会談
緊張で足が震える。何度も深呼吸を繰り返す私の背中に手を添えて、ルイさんが勇気づけてくれる。
家に入ると使用人頭のデーナさんが、いつもの無表情の中に少しだけ微笑みを混ぜて迎えてくれた。
客間に入ると、カルロとジェイドがいた。二人の間にも緊迫した空気が流れ、部屋の空気は張り詰めていた。この部屋でカルロを見ると結婚式の日を思い出す。
動けなくなった私の代わりに、ルイさんが進み出て二人に挨拶をした。二人も、我に返ったように立ち上がり大人として挨拶を交わす。
私も遅れて淑女として礼をして挨拶を述べる。
夫と義兄、近しい人のはずなのに、心の距離はとても遠い。
カルロとジェイドが並び、向かいに私とルイさんが座る。私はカルロの正面を避けてジェイドの前の席を選んだ。
そして私はジェイドに向かって謝った。
「約束を破って申し訳ありませんでした」
ジェイドはため息をついた。
「それは、予定よりも帰る日が遅れたことではなくて、もう帰らないってことかな」
「はい、私が帰る場所はここではありませんでした」
「そうか、分かった。ところで⋯⋯」
ジェイドは不愉快そうにルイさんを見る。
「この男の正体は、もう聞いたの?」
「はい、聞きました」
「そうか。君はずっと知らなかったんだろ? 本当にただの商人だと思って騙されてたんだ。近くにいたのに全然気が付かなかった」
ため息をついて椅子に背をもたせかけて天井を仰いだ。
「それでも、オリヴィがよく笑うようになったのも、顔色が良くなったのも、生き生きとし始めたのも、全部この男のおかげだ。俺には出来なかった。感謝している」
最後だけ、ルイさんに目線を移して言った。とても感謝を伝える態度ではなかったけれど、ちゃんと伝わったようでルイさんは少し表情をゆるめた。
「勝手に話を進めるなよ。オリヴィもジェイドも、この先もここで暮らすって決まってるんだ」
今まで黙っていたカルロが静かに言った。ジェイドが驚いてカルロに体を向き直らせる。
「お前、何を言ってるんだ。彼女は好きな所に出ていく。彼女の家への支援は全て返却された、お前だって知っているだろう。もう縛り付けることは出来ないんだ」
「それじゃ、駄目なんだよ!」
カルロがジェイドの胸倉を掴んだ。
「駄目なんだよ。何の為に俺があそこまでやったと思ってるんだ! あんなにひどくオリヴィを傷つけた事も、辛い思いをさせた事も、全て無駄になるじゃないか!」
カルロは涙を流していた。ジェイドの胸倉を掴んだ手を強く押し付ける。
「お前、言ってることが分からない。大体、お前のすることは最初から分からない。無駄って何だよ。何の為にあんなひどい事をしたんだよ」
ジェイドがカルロの腕を外そうとするけれど、カルロは涙を流しながら腕の力を緩めようとはしない。
「あなたとオリヴィに結ばれて欲しかったんだよ。⋯⋯そうだよな?」
ルイさんが冷たい視線をカルロに向けて、はっきりとした口調で言った。カルロはルイさんを睨みつける。しかし否定しない。
「ジェイドと私⋯⋯?」
宿の近くで言われたことを思い出す。私とジェイドが恋人だと思っていなかったか。早朝の池で会った時に、上手くいっているか、と言っていたのは恋人として上手くいっているかを聞いていたのか。
「オリヴィはお前の妻だろう。お前とオリヴィは結婚したんだろ? おかしいよ。お前の考えている事が分からない」
話そうとしないカルロを見て、ルイさんはため息をついた。
「僕の推測だから違ったら言え。弟のお前は、兄とオリヴィが想い合っているのに家柄のせいで結婚できないと思ってたんだ。それをどうにかしようとした結果がこれだよ」
「どうにかって?」
ジェイドがかすれた声で問う。
「法律上は自分とオリヴィが結婚したことにするけど、実質的には兄とオリヴィが結婚した状態にしてやろうとしたんだ」
私をひどく傷つけて世話をジェイドに命じた。命じられただけでなく、私を心配したジェイドは私と一緒に暮らし始めた。
カルロは私とジェイドが、そのまま夫婦のように暮らすと思ったのか。子どもに触れていた理由も分かった。
「そんなの⋯⋯おかしいわ」
気分が悪くなってきた。服の胸元をぎゅっとにぎる私の背をルイさんがそっと撫でてくれる。それを見たカルロが低い声で言う。
「オリヴィに触るな。触っていいのはジェイドだけだ」
「俺には理解できないよ。大体、何で俺とオリヴィが想い合ってるなんて思ったんだ。彼女はずっとお前の事が好きだったんだ。お前だって、ずっとオリヴィの事が好きだったじゃないか。お前たちこそ想い合っていた。だから俺はこの結婚が嬉しかったのに」
カルロはジェイドの胸倉を掴んでいた手を離し、自分の顔を覆った。
「俺は何もかも兄さんから奪ったんだ。嫡男の地位も、敬意も、名誉も、財産も全て。一番大切なものくらい渡さないと公平じゃないだろう? 大切だから渡したんだ。兄さんにだったら命より大切な物だって渡せるんだ。あんな奴に渡すために、彼女に辛い思いをさせたんじゃない」
ジェイドの方が年上なのに母の身分の違いで、全てが自分のものになった事を、ずっと後ろめたく思っていたのだろうか。ジェイドの事が大切だから奪った自分が許せなかったのだろうか。
「そんな事のためにオリヴィと結婚して、そんな理由であんなに惨い傷つけ方をして⋯⋯。オリヴィ、ごめん。ごめん。俺のせいで、ごめん」
ジェイドも涙を流している。
言葉は理解できているけれど、感情を伴って考えを飲み込むことができない。分からない、分からない。仲良く遊んでいた幼馴染なのに。この人たちのことが分からない。
「いずれにせよ、お前の目論見は上手くいかないよ。僕がいるからな。もう話は終わっただろ。行くぞ、オリヴィ」
ルイさんが私を立ち上がらせた。私に手を伸ばそうとするカルロをジェイドが押さえる。
「カルロ、彼女を解放してやろう。外の空気を吸わせてやるんだ」
カルロは言葉にならない声をあげて涙を流した。言葉をかける、背中を撫でて宥める、頭をよぎるけれど、私は何もしないことを選んだ。
「オリヴィ、俺が責任をもって離婚の手続きをさせるから」
私はジェイドに向かって微笑んだ。
「ありがとう。あなたには今までの事全部、本当に感謝している。一緒に暮らせて楽しかった。元気でね」
部屋を出る直前、カルロが聞き取れる言葉で言った。
「オリヴィ、ごめん。苦しませて悪かった」
私は振り返った。
「さようなら」
多分もう二度と会う事がない、私の初恋の男の子。さようなら。
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