四月目
第8話
『皆さまごきげんよう。新人Vtuberの星宮すずりでございます!』
『おっす!おれ、愛媛マロ!みんな元気か!!?』
『あなたのハートを見極めます!平紗やゆです!皆さんいっしょに楽しみましょう!』
『本日も配信をご覧いただきありがとうございます。この配信は全ての第一世界の住民に娯楽を提供すべく、市民権の有無に関わらず等しく無料で提供されております。
それではさっそく、三人で絵を描いてみよう!のコーナーですわ!』
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第一世界を支配するハケン企業の一つ、Pandarin社のオフィス。
平紗やゆは異世界派遣事業に関わる一仕事を終えて、チェアに身を沈めて心地よい疲労を味わっていた。
ポットからコーヒーをカップに注ぐ。
これは第219745世界"ミド"からの略奪品だ。何十年か前に完全検疫を終え、第一世界での栽培がはじまった。しばらくはミド豆と呼ばれていたが、地球から輸入された映像作品にコーヒーが登場して以降、これもコーヒーと呼ばれるようになった。
もちろん本物のコーヒーを味わったことがある人間は、第一世界にはいない。
動植物のゲート通過は厳格に制限されている。輸入は特に。あちら側も文明世界の場合は輸出もだ。
地球とのゲートを通過した人間は、今までどちらの側からも一人もいない。
本物のコーヒーが第一世界に持ち込まれるのは、もしそれが第一世界人の飲用に適していたとしても、何十年か先になるだろう。
仕事は溢れるほどあった。
やゆの肩書は、社長補佐室次席補佐員。Pandarin社の職員側のナンバー2だ。
主な仕事は社長補佐室のとりまとめである。
岩梨ルーカス社長や他の役員が必要とする資料は、全て社長補佐室で作成される。
役員たちからの命令も、全て補佐室を通る。
他に総務や経理を担当する管理事務部、派遣部隊を統括する派遣隊本部など、いくつもの部門があるが立場的には下だ。
首席補佐員の小鳥遊しおりは、だいたい常に役員たちに張り付いているので、補佐室の統括はほとんど、やゆが一人で行っている。
首席と立場を替わりたいとは思わなかった。よくぞ上級市民たちの間で、器用に立ち回っていられるものだと思う。小鳥遊しおりが自分より優秀だとは思わないが、保身能力については尊敬していた。
やゆはデスクの上の報告書をめくった。
『第212473世界"ウェンロータス"における現地権力統一の動きについて』
『第406084世界"ミナガン"における作業員の不足について』
『第406084世界"ランダストーテム"における現地人徴集労働者の不足と、生産力減少について』
『第739989世界"タローヤ"における探査部隊の交信途絶について』
どれ一つとっても分厚い資料。
今日中に全て目を通し、まとめなければならなかった。
やゆ自身がやっても良いのだが、多すぎる。他の補佐員たちに割り振るべきだった。
ふとオフィスの扉を叩く音。
どうぞ。と言うと、眼鏡をかけた黒髪黒目のおさげの女性が入ってきた。
小柄な方だ。さすがにやゆ程ではないが。黒スーツに緑のネクタイをしている。
おさげの女性はやゆのデスクの前で礼をした。
「本日づけで採用されました、三谷くらげです。次席補佐、よろしくお願いいたします」
「平紗やゆです。よろしくお願いします」
礼を返すやゆ。
やゆは当然、この新人のことを知っている。
最終面接で顔を合わせているし、調べられる限りの履歴は調べた。
下級市民だが、しばらく前に採用した佐藤かたな等とは完全に別枠採用である。
上級市民・中級市民・下級市民、といっても、さらにその内部には暗黙の階級がある。
すずりは上級市民の中でも最上層に位置する。ここねはさらに上の、階級の頂点だ。
やゆも中級市民の中では最上層に近い。
三谷くらげは下級市民だが、その中では上層だ。
最底辺は佐藤かたなのように、採用されてすぐに投棄同然で異世界に派遣される市民一世である。佐藤かたな本人が戻ってきて昇進したり、その家族が安定した仕事を見つけたりすれば、定着した正式な市民階級となる。
この三谷くらげは、少なくとも祖父の代から市民権を持っていた。
「社長補佐室の仕事は理解していますか?」
「はい。社長や役員が判断を下すための情報をまとめ、そしてご命令をもとに会社を動かす、社の中枢神経です」
模範的な回答だった。
「補佐室にいるのはPandarin社の中でも特に優秀なスタッフ。その中であなたは苦労することになると思います」
「理解しております。Pandarin社のために誠心誠意尽くす覚悟です」
三谷くらげは高等学府を優秀な成績で卒業していた。しかし一家の暮らしには、暗い影が落ちていた。
ハールタニナ防衛軍の軍人だった彼女の父親が、哨戒任務中に怪獣に襲われ命を落としたのだ。母親は病で死去していた。弟はまだ中等学府である。
一家の市民権がすぐに剥奪されるわけではないが、経済的に最高学府への進学は無理だった。
そんな折に、Pandarin社がスタッフの募集広告を出したのだ。
補佐室の増員を決めたのは、やゆだった。
もともと激務のうえに、Vtuberとマネージャーで手が回らなくなりつつあった。
先日の助け舟が効いたのだろう。岩梨ルーカス社長はすんなりと数名の増員を認めた。三谷くらげがその一人目だ。
「この報告書について、どのような内容と予想しますか?
直立のまま答える三谷くらげ。
「"ウェンロータス"は準人間型種族の世界で、文明的に中世レベルにある各勢力に、
第一世界の製品を売りつけることで、天然資源を輸入しております。現地の勢力が統一される動きは望ましくありません。介入の提言ではないでしょうか。
"ミナガン"は華氏400度を超える過酷な世界で、資源採掘を行う派遣作業員は常に危険に晒されています。損耗が多いわりに資源回収効率も良くないので、資料の文字通り増員要望と受け取っていいか、遠回しの退却の提言とみなすべきか判断がつきかねます」
やゆは頷いて、続きをうながした。
「"ランダストーテム"では、現地の爬虫類型人類を強制徴集し、天然資源の採掘を行ってきました。しかし現地の人的資源が枯渇し、もともと広く豊かな世界でもないので、こちらも退却の提言の可能性があります。"タローヤ"については申し訳ございません。存じ上げません」
「結構です。社内情報サービスの権限が付与されてから五時間で、よくそこまで予習しましたね」
「ありがとうございます」
「"タローヤ"は何らかの文明が存在すると予想される世界線です。しかし最初のロボットによる予備調査の後は、全ての派遣部隊が帰還していません」
やゆは四束の報告書を、三谷くらげに手渡した。
「この報告書をもとに、それぞれ30ページ程度の提案書を作成してください」
「はい」
「他に何かわたしに言うことはありますか?」
「いえ、ございません。よろしくお願いします」
「結構。退室してください」
やゆは三谷くらげの背中を見送った。
ふと気が付くと、bizcordに通話申請が入っていた。
たった今。すずりからだ。
ONにすると、画面に青い大きなリボンをつけた、深く青い目の少女が映る。
「お邪魔したかしら?」
「いえ、ちょうど手が空いたところです」
「部下に仕事を押し付けたのではなくて?」
「まったく? わたしはあと12束の報告書を今日中に片付けるのですから」
「Pandarin社が倒産しても、あなたは再就職先に困らないわね」
「そのために、すずりさんたちに取り入ってます」
珍しくうふふと笑う、やゆ。すずりも扇で口を隠して微笑む。
「すずりさん。昨日の配信の件ですか?」
「それは明日の定期ミーティングで話しましょう」
頭を振るすずり。
「あなたにお礼を言っておこうと思って」
「お礼ですか?」
「ここねがあなたのこと、とても優しい人だと言っていましてよ」
ああ、あのことか。
「そうですか嬉しいですね」
「これからも優しくしてくださいませ」
「もちろんですよ。言われるまでもなく」
通話を切ってやゆは思った。
この青いリボンの少女はどこまで見抜いているだろうか。
ハケン企業の職員ナンバー2の地位にある自分が、優しい人間なはずがないと。
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