第2話、新たな世界
目を覚ますと視界は真っ暗に染まっていた。
頭から目の辺りまですっぽりと硬い何かに覆われているようで、それを鬱陶しく思いながら寝返りをうつ。
(ああ……そういえばヘッドギア被ったまま昨日は寝落ちしたんだったか)
BSOのサービス終了を迎えながら、俺はあのまま意識を夢の中に手放したのだ。
フルダイブ型のVRゲームをプレイする為には、脳と仮想空間を繋ぐ特殊な装置――ヘッドギアを頭に装着する必要がある。10年前から毎日のように被り続けているが、未だにこの重さには慣れないものだ。
技術の発展で最近のヘッドギアはもっと軽量化されていたり、輪っかのような形のものを頭にはめるだけでいいタイプのものも開発されているみたいだが、俺が愛用しているものは初めて商品化されたヘッドギアでかなり昔に発売された旧型のものだ。
その為、この重みが当たり前になっているのだが……いつもよりヘッドギアが大きく感じるのは何故だろうか。それに体がやけに重いし気怠さを感じる。
寝起きで本調子ではないんだろうなと思いながら、俺は上体を起こしてヘッドギアを外すと周囲を見回した。
見慣れた部屋、窓の外に見える景色、ベッドの横にあるデジタル式の目覚まし時計、そのどれもが普段通りの光景だった。
(目が覚めたらBSOの世界に転移していて……なんて、そんな事があるわけないよな)
アニメやマンガ、ラノベでよくある展開を期待していた自分が恥ずかしくなり、思わず苦笑してしまう。
そんな奇跡が起こるはずがないと理解しつつも、心の中では期待していたのかもしれない。BSOの世界は終わっていなくて、まだあの世界で生きていけるんじゃないか……と。
けれど、それはあり得ない事なのだと再認識する。
BSOは0時を過ぎた瞬間にサービスを終了して、俺はこうして現実世界へと戻ってきてしまったのだから。
大きく溜息をつきながらベッドから立ち上がり、テーブルの上に置きっぱなしにしていたスマホを手に取る。
時刻は午前9時を過ぎていた。
一ヶ月前の俺ならとっくの昔に出社を済ませて、せっせと仕事に取り掛かっている時間だろう。
けれど上司からの激しいパワハラや連日にも及ぶ深夜残業に心身共に疲れ果ててしまい、意を決した俺は会社を辞めて今はのんびりとした時間を過ごしていた。
おかげでサービス終了までの一ヶ月の間、俺はとことんBSOをプレイする事が出来たのだ。
今までの10年間の積み重ねと、その一ヶ月の全てをBSOに捧げた事で、俺は最難関ダンジョン『
ただその名誉も栄光も、あの世界が終わってしまった今では、全てが泡沫の夢となってしまったのだろうが。
(……あれ。スマホの顔認証が通らないな、壊れちゃったのか?)
もうBSOの世界にログインする事は叶わない。ニュースサイトや掲示板でも見て暇を潰そうとロックを解除しようとするが……何故かスマホの顔認証が上手く機能しなかった。
何度か試すがやはりエラーが出てしまって、結局は諦めてパスコードを入力しホーム画面を開く事しか出来なかったのだ。
そろそろ買い替えか、なんて考えながらニュースサイトを開いて――俺は目を見開いた。
そこに書かれていた記事の内容が信じられず何度も読み返す。
(なんだこれ……なんだこれ!?)
心の中で叫びながら何度も目を擦ったり頬をつねるが、痛いだけで夢から覚める事はなかった。
俺は震える手で今度はSNSアプリを立ち上げる。
タイムラインはニュースサイトに書かれた内容と同じ内容のもので溢れ返っていた。
『世界各地に謎の建造物が突如として出現』
写真付きで投稿されたその呟きを見て、俺の心臓は激しく脈打つ。
スマホに映し出された建造物――それは空に向かって真っ直ぐに伸び、雲を突き抜ける程高く、陽光を浴びて真っ白に輝いていた。
――それはBSOの難関ダンジョンとして有名な『天空の塔』。
別の投稿に映された巨大な洞穴は初心者プレイヤーなら誰もが一度は足を踏み入れる『旅立ちの洞窟』で、更に別の写真には空に浮かぶ巨大な城『青空の古城』までもが写されている。そのどれもがBSOの世界に存在するダンジョンだったのだ。
信じられなかった、まだ夢を見ているのだと本気で思った。
BSOの世界は確かに終わったはずだ。あれはゲームの世界で、仮想空間で、本当は存在しないもので、だからもう二度とあの世界に行くことは出来ないと思っていたはずなのに。
そのはずなのに――目の前に広がる光景がそれを否定する。それと同時に全身から汗が噴き出した。
窓に向かって駆け寄り、俺は確かにその光景を瞳に焼き付けた。
何処までも続く深い深い奈落の闇が空に大穴を穿ち、禍々しい赤黒い稲妻が天に昇っている。
その光景はまるで地獄の入り口のようで、俺はその穴が一体何なのかを誰よりもよく知っていた。
何故ならそこは、俺が最も長い時間をかけて攻略に挑戦し、そして俺だけが唯一クリアする事の出来た究極にして最凶のダンジョン。
――
俺は空にぽかりと穴を空けた大穴を見つめながら声を震わせた。
「嘘だろ……だって――っえ!?」
思わず喉に手を当てて自分の口から出た声に驚愕する。それは確かに自分の声のはずなのに、決して現実世界で発せられるはずのない声だったからだ。
天にまで届くように澄み渡った美しい少女の声。
聞き覚えのある――忘れる事のない懐かしい響き。
俺は恐る恐る部屋の姿見の前に立つと、そこには一人の美少女が立っていた。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、宝石のように美しい輝きを放つ真紅の瞳、その肌は汚れを知らない無垢な天使のように白く滑らかで、柔らかく潤んだ桜色の唇は可憐な花のようだった。
幻想的で、神秘的で、完成された美しさを秘めた絶世の美少女。
「アルク……?」
俺は、BSOの世界の俺の名を呼ぶ。鏡面に映し出された姿を、俺は目に焼き付けるようにじっと見つめていた。
鏡に映る少女はまさしくBSOでプレイしていた時に俺が使っていたアバターの姿そのもので、俺はその姿を見てようやく確信したのだ。
BSOの世界が終わっていなかった事を。
そしてあの世界がまだ続いているという事を。
この日、俺と俺達の住むこの世界は新たな始まりを迎えた――。
世界各地に突如として出現したダンジョンと、
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