してまで手に入れた嫁だぞ。それをかっさらうなんて痛快じゃないか」


 彼女の耳に入れたくない事は、たくさんある。


 でもきっと耳に入ってしまったとしても『何ですか、それ!』と言って驚いた後に、困った顔をして許してくれるはずだ。やっぱり早く彼女に会いたい。


「失礼します。こちらもお願いします。⋯⋯何だか楽しそうですね」


 追加の書類を持ってきた部下が、冷やかすように言ってくる。


「これ全部、今日中に終わらせるからな。それで、明日は一日帰ってこないからな!」

「え、まだありますよ。この調子じゃ、行けるのは来週じゃないですか?」


 何と言うことだ。仕方なく僕は仕事に集中することにする。

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