学校に通ってみたかったのに

 帰って来たジェイドに散財作戦は失敗したことを伝えた。ジェイドは散々笑った後に、本を注文したことは褒めてくれた。


「俺も書庫を確認したんだけど、ここは暇つぶしには良いけれど、学びを深めるような本は少ないね。そのうち注文しなければならないと思っていたんだ。カルセドニー商店がどういう本を選ぶのか楽しみだ」


 カルセドニーさんは、来週また本を持ってやって来ると言っていた。ジェイドが復習に必要な本は持ってきてくれたので、それまでの間は勉強して過ごすことにした。


「庭に出て、散歩してみてもいいと思う?」


 ジェイドは困った顔をした。


「もちろんだ。家の中にこもらないで、少しは外に出た方がいい。道に迷うことが心配なら、誰か使用人に付き添わせればいい。敷地内なら警備や他の使用人の目も行き届いているから危険はない。⋯⋯ただ、煩わしい視線は感じるかもしれない」


 このヒューズワード邸は、王都の中でも指折りの広い敷地を持つ。庭というよりは林と言えるくらいの木立も、湖と言えるくらい大きな池もある。敷地の奥に大きな本邸があり、他にも何か所も別邸が建っている。ここもそのうちの1つだ。


 敷地内には多くの人がいる。カルロが一緒に住んでいない事は既に知れ渡っているだろう。好奇の目で見られる覚悟が必要だ。


 そういえば、私と結婚するまではカルロは本邸に住んでいた。今はどこにいるのか知らないし怖くて聞けない。


「あの⋯⋯カルロとも会ってしまうような事があるかな」


 緊張して聞いてみると、ジェイドはやさしく微笑んでくれた。


「それは無いと思う。あいつは遅くまで仕事をしている事が多いし、庭を散歩するような姿は見た事がなかったから」


 詳しくは聞けないけれどジェイドはカルロの仕事の補佐をしている。毎日、長い時間を一緒に過ごしている。ジェイドとここで暮らす事が自然になってしまっていたけど、実はおかしな事だということを忘れてしまっていた。


(早く頑張って悪妻にならないと)


 散財作戦は難しそうだ。悪評を立てる方法も思いつかない。他の方法を考えないと。


 少ししょんぼりする私を見てジェイドがにやりと笑った。


「さて、そろそろ、復習の試験をしても大丈夫かな?」

「え! 待って。まだ終わってないの!」


 私の先生は、私を元気づける方法を間違えていると思う。



 約束通り、カルセドニーさんは学習に必要な本を持ってきてくれた。他にも関連しそうな本も持ってきてくれている。


「もし差し支えなければ、書庫を見せて頂けませんか? そうしたら足りない本や必要そうな本を選びやすいのですが」

「ありがとうございます! ぜひお願いいたします」


 私は書庫に案内し、使用人にお気に入りの小部屋の方にお茶を用意してもらった。カルセドニーさんは熱心に本を確認し時折何かを記録している。しばらくすると笑顔で戻って来た。


「先日、誰かに勉強を教わっているとおっしゃっていましたね。もし、その方が近いうちにいらっしゃるなら、これをお見せしてください。他にも必要なものがあれば書付を頂ければ手配しますから」

「ありがとうございます。今日帰ってきたら見せてみます」


 カルセドニーさんが首を傾げた。


「勉強を教えてくれるのは、旦那さんでしたか」

「え! えっと、あの。えっと」


 どう説明すればいいだろう。


「義兄です。義兄がいるのです」

「そうでしたか、お兄さまが一緒に住んでいらっしゃるのですか」

「はい。そうです」


 私の家でも姉と義兄と一緒に私が住んでいた。兄弟が一緒に住んでいるのは不自然ではないはずだ。うん、大丈夫。


 話を変えたくて急いで小部屋に案内してお茶を召し上がって頂くことにした。


「ここは、気持ちの良い部屋ですね」


 カルセドニーさんも椅子に腰かけて、少しくつろいだ表情を見せた。


 兄弟といえば。


「あの、カルセドニーさんにはお姉様か妹さんがいらっしゃいますか?」

「いえ、私には男の兄弟しかいません」

「そうですか。恥ずかしながら、私は最低限のことしか学べなかったものですから、一般的な女性がどういう事を学んでいるのかお聞きしてみたかったのです」


 カルセドニーさんは記憶を探るように、視線を宙にさまよわせた。


「私が知る限りですが、家の方針によって様々ですね。芸術や音楽、刺繍、ダンスなど淑女としての振る舞いを中心に教える家もあれば、外国語を熱心に教える家もある。学者のように、興味のある分野を深く学ばせる家もある。家柄を問わず、本当に様々です」

「ありがとうございます。そうだったんですね⋯⋯」

「あなたは、失礼ながら礼儀作法については、しっかりと学ばれているようだ。学問だけを制限されていたのですか?」


 血筋に対する誇りだけは強い父だった。礼儀作法や音楽、刺繍、ダンスなど血筋にふさわしい振る舞いをするための教師はつけてくれた。恥をかかない最低限の教養までは与えてもらえたと思う。ただ、少し踏み込んだ内容については、男の子が子供の頃に学校で習う内容ですら習えなかった。


 雲が何で出来ているか。なぜ雨は降ってくるのか。そんな事すら知らない私は、親族の集まりで子供たちに馬鹿にされ悲しい思いをした。


 私は簡単にカルセドニーさんに説明した。


「女の子も学校に通えたら良かったのに。みんな通うと決まっていたら、父だって行かせてくれたはずですから」

「女の子が通う学校ね⋯⋯」


 カルセドニーさんが、目線を伏せて何かを考えている。


「女の子が通う学校です⋯⋯」


 私もちらりと頭をかすめた考えを急いで捕まえてよく考える。


 しばらく物思いにふけった後、カルセドニーさんは約束通り旅の話を聞かせてくれた。


 旅をして過ごしたことがあるそうだ。商人として世界各地の物を見て取引の方法を知り、その土地に根付く考えを体験する。


「書物だけでは学べない事も多くあります」


 話をしながら今日持ってきてくれた本を開き、学んでいる事と関連付けて話してくれる。


「この本のこの鉱石は、この地図で言うここで採れます。この山には採掘者が多く集まるから、ふもとには大きな街が広がっていて、とても賑わっている。そういう所でよく売れる物は何だと思いますか?」


 たまには質問を交え、笑った事、怖かった事、感動した事、そんなことを話してくれる。いつまでも聞いていたくなるような楽しい時間だった。


「こんなお時間まで、お引き留めしてしまいまして申し訳ございません」


 もうすぐ日が暮れそうだ。あまり儲けにならない私の所に長居していたら商売にならないだろう。いつか高価な宝石でも購入した方が良いのだろう。


 私の考えを見透かしたように、カルセドニーさんは言う。


「こんなに熱心に聞いてもらえる事は珍しいので、ついお付き合い頂いてしまいました。とても楽しかったです。奥さまが興味を持ちそうな本を、何冊か思いつきました。また来週お持ちさせて頂きますね」

「ありがとうございます!」


 こんなに楽しい時間を過ごしたのは、いつが最後だっただろう。まだ母が生きていた10年以上前のことかもしれない。私は心からのお礼を伝えてカルセドニーさんを見送った。

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