散財しようとして失敗し、品定めされる
数日後、ジェイドが手配してくれた商人がやって来ると言う連絡があった。
「あちらは慣れているから問題ないと思うけど、本当に一人で大丈夫?」
この前は『お手並み拝見』と言っていたジェイドだけど、世間知らずな私一人に応対させることが心配になってきたようだ。
「平気よ! 見事な悪妻っぷりをご報告するから、楽しみにしていてね!」
ふんぞり返る私を心配そうに見ながら出かけていった。
午後早くに商人が来訪したという知らせを受けて私は緊張しながら階下に降りた。
(よし、悪妻として頑張るわ)
客間で待っていたのは予想よりも若い男性だった。20代半ばくらいだろうか。裕福な貴族の家に出入りする商人という言葉の印象から、もっと計算高そうな年配の男性を想像していた。
男性は立ち上がると優雅な礼をして名乗る。
「初めてお目にかかります。ルイ・カルセドニーと申します。カルセドニー商店の代表代理として参りました」
「オリヴィ・ベイ⋯⋯失礼しました。オリヴィと申します」
まだ結婚前の家名を名乗ってしまいそうになる。しかし、新しい家名を名乗る気にはなれない。
私も丁寧に礼を返し椅子に腰かけることを促した。カルセドニーさんはにっこり笑うと、私が椅子に座るのを見届けてから自分も腰を下ろした。
使用人がお茶を運んで来る。立ち去るのを待ってから気になっている事を尋ねた。
「代表代理とおっしゃいましたか?」
「はい、本来は父が参るはずでしたが、生憎と体調を崩しております。代わりに息子の私がご用向きを承らせて頂きます」
(息子さん。それで若いのね)
もしかすると、普段は商人としては仕事をしていないのかもしれない。背が高く体つきがしっかりしていて、商人というよりは若い騎士のように見える。
「ありがとうございます。お世話になります。お父様のお加減が早く良くなればよろしいのですが」
カルセドニーさんは、少し驚いたように私を見た。こんな事を言うのは不躾だっただろうか。冷や汗が出てくる。
やがて、カルセドニーさんが世間話を始める。応対しつつ、この後どうして良いのか分からなくて頭が回らなくなってきてしまう。悪妻は何を買うものだろう。
(宝石かドレスよね、きっと。でも全然欲しくないな)
困っていると、カルセドニーさんがそっと切り出した。
「奥さまが、次に舞踏会にご出席されるのはいつですか?」
「舞踏会ですか?」
考えてみるけれど全く思い浮かばない。先週、使用人が小声で嘆いているのを聞いた。カルロは誰かと舞踏会などの公の社交に出ているらしい。使用人たちは私の体面を気にしてくれているようだった。
カルロ本人も、私と社交の場に一緒に出る気がないと言っていた。
「恐らく私は社交の場に出ないので、服飾品は必要なさそうです」
商店というのは他に何を取り扱っているのだろうか。困る私にカルセドニーさんは微笑んで続けた。
「では、ご自分が楽しむ為の衣装や宝石などでも良いのではないでしょうか。お好きな色はございますか?」
ここで着る衣装と宝石。誰に見せるわけでもないし私自身も着飾る事に慣れていないし、さほど興味もない。
でも呼びつけたのはこちらだし、カルセドニーさんだって何の儲けも出せないまま戻ることは出来ないだろう。彼は答えられない私から希望を聞き出そうと苦心している。
(どうしよう)
知らない事は詳しい人に聞いた方が良い。恥ずかしがっていては立派な悪妻になれない。
(待って? 物知らずな奥様、という評判が立つのは立派な悪妻じゃないかしら)
勇気を出して素直に聞いてみることにする。
「あの、大変不躾な質問をさせて頂きたいのですが」
切り出してみると、カルセドニーさんは姿勢を改めた。
「世に悪妻と言われるようなご婦人は、どのような物をどのくらい買い求めるものでしょうか」
「え? 何ですって?」
目を見開いて固まってしまった。
(どうしよう、どうしよう)
質問の仕方が悪かったようだ。言い直す方法を考えているとカルセドニーさんは急に納得した、という顔付きになった。
「なるほど。大きな買い物をして旦那様の評判を落とす事を恐れておいでなのですね」
「そうではなくて、えっと、えっと」
(大丈夫、評判を落としたいのだから正直に言ってしまおう)
「悪妻になりたいと思っておりまして。でもやり方が分からなくて」
「え? 何ですって?」
また、目を見開いて固まってしまった。これは失敗だ。これ以上続ける勇気が出ない。
「申し訳ありません。このやり方は向いていないようです。別の方法を考えてみます」
駄目だ、散財作戦はあきらめよう。でも、この商人を困らせてしまう。
「あの、ここまで恥をさらしてしまいましたので続けてお聞きすることにします。大変失礼な事とは存じますが、私がどのくらい購入したら、お父様の代理としての、あなたの面目を立てる事が出来ますか?」
無駄足を運ばせてしまった上に、おかしな事を言って困らせてしまった。せめて来て良かったと思って頂かないと申し訳ない。
でもカルセドニーさんは目を見開いて、固まったままだ。
「失礼な事を申し上げて、本当に申し訳ありません。でも、どうして良いか分からなくて。お気を悪くされましたよね」
恥ずかしさで頭に血がのぼりすぎて、自分が真っ直ぐに座れているのかも分からない。
(もう嫌だ。悪妻になるのは難しすぎる)
その時、カルセドニーさんが体を前に折り曲げてうつ伏してしまった。肩が震えている。
(怒ってる!)
「申し訳ありません!」
私は立ち上がって深く頭を下げた。貴族の奥方は商人に対してこんな事はしないと思う。でも私は失礼なことをしたら、相手が誰であれ許しを請わないと気が済まない。
もう悪妻どころか、普通の奥方ですら私には向いていない。
「申し訳ありません。もの知らずな田舎者の言葉とお聞き流しくださいませ」
泣きたい。涙が出そうだ。
「あっはっは! 駄目だ、面白過ぎる!」
うつ伏していたカルセドニーさんが、お腹を押さえて身を起こした。笑っている!
「失礼、ふふっ。奥さま。でも、あっはっは。駄目だ、笑いが止まらない」
呆然と立ち尽くす私の前で、カルセドニーさんはしばらく笑い転げた後に涙を拭いて座り直した。
「失礼しました。奥さま、お座りください。さあ、お互いにお茶を飲んで落ち着きましょう」
言われた通りに座って、お茶を一口飲んだ。何もかも良く分からない。もう一口お茶を飲む。頭が回らない。もう一口飲む。
カルセドニーさんは、そんな私の様子を興味深そうに観察していた。琥珀色の瞳がまだ涙でうるんでいる。
「あなたの正直さは好感が持てます。だから私も正直になりましょう。言っておきますが、商人に正直に話をさせるなんて、なかなか出来ることじゃありませんからね」
カルセドニーさんは、膝に腕をつくと手を組んだ。
「私は、今日の時点では儲けるつもりで来ていません。あなたを品定めしに来ました」
「品定め?」
「そうです。今後あなたが私たちを儲けさせてくれるか。役に立つ人物かどうかを見極めに来ています」
「そうだったのですね」
そうか。商人というのは、長期的な目で損得を見極めるのだろう。
「ごめんなさい、でしたら無駄足になってしまいましたね。いえ、私が役に立たないと見極められたから、それはそれで用は足りたと言う事でしょうか」
噂ではなく、直接見極めたいから来たのだろう。無理に買い物をしなくて良いと思うと安心して気が抜けた。私はお茶をもう一口飲んだ。今度はちゃんとお茶の香りを感じられる。
「役に立たないかどうかは、まだ分かりませんね」
「え?」
「あの公爵家の嫡男が、無理を押し切って結婚したご令嬢だ。何も無いわけないでしょう」
虐げても文句を言えないけれど血筋は悪くない、ただその条件に一致しただけだ。けれども、さすがにそれを正直に言うわけにはいかない。
「恐らく、この先も何も役に立つ事はないと思います。私、散財して悪妻になることはあきらめましたから、あなたを儲けさせて差し上げる事も出来ませんし、夫に何かを進言することすら出来ません」
カルセドニーさんは、優雅にほほ笑んだ。
「よろしければ、今後も、こちらにお邪魔しても構いませんか?」
「いらっしゃる分には構いませんが⋯⋯」
何も買わないのに? そう思って一つ思いついた。
「あの! 本の取り扱いもございますか?」
「本ですか? ありますよ」
不思議そうな顔をしながらも、どのような本を入手できるか教えてくれる。
この家は余暇を過ごす為に使われていた屋敷なので、物語や歴史書などは多くあるけれど学術書はほとんどない。ジェイドに勉強を教わるだけでなく、一人の時間にも勉強出来るようにしておきたい。
私は今学んでいる内容を伝え、学校で使う教本や参考になる本が欲しいことを説明した。カルセドニーさんは快諾してくれる。
「お手間をお掛けする割には、儲けにならないお願いで恐縮です」
「次に来る理由が出来て良かった。⋯⋯あなたは、なぜ学びたいのですか?」
なぜ?あまり考えたことが無かった。
「私には知らない事が多くて。学ぶことで私の狭い世界が少しだけでも広がるような気がするのです。見た事も無い土地のこと、見た事もない植物や動物の事。頭の中ががらんどうでは、想像すら出来ませんから」
カルセドニーさんは優しく微笑んでくれた。先ほどまでの観察する様子でもなく、面白がる様子でもなく、ジェイドが私に向けてくれるような微笑みだった。
「あなたとお話するのは楽しそうだ。私と話をするのも楽しいと思ってもらえるよう、次は私の旅の話でもお聞かせしましょう」
(旅! 聞いてみたい!)
この屋敷に来てから、初めて先の楽しみが出来た。
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