番外編:父親として、ただひとつ成し遂げたこと
腹が張っている。どれだけ酒を流し込んでも体を蝕む不快感は消えない。使用人が怯えながら追加の酒を持ってくる。その怯えた顔は、ささくれ立った心を更に荒れさせる。
それでも今日の酒は少し美味いと思える。
末娘の縁談がまとまった。俺が希望した相手とは年齢差もあり、縁を結ぶのは困難だと思っていた。
「ジルウォーカーの次男が未婚だったのは幸運だった」
俺はまた喉に酒を流し込む。
俺の祖父は王位継承権を持たない王子だった。母は数代前の王の娘だ。俺も王族から妻を娶った。娘たちは王族の血が濃い。
そして4人とも驚くほどの美貌を持つ。成長するにつれ娘たちの美貌が噂となってしまい、将来を憂えた俺は天を呪い、その気持ちを紛らわすかのように酒を呷った。
「人目を惹いてはならないのに⋯⋯」
祖父も父も王族を心底憎み、この家に生まれた運命を呪いながら生きた。何もかも自分で決める事は許されない。一族の総意のもと、その決定に従うだけの生き方。
妻は跡取りとなる男子を産めなかったことで一族中から非難を浴び、心を壊して早逝した。どれほど俺が気にするなと言っても、その言葉は欠片も彼女の心には届かなかった。
「あの娘たちだけは、ここから解放する」
俺の役目はそれだけだ。
これ以上人目を引かないように重大な瑕疵を作る。
「王子たちは、お嬢さんたちが成長するのを楽しみにされていると聞きますよ」
何度その言葉を聞いた事か。王子たちと娘たちの年齢が釣り合ってしまう事が何よりの不幸だった。王家に嫁がせるなんて牢獄の最奥に押し込めるようなものだ。
「あの手の付けられない父親に育てさせたのが失敗だわ」
悪評が広まるように俺はますます酒の量を増やして人目のあるところで粗暴な振る舞いをし、娘の教育を制限した。
他の子と同じように学びたがる娘たちを叱りつけ、しかし王族以外に嫁いだ時に困らないよう、最低限の礼儀作法だけは身に付けさせた。
粗暴な父親がいて無教養、王家に嫁ぐには十分な瑕疵だ。それでも娘たちの美貌と気立ての良さを打ち消すには十分ではなかった。
「お父様、お願いがあります」
長女が言い出した時には、膝から崩れ落ちそうなほど安堵した。彼女が選んだ男は野心が無いにも関わらず有能さ故に下から押し上げられてきた王宮の文官だ。
王族たちは1か月に一度、交流会と言う名でお互いを監視して戒める会合を持つ。そこに王族以外で招待されることは大変な名誉とされている。
前途有望な文官、武官。国の財力を凌ぐほどの商人、外国からの賓客。それぞれ本人だけでなく子女を伴い参加して、お互いに結婚相手を物色する。
「あの方は身分を気にされているけれど、私はどうしてもあの方と一緒になりたいのです」
有能さ故に功績をあげた男は交流会への招待を受け、そこで長女の虜となった。男は長女のために築き上げた実績も何もかも捨てて婿に来るという。長女の方も群がる男どもの中から彼を選び二人は愛を育んだ。
二女と三女も同じように招待された子息達の中から相手を選んだ。王子たちの熱心な求愛も退けて外の人間を選んだ事は褒めてやりたかった。
それでも安心出来ない。王族の濃い血を外に出したくない一族の誰かが糸を引き、決まった縁談を潰そうとする。
長女の時には、忍び込んで既成事実を作って我が物としようとする輩まで現れた。それ以来、結婚の話が出た時点で娘を幽閉して誰とも会わせないようにした。妹たちですら一族の誰かに操られないとは言い切れない。
俺はますます粗暴な振る舞いをし、強欲さを装って娘が希望する縁談をまとめた。目が眩むほどの金銭を相手の家からむしりとり、出来る限りの言葉で罵り、二度と関わらないよう言いつけた。これで、この家とも一族からも解放されたはずだ。
問題は末娘だった。
彼女は一番好奇心が強く、学ぶことを望んだ。あの子が5歳くらいの頃だっただろうか。周りの子供から無知を馬鹿にされて、あの子は温室に走り去った。
花壇の隙間で泣く娘を、俺は離れたところから見つめることしか出来なかった。そこに10歳を少し超えたくらいの男の子が話しかけていた。大人たちの会話に飽きた男の子が隠れて休んでいたところを娘が邪魔したのだ。
「お前、何で泣いてるんだよ」
「私だけ知らなかったの。雨は神様がじょうろで降らせるんじゃないって」
「ははは、お前、学校で話を聞いてないのか」
男の子が笑うと娘は真っ赤になった。
「私は学校に行けないから」
「⋯⋯ごめん、女の子は行けないのか。家で勉強はしないのか」
「お父様が、お勉強してはいけないって」
深くうなだれた娘を見て心が締め付けられた。
「悲しいのか? 悔しいのか?」
娘は少し考えて答えた。『悔しい』と。
「そっか。僕も悔しい思いはたくさんしてるよ。でも、生まれる家は選べないから、自分の選べる事で努力するしか無いんだ」
それから彼は娘に、どうやったら勉強できるか知恵を授けていた。家の中で本を探せ、無いなら外から手に入れる方法を考えろ。家庭教師がいないなら、誰か勉強を教えてくれそうな人を捕まえろ。
勉強について、誰かが少し教えたくらいでどうにもならないだろう。でも勉強できるかもしれない、と目を輝かせる娘を見るのは嬉しかった。
娘はそのうち彼の夢についての話を聞き、自分もいつか夢を持ちたいと力強く言いだした。
「商人って言うのはさ、他人の心を豊かに出来る仕事なんだ」
彼は父親以上の商人になりたいという夢を語った。
「生きて行くには必要ないものを、みんな何で買うと思う? 人間には想像力と夢が必要なんだ。素敵な物を届けて、それにまつわる物語も一緒に伝える。
どういう人が、どういう想いで作っていて、
その土地では、どういう事が起こっていて、
これがここに届くまでに誰が、どういう苦労をしていて、
他にはどういう人が同じものを持っていて、どう楽しんでいるか
そういう風に想像力を働かせれば、ただの物じゃなくなるだろう?」
彼と娘の会話は、そこで終わった。ヒューズワード兄弟が娘を見つけて彼を追い払ってしまったからだ。
あの男の子なら娘を外の世界に連れ出してくれるのでは。そう思って身元を調べた。
ルイ・ジルウォーカー。数代続くカルセドニー商店の次男だった。この国だけでなく、外国にも多くの店を持ち取引を行う大商店だ。娘と少し年が離れているから、娘が適齢になる頃には結婚してしまっているだろう。この時は諦めた。
末娘も年が離れた姉たちのように、いずれ自分で好きな男を選ぶだろう、そう思っていたが彼女だけは上手くいかなかった。ヒューズワード兄弟が、あの子に近づく男を片っ端から追い払ってしまう。
ジェイドとカルロというあの兄弟は娘が幼いころからずっと、まるで自分たちの物のように末娘を独占した。あの娘には美しさだけでなく、何か人を引き寄せてしまうような無防備さがあった。その危うさをヒューズワード兄弟は警戒し、彼女に誰も近づけないように気を付けていた。
だから彼女は年頃になっても、あの兄弟以外の男と接することなく、自分で相手を選ぶことが出来なかった。
ヒューズワード家から何度か婚約の打診があったが、そんなもの論外だ。あの家は王族の中でも強い力を持ち一族そのものを体現しているような家だ。
それにカルロというあの弟は特に駄目だ。娘を窒息させて心を殺してしまう。彼自身が自由に生きる事を知らないのに、娘にそれをさせてやれるはずがない。加えて優秀な兄に対する劣等感が強すぎる。彼と兄の関係はどこか歪だ。
「ジルウォーカーの息子が未婚だったのは幸運だった」
俺は深く息をつき、また酒を呷った。腹が張っている。これ以上は飲みたくない。それでも苦心して流し込む。
ルイ・ジルウォーカーは学校を卒業後、数年かけて世界を周っていたらしい。だから幸いにも今まで未婚だった。
もう時間がない。王子の一人がヒューズワード兄弟の目をかいくぐって末娘と話をした。そこで彼女に強く惹かれた王子は強硬に縁談を進めようとしている。
俺は強欲さを前面に押し出して、一族の意向を振り切ってジルウォーカーとの縁談を進めた。先方が血筋の良い娘を得る事を利益と考えて、受けてくれたのも幸運だった。恐らく俺がもう長くは無い事も察知している。血筋が良く面倒な後ろ盾がない娘、貰っても損は無いと思ってもらえた。
「これで思い残すことは無い」
娘たち全員をこの牢獄から解放することが出来た。俺の役目は終わった。
後は長女と優秀な夫がこの領地を上手く運営するだろう。二女と三女が結婚で残した金銭は宝石に変えて隠してある。俺が死んだ後にそれを使えば、領地と屋敷を買い戻しても余裕をもって暮らすことが出来る。あの有能な娘婿なら上手く立ち回って一族と縁を切ることが出来るはずだ。
宝石の場所を記した書付を残さなければならない。億劫でずっと手を付けずにいた仕事だ。
「また、明日考えよう」
昨日また血を吐いた。俺はきっと、もう長くは生きない。俺がいなくなれば、全てが上手くいく。
寒さで催してきた。ふらつく足を踏みしめて、俺は椅子から立ち廊下に出た。
俺は父親として娘たちを守ることが出来た。今日は珍しく気分がいい。久しぶりに朝まで眠ることができそうだ。
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