ルイさんの人生最大の失敗と後悔
あっと言う間に1週間が経った。姉たちもそろそろ自分の家に戻らなければならない。
私は元々一緒に暮らしていた一番上の姉のお世話になる事が決まっている。王都から離れて姉が継いだ領地で暮らすことになる。
離婚についてカルロと話をしなければならない。使者を介することも考えたけれど、ちゃんと自分で話すことを選んだ。ただしその方法については姉たちにも良案は無い。
「何度も使者が来ているから、このままお姉さんの家に戻っても、君の夫は訪ねて来てしまうだろうな」
ルイさんも一緒に考えてくれている。結局、姉たちの総意でルイさんに立ち合いをお願いし、カルロとジェイドと話をするのが良いだろう、と言う事になった。
「何から何まで、面倒をお掛けしてごめんなさい」
「あなたがオリヴィの友人でいてくれて、本当に感謝しています。夢まで持たせてくれたって、すごく喜んでいたわ」
「オリヴィはあなたの事をとても信頼しているし大好きみたいだから、手間をかけて申し訳ないけど、もう少しお付き合いお願いいたします」
姉たちは何度も何度もルイさんにお願いしてくれた。
「あなたみたいな方に嫁がせてあげられたら良かったのに」
姉のずうずうしい言葉にルイさんは複雑そうな顔をしていた。一番上の姉だけはルイさんの名前に聞き覚えがあるようで、しきりに首をひねっていた。もしかすると、うちの身代が傾く前には、カルセドニー商店との付き合いがあったのかもしれない。
「でも、カルロとジェイドとオリヴィの3人は本当に仲が良かったの。私たちは年が少し離れていたから一緒に遊んでいないけど、3人はいつも一緒だった。なぜカルロはあんな風になってしまったんでしょうね」
ルイさんも不思議だったようで、子供時代の私たちの話を、姉たちから聞き出していた。
◇
一番上の姉が手紙を出して、カルロとジェイド、私、立ち合いとしてルイさんの4人で話すことが決まった。場所はジェイドと暮らしていたあの家だ。
2番目と3番目の姉は自分の家に帰って行った。1番目の姉だけ宿に残ってくれている。明日の話し合いの後に一緒に領地に帰ることになっている。
「話し合いをする前に、伝えておきたいことがある」
ルイさんと私は宿の庭に出た。月明かりの下で木の葉が風にそよいでいる。
「友人として正直でいよう、と約束したけど、僕は君に大きな隠しごとをしている」
ベンチに腰かけてルイさんが月を仰いだ。
「僕の名前は、ルイ・ジルウォーカーだ。カルセドニーは屋号で、商人として振る舞う時には便宜上、屋号を名乗っている」
ジェイドもカルロもジルウォーカーという名前に反応していた事を思い出す。
「君たちが言う爺さんは、あれでも伯爵だよ。僕も子爵の爵位を持っている。どちらも金で買った爵位だけど、貴族社会で商売をする上では役に立つ」
爵位を金銭でやり取りする話はよく聞く。だからこそ私の一族は血筋にこだわり頑なに守ろうとしている。
「君は、カルロ・ヒューズワードとの縁談が決まる前に、他の縁談が決まっていた事を知っている?」
「詳しい事は知りませんが、決まりかけていた縁談を、むりやり反故にして今の縁談が決まったと聞いています」
誰も私には何も教えてくれなかった。私の事なのに。ルイさんは薄く笑った。
「決まりかけじゃなくて、決まってたんだ。その相手は僕だよ」
「え!」
思わず顔を見上げたけれど顔つきは真剣だった。冗談ではないのか。
「でも僕は最低だ。王家の血筋と後ろ盾がなく面倒がない、それが理由で縁談を選んだんだ。結婚自体が面倒だったし、成り上がりだと蔑む貴族たちへの復讐のような気持ちもあった。だから僕にはカルロ・ヒューズワードを責める資格はない」
カルロが私に言った結婚の理由と全く同じ。私の商品価値。
「商人として、うちに来てくれたのは偶然ですか?」
「いや、偶然ではない。条件で選んだ縁談だったけど、決まっていたものを無理やり奪われたのが気に入らなかったんだ。しかも破談になった理由は、君が卑しい身分に身を落とす事を泣いて嫌がったから、と言われていたし」
「え、何ですって! 私が?」
驚く私を見てルイさんは笑った。
「傲慢な女を実際に見てやりたくなって、父の代わりに君の所に行ったんだ。あの時は驚いたな。想像していた、気位が高くて美貌を鼻にかけるお姫様とは全く違ったから」
お姫さまどころか、悪妻になりたいだの、とてもまともな夫人の振る舞いでは無かった。
「出入りしてすぐに、幸せな結婚ではない事が分かったよ。君には好感が持てたから気の毒に思ったし、もしかしたら僕が同じことをしてしまっていたかもしれない、と思うと苦しくて、どうにか助けたいと思った」
私はぼんやりとルイさんを眺める。結婚の動機がカルロと同じだったとしても、ルイさんが同じことをするとは思えない。でもカルロだって、結婚する前にはあんなことをするなんて想像できなかった
「ずっと名乗らなかったのは、君が僕と縁談があった事に気付いて、近づいた動機を知ったら、もう一緒に過ごしてくれないと思ったからだ。ごめん」
「友人というのも、贖罪だったのですね。一緒に学校のことを考えてくれたのも、外の世界を教えてくれたことも全て同情と罪悪感⋯⋯」
よく考えれば分かったはずだ。友人と呼ぶには私が負担をかけすぎていること。あれだけの親切を受ける理由がなかったこと。分かっていたことだ。
少しでも友人として好意を持ってもらっていたと思うなんて、何て思い上がったことだ。
私には人の心を推測する事が出来ないのだろう。
だから、カルロが結婚を忌み嫌っていたことも分からずに、無邪気に浮かれていた。
だから、ルイさんが同情と罪悪感に苦しんでいることも分からずに、友人ができたと浮かれていた。
急に頭の中にふわふわと漂っていた、ルイさんの語った言葉の全てが現実感を帯びて私の心に届き始めた。それはひどく深く突き刺さる。
私はベンチを離れると少し離れた木の根元に座って膝をかかえた。顔を伏せて丸くなる。たくさん涙が出ているけれど、これならきっとルイさんにも分からない。
もう消えていなくなってしまいたい。このまま土に溶け込んでしまえたらいいのに。
ルイさんが立ち上がる気配がして、こちらに歩く足音が続く。音が止んだと思ったら、ふわっと肩を抱かれた。
「ごめん。同情と罪悪感は確かにあった。でも、それだけじゃない。友情と好意も強くある、本当だ。それに、⋯⋯一番大きい気持ちは後悔だ」
「後悔?」
思わず顔を上げてしまった。涙でぼやける視界の向こうに、いつも私を見守ってくれていた琥珀色の優しい瞳がゆらめいて見える。
「前に言った事を覚えてるかな。人生最大の失敗を取り戻すのに必死だって」
覚えている。私は協力すると約束した。
「失敗は2つある。1つは、縁談が出た時に自分でちゃんと君に会いに行かなかったことだ。会っていたら、きっとすぐに好きになっていた。
2つ目は、縁談を奪われた時に戦わなかったことだ。ちゃんと会って好きになっていたら、奪われたままでなんかいなかった。あの時戦って君と結婚していたはずなんだ。そうしたら、君はあんな苦しみを知ることなんてなかった。どちらも後悔している」
ルイさんは私の頭をそっと撫でて、髪をすいた。
「実はずっと、『僕の奥さんになるはずだったオリヴィ』って心の中では呼んでたんだけど、途中からはもう『僕の奥さんのオリヴィ』になってたよ。あはは。自分で言ってて気持ち悪いな」
「何ですか、それ」
あまりに優しく笑うので、つられて笑ってしまう。手をのばしてルイさんの手をそっと握った。とても温かい。
私は思い出す。いつも私を笑わせてくれたこと、家にこもって青白い顔をしている私をお日様の下に連れ出してくれたこと、女の子たちとの楽しい交流を教えてくれたこと、夢を持たせて私の心の支えを作ってくれたこと。
いつも琥珀色の優しい瞳が見守ってくれていたこと。
動機も理由も何だっていい。ルイさんがいてくれたから、この1年の結婚生活を笑って過ごせた。
「それは、ずるいです。私だってきっと『私の旦那さまになるはずだった人』とか『私の旦那さま』だと思って過ごした方が楽しかった」
「そう?」
「きっとそうです」
「今からでも遅くないよ。僕の事を『私の旦那さま』って思えばいいじゃないか」
「楽しそうですね」
私たちは視線を合わせてほほ笑み合った。
「これで、僕の懺悔はおしまい。君がどう断罪するかは分からないけど正直な気持ちは伝えた。これからも君の女の子の学校を作る夢を一緒に追いかけたいと思ってる」
ルイさんは私の腕を取って立ち上がらせた。
「僕の失敗を取り戻すためには、まず明日『僕の奥さんのオリヴィ』にくっついている、邪魔な旦那を排除しなければならないな。オリヴィは僕に協力するって約束しただろ? 明日はしっかり働いてもらうからね」
ぽん、と背中を叩かれる。
「はい、約束をしっかり果たしますね」
私は力強くうなずく。
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