地獄からの生還とその先に続く夢(終)
小川では小魚が泳いでいた。川辺の草の間からは小さな花が顔を出し、風でかすかに体を揺らしている。
私とルイさんは王都のはずれ、少し小高い丘で思い切り日差しを浴びて春の風を楽しんでいる。
「あそこは地獄のようだった。君は1年、よく我慢したな」
「数日おきにルイさんが来てくれたからですよ。そうじゃなかったら心がぺしゃんこになっていたかもしれませんね」
ルイさんが私の心に夢や楽しみや喜びを詰め込んでくれた。それが支えになって、私の心はつぶれずに守られていた。
「今でも父の事は愚かだと思っていますが、姉3人に幸せな結婚をさせたという点だけは尊敬しています。案外、他人を見る目があったのかもしれません」
父が死ぬ前に取り掛かっていた縁談。ルイさんとの縁談は父が急死しなければ整っていただろう。父の強欲さはきっとカルロの横槍にも負けなかった。
(でも深く傷ついたからこそ、ルイさんの存在が大切だと感じることが出来たのかもしれない)
あのまま結婚していても、これほど深い尊敬を抱けたかどうかは分からない。そう思うと、あの地獄も意味があったと思える。
初恋をちゃんと終わらせられて、尊敬できる友人が得られた。今はそれで良かったと思える。
「そういえば3番目の、外国に住んでいる姉から聞いたのですが、姉の国には女の子の学校はたくさんあるそうです。見学がてら遊びにおいでと勧められました。あの国の言葉は父の方針で簡単なものは学んでいますし、今度遊びに行ってみようと思っています」
もう悪妻として散財できないけれど、裕福な姉二人が私の夢の為に投資してくれると言っていた。少し甘えさせてもらおうと思う。
「いいな。あの国には商売のつながりが無かったから、行ったことがなかったんだ。一緒に行こう」
「いいですね!」
私たちは旅の計画をあれこれと話しあう。
「お姉さんがいる領地に一緒に戻るんだろ? あそこ遠いから行くのが大変なんだよ。だから僕の家に来なよ」
「ルイさんの家ですか?」
「そうだよ、あそこ⋯⋯見える?あの塔の右の、茶色い塀が続いているあそこ」
ルイさんが、川の向こうに広がる景色の1点を指す。私はそれを見ないで、ルイさんの顔を眺めた。
「ふうん」
「え、何? 何だよ、その反応」
「お姉さまが教えてくれました。きっとルイさんには、何人も特別に親しい女の人がいるから、家においでって言われても付いて行っては駄目って」
「何だよそれ! そんなことを言うのはどの姉さんだ!」
ルイさんがむきになって、女なんていない!と言う。
「だってルイさんの特技の話をしたら、とてもとても親しい女の人が大勢いるから、寸法を推測するのが得意って事だ、って教えてくれました。そういう男の人は気を付けなければいけないって」
「あ! 特技の話はするなって、言っただろう!」
「だって、褒められる素晴らしい特技だと思っていたんです」
どのお姉さまが言ったのか、しつこく聞き出そうとする。今さら聞いてしまった事を取り消せないのに。私は面白くなって笑い出してしまう。
ルイさんは『何だよ、笑ってる場合じゃないよ』と、私をぎゅっと抱きしめた。
「ちょっと、離れてください、私はまだ離婚が成立していないんですから」
あわてて離れようとしたけれど腕を緩めてくれない。温かくて、心地よくて、このまま甘えたくなってしまう。
「悪妻じゃなかったの? 悪妻は結婚していても、他の男の人と仲良くするだろう」
悪妻ならいいのかもしれない。私は自分に言い訳すると、力を抜いてルイさんの背中を抱きしめ返した。
「離婚が成立したら、今度は僕の奥さんになって欲しいんだけど、その時は悪妻をやめてくれる?」
「ふふふ。向いてないのでやめます。でも普通の奥さんも難しくて出来ないので、我慢して頂けますか?」
「どんな奥さんでもいいよ。一緒にいてくれるなら、それでいい」
ルイさんは、私の大好きな琥珀色の瞳を優しく細めると、そっと唇をかさねてきた。抱きしめるよりも、もっと温かくて、心地よい。鼓動が強くなりすぎて、ルイさんに伝わってしまいそうだ。
(結婚しているのに、他の男の人が大好きって、ものすごい悪妻っぷりかもしれない)
悪妻になる事は、立派に成し遂げられた。心おきなく引退できそうだ。後は全力で夢を追いかけるのみ。
「それで、僕の家に来てくれるの? 来てくれないの? 無条件で僕を信じてくれるオリヴィはどこに行っちゃったんだよ」
「信じないのは、この件だけですよ」
「何でだよ!」
いつものように、言い合いながら楽しく笑って、そっと手をつないだ。
(終)
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